最終日・夜/残っていくもの

 営業が夜を回ってからも、知っている顔は何人も見えた。

 この一年でももくりを好きになってくれた常連さんはもちろん、ゴミ出しのおばさんも、ウォーターサーバーのおっさんも、二人組の刑事さんも来た。江津さんのご両親も来た。コハナは他の店員さんに任せたらしい。

 果てには、私との直接の縁は薄いこんなお客さんまで来た。


「来ましたよお、せんぱあい」

「うおっ!? どないして突き止めたんや!?」

「SNSで顔出ししてるじゃないですかあ。バレバレですよお、大前せんぱあい」


 にやりと笑んでいるのは『天然たい焼き工房』の後輩さんだった。店でのだらっとしたイメージとは一転して派手ないでたちである。巻き巻きヘア、胸元ザックリのキャバドレス、赤く引いたアイライン。美傘みたいな田舎には似つかわしくない夜の都会っぽい女性だ。

 予想外の人物の登場に私も驚き、固まっていたが、はっとしてカウンターまで飛び出す。あの店で働いた狼藉を思い出した。


「たい焼き屋の店員さんですよね!? あのときは大変なご迷惑を……!」

「ダイジョブですよお、愛、感じましたし。栗餡いっこお願いしまーす」


 ぺこぺこと頭を下げる私を謎の理由で無罪放免し、彼女は滝野に向き直った。子どもみたくぷくっと頬を膨らませる。


「にしてもせんぱあい、急にうち辞めちゃうとかひどいですよう。何も言わずにい」

「えっ? 滝野あそこも辞めたの?」


 思わぬ情報に口を挟む。滝野はそっぽを向いて口笛を吹いた。


「うちでは貴重な戦力だったのにい。味落ちて売上に響きますよお」

「その分ジブンが腕磨いたらええねんて。やればできるやろ」

「無理ですう。戻ってきてくださあい」


 後輩さんは舌足らずな口調でぶんぶんと腕を振り駄々をこねる。細い手首に巻かれたチェーンがチャラチャラと軽い音を立てていた。滝野とは別ベクトルで見目良さと面倒さが混在したキャラらしい。


「弱ったなあ。どないしよ」

「社員登用の件は白紙ですけどお」

「あ、なら遠慮しとくわ。今さら最低賃金でリスタートとか勘弁やし」

「そんなの自己責任ですう! 無理に退職決めたのは自分でしょお!」

「手に入るはずのもんが取り上げられたらそらモチベだって失せるやろ」

「だいたいうち辞めてここも閉めて、これからどうするつもりなんですかあ!」

「自分探しの旅に出る」

「は?」


 後輩さんの喉から漏れた地声は思いのほかハスキーだった。

 私は必死に反応を堪えた。事実でも言い方というものがあるだろう。

 ドヤ顔な滝野を前に、彼女は疲れたようにこちらに話を振る。


「……桃ちゃんでしたよねえ? このお姉さんのお世話、お疲れ様でしたあ」

「いや本当に。そちらもたぶん大変でしたよね。ご心労お察しします」

「おいコラ、何ふたりで通じあっとんねん。人を指差すなコラ、失礼やぞ」

「せんぱいの存在よりマシですう。今までたぶらかした女の子たちに謝ってくださあい」

「ぶふっ」


 つい噴き出した私を見て、後輩さんは嬉しそうににんまりした。

 それから私と彼女は滝野をネタにしばらく話を弾ませた。

 互いの職場に居るときの姿やしょうもないエピソードを持ち出され、滝野は初めこそ気まずそうに、面白くなさそうに腕を組んでいた。けれど途中からツッコミが増え、終わりには会話に混ざってくれた。

 滝野の同僚と仲良くなれた。このことは不思議と心に沁みた。

 軽やかな気分で一丁焼きを焼く。


「んん~うちの栗餡より美味しいい! 桃ちゃんうちで働かなあい!?」


 彼女はももくりの一丁焼きを心底美味しそうに食べてくれた。



         **



 十九時二十分前、じきに閉店という頃合いでそのトリオは来た。


「いらっしゃいませ! よう来てくれたなあ……って、落ち着いてからのがよさそう?」

「ぶええ~~~~」


 なりふり構わず大泣きしながら近づいてきたのはきのはさんだった。彼女の両脇には先輩である加賀麻さんと霜寺さんが潜り、後輩の腕を肩に回して運搬するように歩いてくる。加賀麻さんは楽しそうな、霜寺さんは嫌そうな顔をしていた。


