11 すみません、とんでもないことをうかがってしまって……っ!


「な……っ!?」


 ひと声洩らしたきり絶句したアルヴェントの手が、一瞬で燃えるように熱くなる。


 驚いて熊のような長身を見上げると、黒い目を見開いた精悍な面輪が真っ赤になっていた。


「お……」


 わなわなと唇をわななかせたアルヴェントがかすれた声をこぼす。かと思うと。


「俺はそこまでケダモノじゃないぞっ!」


 えるように叫んだアルヴェントが、力任せに手を振りほどく。


「体調を崩した娘にそんなことなど……っ! というか、確かに結婚はしたが、国王陛下や王妃殿下達への報告もまだだろう! そんな状態で手を出すほど理性のない獣じゃないぞっ、俺はっ!」


 雷鳴のような叫びが途切れた瞬間、フェルリナは糸が切れたようにへにゃりと床に座り込んだ。


「わあっ!? どうしたっ!?」


 途端、アルヴェントが我に返ったようにフェルリナにあわせて両膝をつく。


「すっ、すまんっ! 怒鳴るつもりは……っ! 怯えさせたよなっ!?」


「い、いえっ、いえ……っ!」

 誤解をさせてはと、フェルリナはあわてて必死で首を横に振る。


「だ、大丈夫ですっ! す、すみませんっ、私こそ、変なことを……っ!」


 アルヴェントはそんな気などまったくなかったというのに、早とちりして変なことを聞いてしまった自分が恥ずかしくて仕方がない。


「本当にすみませんっ! 私、とんでもないことをうかがってしまって……っ」


 先ほどからずっと、顔どころか身体中が熱くて仕方がない。


 はしたないと呆れられただろうか。

 アルヴェントに軽蔑されたかもと思うだけで泣きたい気持ちになってしまう。


「いや……。ナレットとチェルシーに変なことを吹き込まれたんだろう? ったく、あいつらは……っ」


「え、と……」


 まるで見てきたような台詞に反射的に頷きかけ、だがこれでは二人がまた叱られてしまうと、ぎこちなく止まる。代わりに口をついて出たのは、感謝の言葉だった。


「誤解をして、大変申し訳ございませんでした。ですが……。アルヴェント様の素晴らしさが知れてよかったです。誠実でお優しくて……。その、初めてのことに不安になっていたので……。まだまだ先だと安心しました」


 心配事が晴れた安堵に、ほっと表情を緩めて見上げると、なぜかアルヴェントが「うぐっ」と呻いた。


「いやその、まだまだ先というか……」


 アルヴェントが何やら言いかけたところで、どんどんどんどんっ! とものすごい勢いで扉が叩かれる。


「殿下っ! フェルリナ様はご無事ですかっ!?」


 聞こえてきたのは切羽詰まったロベスの声だ。


「ナレットとチェルシーが、『フェルリナ様の身が危ないっ!』『団長がケダモノになった!』と蒼白な顔で訴えてきたのですが……っ! フェルリナ様っ、返事をなさってくださいっ! 扉を蹴破けやぶったほうがよろしいですかっ!?」


 真剣極まりないロベスの声は、いまにも実行しそうな勢いだ。フェルリナはあわてて声を上げる。


「だ、大丈夫ですっ! アルヴェント様はとってもお優しくて、いい方で……っ! ケダモノなんて、とんでもないですっ!」


「というか襲ってないぞっ! お前ら俺を何だと思ってる!?」


 フェルリナに続き、アルヴェントががう、と怒鳴る。扉の向こうから返ってきたのは、気まずげな声だった。


「……フェルリナ様の殿下への印象が、別人としか思えないのですが……」


「団長っ! フェルリナ様が純真なのをいいことに騙してなんていませんよねっ!?」


「大丈夫だよ~、さすがにそこまであくどくはないハズ~」


「……おいお前ら、いい度胸だな……」


 アルヴェントの声が低く沈む。が、物騒な台詞とは裏腹に、雰囲気がどことなく柔らかい。


 こんな風に気のおけないやりとりなど、クライン王国の騎士団では聞いたことがなかった。いや、きっと周りではあったのだろうが、加護なしと蔑まれているフェルリナと軽口を叩きあってくれるような相手などいなかった。


 はぁ~っ、と大きく吐息したアルヴェントが立ち上がり、フェルリナに手を差し出す。


「騒がせて悪かった。大切な聖女であるきみに、過度な負担をかける気はない。その……。だから、安心して休んでほしい」


「あ、ありがとう、ございます……」


 アルヴェントの手を借りて立ち上がり、ぎこちなく礼を述べる。まだ顔は熱く、心臓はぱくぱくと騒いでいる。


 だが、アルヴェントの誠実さを知られたことが、嬉しい。


「お騒がせして、申し訳ございませんでした。ですが……。アルヴェント様のお優しさを知れて、よかったです」


 アルヴェントの左頬に傷の走る面輪を見上げ、にっこりと微笑むと、「い、いや……」と戸惑ったような声が返ってきた、


「きみが安堵してくれたのなら、何よりだ……。ああそうだ。起きたのなら、何か腹に入れておくか? 軽いものを用意させよう。食べておかねば身がもつまい」


「お気遣いありがとうございます」


 明日からも旅は続く。これ以上、アルヴェントに迷惑をかけないように、しっかり体調を整えておかなければ。


「では、ナレットかチェルシーに用意させよう。……説教は、その後だな……」


「えぇっ!? あの、二人は何も悪いことなどしていませんので……っ!」


 きびすを返そうとしたアルヴェントの服の裾を掴んで引きとめると、アルヴェントが苦笑した。


「きみは本当に優しいな。……わかった。二人は不問に付そう」


「はいっ、ありがとうございます!」


 笑みを浮かべて礼を言い、服を掴んでいた手を放すと、なぜかアルヴェントがふたたび小さく呻いた。が、何も言わずに背を向け、扉へ向かう。


「……選択を間違った気がする……」


 扉を開けながら溜息まじりに呟く低い声が聞こえた気がしたが、


「フェルリナ様は本当にご無事なんですよねっ!?」


「逢ったばかりの乙女を泣かしたら、さすがの団長でも軽蔑しますよ!?」


「団長ったら、フェルリナ様を部屋に押し込むなんて大胆~っ!」


 開けた瞬間、なだれ込んできたロベス達の声にまぎれ、フェルリナの耳にまでは届かなかった。


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