21 寝つけぬ夜に


 夜、寝台に入ったものの、なかなか寝つけず、フェルリナはそっと起きて寝台から下りた。


 すでに夜のとばりは下りているが、今夜は満月らしくカーテンを開けたままの窓から月明かりが入ってきているので、暗闇に慣れた目にはさほど不自由はない。


「これからは、ここがきみが暮らす部屋になる」


 と、アルヴェントに案内された王城内の部屋は、驚くほど立派な部屋だった。


 ぴかぴかに磨き上げられた明るい色合いの木材で作られたテーブルやタンスなどの家具。カーテンやクッション、寝台の掛布などの布製品は桃色や橙色の暖色系を基調にまとめられ、居心地の良さを演出している。


 心を込めて用意されたのがひと目でわかる部屋に、フェルリナは恐縮すると同時に喜びが抑えられなかった。


 王妃達が、フェルリナを家族の一員として歓迎してくれているのが、言葉で伝えられるより雄弁に心に響いて。


 ちなみに、隣室はアルヴェントの部屋だそうで、内扉でつながっている。


 が、その扉には元々ついている鍵だけでなく、さらに鎖を巻いた上に大きな錠前じょうまえがつけられており、すぐには開けられぬようになっている。ちなみに錠前の鍵は、


『よいですか、フェルリナ樣。安全のために、鍵は部屋のどこかのフェルリナ樣しか知らぬ場所に隠しておいてください』


 と、真剣極まりない顔のロベスに渡されている。


 これほど厳重に警戒せずとも、いつもフェルリナを気遣い、優しく誠実なアルヴェントが、無体を働くはずがないとロベスに訴えかけたのだが、


『フェルリナ様の殿下へのくもりのない信頼は、副団長として嬉しいことこの上ないのですが……っ! 殿下とて健康な……。むしろ元気すぎて活力が有り余っている成年男子です……っ! フェルリナ様の可憐さにうっかり道を踏み外してしまう可能性は大いにありえますっ! どうかわたしの心の平穏のためだと思い、しっかり鍵を管理してください……っ!』


 と言われ、つい頷いてしまったのだ。


 フェルリナとアルヴェントはすでに夫婦なのだから、大問題になるとは思えないのだが……。


 確かに、初めてのことは少し怖い。アルヴェントには申し訳ないと思いつつも、ロベスの気遣いをありがたく受け入れることにした。


 というわけで、ひとりで寝台で眠ろうとしたのだが。


 寝台の布団も驚くほどふこふこで、貴族とはいえ固い寝台しか知らぬフェルリナには驚きしかなかった。


 けれど、寝つけないのは慣れない寝台に戸惑ったわけではない。


 ふぅ、と無意識に吐息をこぼして、フェルリナは月明かりに誘われるように窓辺に歩み寄った。


 天井近くまである大きな硝子戸がらすどの向こうは、石造りの小さなテラスになっている。


 澄んだ夜の空気を吸い込めば少しは気持ちも落ち着くだろうかと、フェルリナはそっと硝子戸を押し開け、テラスへ出た。石造りの床にかすかに靴音が響く。


 フェルリナの部屋があるのは王城の三階だった。高いテラスからは遠くまで景色が見える。昼間はばたばたしていてテラスに出る機会がなかったが、陽のある時間に出れば、さぞかしよい眺めを楽しめるに違いない。


 眼下の城下町の家々の屋根はすでに闇に沈んでいるが、夜更けまで営業している酒場などだろうか、ぽつぽつと明かりが見える。


 城下町を取り囲むように広がっている黒い海は、きっと農地だろう。その向こうには月光すら拒絶するような黒々とした深い森が見渡す限り続いている。


 クライン王国の王城から見る眺めとはまったく異なる、森林が多いゴビュレス王国ならではの風景だ。


 故郷から遥かに遠い異国の地へ嫁いできたのだと、改めてしみじみと感じさせられる。


 闇に沈んだ景色と同じように、先の見通せぬ未来に想いを馳せていると、不意にそばで硝子戸が開く音がした。驚いて音のしたほうを振り向くと、フェルリナと同じく、夜着の肩に上着を羽織った姿のアルヴェントが自室のテラスに出てくるところだった。


 フェルリナの姿をとらえたアルヴェントの夜色の瞳が、驚いたように瞠られる。


「かすかな音がしたので、もしやと思って出てきたが、本当にいるとは……。どうした? 何かあったのか?」


「い、いえ……っ」


 何でもございません、と答えようとして、代わりにくしゅんとくしゃみが飛び出す。途端、アルヴェントが息を呑んだ。かと思うと。


「ア、アルヴェント樣っ!?」


 軽く助走してテラスの柵に足をかけ、ひらりとフェルリナの部屋のテラスに飛び移ったアルヴェントに、フェルリナは腰を抜かしそうになった。


「おいっ!? 大丈夫か!?」


 ふらりとかしぎそうになった身体を、たくましい腕に抱きとめられる。が、それどころではない。


「なんて危ないことをなさるのですっ!? ここは三階ですよっ!?」


 きっ! とアルヴェントを睨み上げたフェルリナに、アルヴェントが目に見えてうろたえる。


「す、すまない……っ。きみが風邪をひいたらどうしよう、と思った瞬間、矢もたてもたまらず……っ!」


 おろおろと告げたアルヴェントが、羽織っていた上着を脱ぎ、フェルリナの肩にそっとかける。


「いけませんっ! アルヴェント様がお風邪をひいては……っ!」


 あわてて返そうとしたが、逆に大きな手が上着の前を掴んでかきあわせる。


「寒さに慣れている俺は、この程度で風邪などひかない。それよりも、きみが体調を崩すほうが大変だ」


 真剣な面持ちで告げたアルヴェントが、不意に悪戯っぽく笑う。


「もしきみが風邪を引いたら、母上にどれほど厳しく叱責されることか。俺のことを思うなら、着てもらえるとありがたい」


「そ、そういうことでしたら……。お気遣いいただき、ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、上着を掴んでいたアルヴェントの手が離れた。フェルリナは代わりに自分の手で前をかきあわせる。大柄なアルヴェントの上着は明らかにフェルリナには大き過ぎて、袖を通す気にはなれない。


 つい今しがたまでアルヴェントが着ていたからだろう。体温の残る上着はあたたかで、心と身体の強張りがほどけていく心地がする。


「その……。眠れなかったのか?」


 心配そうな声に視線を上げると、アルヴェントが黒い瞳に気遣わしげな光を宿してフェルリナを見下ろしていた。


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