22 どうして俺が『ゴビュレスの呪われた灰色熊』と呼ばれているのか知っているか?


「えっと、その……」


 何と答えればいいかわからず、けれどもアルヴェントに心配をかけたくなくて、フェルリナは必死に言葉を探す。


「お願いですっ、誤解なさらないでくださいっ! 待遇に不満があるわけじゃないんですっ! 私にはもったいないほどのことをしていただいて、感謝しかありませんっ! ですが、その……っ!」


 視線を落とし、フェルリナは心の中に渦巻く不安をおずおずと口にする。


「ずっと加護なしの聖女だと言われてきて、実際にクライン王国では加護が発動したことがなくて……。だから、突然、本当は私に特別な加護があると言われても、喜ぶより先に、信じられない心地で……」


 もし、ロベスの推測が誤っていて、単にステータスボードの不具合だったらどうしよう。


 アルヴェント達をぬか喜びさせてしまったのだとしたら……。


 フェルリナなどに優しく接してくれるアルヴェント達の期待を裏切ってしまったら、またクライン王国にいた頃と同じくさげすまれるのだろうか。


 一度、優しさを知ってしまったいまは、自分の心がそんな仕打ちに耐えられるのかどうか、不安で仕方がない。


 だが、そんな不安を吐露しても、アルヴェントを困らせるだけだ。


 言い淀み、唇を噛みしめると、大きくあたたかな手のひらに、優しく頭を撫でられた。


「レッドファングウルフと対峙した時……。きみに支援魔法をかけてもらったが、その瞬間、いままで経験したことのない力が身体の奥から湧きあがってくるのを感じた。きっと、あれがきみの加護の力だったんだと思う。俺は、きみが特別な加護の力を持っているに違いないと信じているよ」


 フェルリナの頭を撫でながら、幼子おさなごに言い聞かせるように告げるアルヴェントの声は、不安を打ち払うように優しい。


「きみを部屋に案内したあと、ステータスボードも調べてみたが、不具合なんて起きていなかった。だから……。きみが特別な加護を持った聖女であることは間違いない」


 力強い声音がフェルリナの心を芯まで貫く。


「……本当に」


 ぽつり、と勝手に言葉が口からこぼれ出る。


「本当に、私なんかが特別な加護を持った聖女なんでしょうか……?」


「もちろんだ」

 間髪入れずにアルヴェントが即答する。


「きみは特別な聖女で間違いない。もっとも……」


 ずっと頭を撫でていた手が、そっと下りてきて頬を包む。大きな手に導かれるまま見上げると、黒い瞳が柔らかな光をたたえてフェルリナを見下ろしていた。


「万が一、特別な聖女でなくとも、たとえ加護がない聖女であっても、きみが俺の大切な妻であることは変わらない」


「っ!?」


 なんのてらいもなく、真っ直ぐに告げられた言葉に息を呑む。


 夜気はしんと冷えているのに、一瞬で顔だけでなく全身が熱くなった。


「ああ、だが……」

 ふと、アルヴェントの声が低く沈む。


「きみに、ちゃんと伝えておかなければならないことがあるんだ」


「……何ですか……?」


 初めて聞くアルヴェントの昏い声。不安にかられ、じっと精悍せいかんな面輪を見上げると、一度、唇を引き結んだアルヴェントが、ゆっくりと口を開いた。


「どうして、俺が『ゴビュレスの灰色熊』と呼ばれているのか……。きみは、理由を聞いたことがあるか?」


「い、いえ……っ」


 まさか、アルヴェント自身の口から二つ名が出てくるとは思わず、フェルリナはふるふるとかぶりを振る。


「……俺は、二つ名のとおり、本当に呪われているんだ」


 低いひくい――夜気にまぎれそうなほど低い声が、フェルリナの鼓膜を震わせる。


「この傷……。色が変だろう?」


 アルヴェントの骨ばった指先が、左頬に走る黒紫の傷跡を示す。


「顔だけじゃない。実は、胸にも同じ色の大きな傷跡がある。これは――。三年前、ドラゴンにつけられた傷だ」


「っ!?」


 驚愕に息を呑んだ音が、鋭く夜気を揺らす。


 人間のレベルの限界が一般的に四十代と言われているのに、なぜ、人間の上限を百レベルと設定していないのか。


 それは、人間が到達しうるレベルを遥かに超えた魔物達がいるからだ。


 しかも、よりによってドラゴンとは。災厄に等しい存在だ。


 もし境界を越えて侵入されたら、いったいいくつの町や村が壊滅することか。


 ドラゴンなんて、フェルリナは見たことなどない。おとぎ話の存在だと思っていたほどだ。


 そんなドラゴンと対峙して、生き残ったとは。


 信じられない思いでまじまじと見上げると、アルヴェントが困り顔でかぶりを振った。


「俺が生き残れたのはたまたま幸運に恵まれただけなんだ。国境付近に現れたドラゴンはまだ幼体だったし……。騎士団総出で対応したが、追い払えたのが奇跡みたいなものだった。その戦いの中で、俺はドラゴンの爪で深い傷を負い、生死の境を彷徨さまよって……」


 当時のことを思い出しているのだろう。アルヴェントのまなざしが遠くなる。


「回復魔法をかけても、この黒紫色の傷跡は消えなかった。完全に治らない理由は……。王城付きの魔法士が言うには、ドラゴンの呪いがかかっているのだと」


 精悍な面輪に、力ない笑みが薄く浮かぶ。


「呪いの詳細はわからないそうだ。いまは何の不調もないが、実はじわじわと身体をむしばまれているのか、ある日突然、心臓が止まるのか、それとも、いつか魔物へと変じるのか……」


「っ!?」


 恐ろしい未来を想像し、フェルリナは反射的にアルヴェントの左手を両手で包む。


 大きなこぶしは胸の中で渦巻く感情を押し殺すかのように、固く握り込まれていた。


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