32 わたくしの耳に届いていないと思っているの?


「わたくしの耳に届いていないと思っているの? そもそもの始まりはあなたでしょう」


「いったい何のことですか?」


 わけがわからない、とアルヴェントがいぶかしげに眉根を寄せる。王妃がくすりと笑みをこぼした。


「聞いたわよ。昨日、フェルリナ嬢を連れ回して、王城のあちらこちらで自慢したそうではないの! そんなこと、あなただけに許すと思うの? わたくしだって、可愛い娘を城中の者達に自慢したいわっ!」


「ぶふぉっ!」


 王妃の言葉に、残りのお茶を飲もうとしたアルヴェントが激しくむせる。フェルリナも危うくむせるところだった。


「あ、あれは、これからフェルリナが困らないよう、王城を案内するためであって、決して自慢するためでは……っ!」


 昨日、ロベスにした説明を、顔を真っ赤に染めたアルヴェントが繰り返す。


「あらでも、あなたが小鼻をふくらませて得意満面で城中を歩いたと聞いたわよ?」


「そ、それは……っ!」


 昨日と同じやりとりにアルヴェントがたじたじとなる。が、二度目となれば、対応が思いついたらしい。


 アルヴェントが胸を張って王妃に言い返す。


「母上も同じことをなさっているではありませんか! 母上ならば、誰よりも俺の気持ちがおわかりになるはずですっ!」


「そうね。それは認めましょう。だからこその、この場所なのよ。わたくしがフェルリナ嬢と仲良くお茶をしているところを大勢の者が目にすれば、フェルリナ嬢の立場も、いち早く固まるでしょう?」


「王妃様……っ」


 フェルリナはようやく王妃の真意を悟る。


 聖女であることを除けば、フェルリナはしがない男爵家の娘に過ぎない。そんな娘が第二王子の妻となることに反対する貴族は、必ずいるに違いない。


 そうした声を抑えるために、王妃は自分がフェルリナを受け入れていることを行動で示してくれているのだ。


「これほどまでにお心を砕いていただけるなんて……っ! 何とお礼を申し上げればよいのでしょう……っ!」


 喜びに声を詰まらせそうになりながら深く頭を下げたフェルリナに、王妃の優しい声が届く。


「顔を上げてちょうだい、フェルリナ嬢。一昨日言ったとおり、あなたには嫁いできてくれて本当に感謝しているの。どうか、『王妃様』だなんて他人行儀な呼び方はやめて、『お義母様』と呼んでちょうだい。結婚式はまだ先とはいえ、あなたがわたくしの娘になることは、決定事項なのだもの」


「ありがとうございます……っ!」


「は、母上……っ! 結婚式がまだ先とは、どういうことですか!? フェルリナが仮初かりそめの花嫁とでも!?」


 感動に声を震わせて礼を言ったフェルリナの言葉にかぶさるようにアルヴェントが食ってかかる。


「そんなわけがないでしょう。これは、フェルリナ嬢のためでもあるのよ」


「フェルリナの?」


 冷静な王妃の声に、アルヴェントがわずかに落ち着きを取り戻して椅子に座り直す。


 説明を求めるような息子のまなざしに、王妃が淡々と口を開いた。


「クライン王国とは文書を交わしてきたけれども、ゴビュレス王国の貴族達へのお披露目が済んだわけではないもの。フェルリナ嬢が今後、『第二王子の妃』として貴族達からも尊重されるためには、大々的に貴族達を招いて結婚式を開き、正式にお披露目をするべきでしょう?」


 大々的なお披露目なんて、と腰が引けているフェルリナに、王妃が簡単に説明してくれたところによると、ゴビュレス王国では、クライン王国より各領の領主の権力が強いらしい。


 魔境と接するゴビュレス王国では、いつ魔物の襲撃があるかわからない。


 非常の際に、王家の判断を仰がずとも、領主が自領を守る手立てを打てるように、領主の力が強いのが建国当初からの特徴なのだという。


 つまり、王家だけでなく、領主達にもフェルリナの存在を認められる必要があるらしい。


「ならば、すぐに結婚式を挙げればよいではありませんか。フェルリナを中途半端な立場に置いておくことなどできませんっ!」


 ふたたび身を乗り出した息子に、王妃が呆れたように吐息する。


「フェルリナ嬢を大切にしているのはよいことだけれど、少し落ち着きなさい。仮にも王族の結婚式となれば、単なる謁見とは規模も格式も段違いよ。準備がすぐに整うはずがないでしょう? ただでさえ、急なことだったのだから……。真冬に貴族達を王城に呼び寄せるわけにもいかないし、今からすぐに準備に取りかかったとしても、結婚式は早くて冬の終わりくらいかしらね」


「そんな……っ!」


 アルヴェントが愕然がくぜんとした声を上げる。


 フェルリナを気遣ってくれるアルヴェントの気持ちは嬉しいことこの上ないが、王妃が言うことはもっともだ。


「アルヴェント様。私は王妃様が考えてらっしゃる日程でかまいませんので……」


 なだめるようにアルヴェントに声をかけると、王妃がほっとしたように微笑んだ。


「ありがとう、フェルリナ嬢。納得してもらえて何よりだわ。でも安心して。結婚式はまだ先だとしても、あなたは息子の可愛い花嫁。ちゃんとアルヴェントの妻として遇するから心配しないでちょうだい。ただ……」


「何です? この上、まだ何かあるんですか?」


 息子に視線を移した王妃を、アルヴェントが挑むように睨み返す。


「ある意味、これが一番心配なのだけれど……」


 声を低めた王妃に、フェルリナとアルヴェントは呑まれたようにごくりと喉を鳴らす。


 アルヴェントに向けた王妃の視線が刺すように細くなった。


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