「本当に閉めちゃうんですか……? なんで……やっと再現できたのに……」


 真っ赤な頬に涙を滑らせてきのはさんは切実に訴えてくる。

 私は面を伏せて答えた。


「滝野がメンヘラ拗らせたから……」

「身も蓋もない言い方せんといて……。八月入ってから週何度も来てくれてありがとうな、きのはちゃん。ジブンが持ってきてくれたゆうひかりのおかげで再現まで漕ぎつけた。けど、期限も在庫も今日でしまいやねん。堪忍な」

「う……ううう~~~~!」


 余計に泣き出してしまうきのはさん。

 ぐずぐずの彼女に代わり、加賀麻さんが滝野と話を進めた。


「すいません、こいつずっとこの調子で! 先に予約した分もらえますか?」

「予約の二十枚はこちらですー。せっかくやし追加で食うてきます?」


 持ち帰りの箱ふたつを渡した滝野がさらに注文をうかがう。加賀麻さんは霜寺さんと目配せを交わして、人差し指を立てた。


「んじゃラストだしあんこいっちょ! 王道!」

「……右に同じで。直里もそれでいい?」

「うう~~……お願いじまずう……苦しい……」


 霜寺さんからティッシュを鼻に押しつけられたきのはさんが頷く。

 餡の残りを確認し、私は三枚のたい焼きを焼き始めた。


「パティちゃんあれから倒れたりしてない? お姉さん心配したよホントに」

「おかげさまで元気です。滝野が車にクーラー入れてくれましたし」

「そっか! あのさ、焼きながらテキトーに聞いてくれちゃっていいんだけど。パティちゃんはここが閉店してからまたキッチンカー始めるんだよね?」

「はい。受験終わって諸々準備できたら」


 答えると彼女は何やら手元でごそごそと物音を立てている。こちらは背中を向けているため何をしているのか見当がつかない。火加減を見ながら言葉の続きを待つ。


「んぬー、なんか鞄の底で引っかかって出てこねー……とっ! 出た出た」

「ほなちょいと拝見。なになに。『しんどい気持ちをラクにする! 身近な人のための心のマニュアル』?」


 手を離せない私に代わって、カウンターに立つ滝野が読み上げる。


「ギャー間違えた! こっちですこっち!」

「加賀麻さん優しいなあ。ほな改めて。『キッチンカー・お弁当販売 出店者募集』やと」

「へえ?」


 焼き型片手に相槌を打った私に、加賀麻さんが声を投げる。


「そう! 場所はなんとうちのキャンパス! 基本はランチタイムだからお弁当とかご飯ものがメインだけど、実はスイーツ系もOKなんだよね。クレープ屋とか普通にあるし。だからさパティちゃん、高校卒業したらうちの大学来なよ! 物理的に!」

「えっと、私まだ美傘の大学に行くか決めてないんですけど」

「学外の人でも出店OK! それにそれ、十年近く前からずっと募集かけ続けてるから。来年すぐじゃなくても大丈夫! 大学暇になったらでいいからさ!」


 私は焼き型を引っくり返し、中火程度に火力を絞った。

 彼女の提案はありがたかった。けど、即答できない自分がいた。


「ええやん。ツテもコネもなく出店場所見つけるんは割と大変やで。ここや名古屋ですんなり決められたんも結構な僥倖やしな」

「加賀麻さん、教えてくれてありがとうございます。考えておきます」

「ん? 迷う要素あるんか?」

「うん、進学先次第では県外に引っ越す可能性もあるから。そしたら美傘からは遠くなるし、安請け合いはできないかなって」


 私は焼き型の蓋を開いた。香りが立ち、数秒の間が空いた。


「あー……考えとらんかったわ。その場合家はどないするん?」

「まだ特に決めてないけど、いきなり引き払ったりはしないつもりだよ。ごめんなさい、加賀麻さん。誘ってもらったのにすぐお答えできなくて」


 たい焼きを包みながら謝ると、彼女は両手を胸の前で左右に振った。


「いいっていいって! どこだろうとパティちゃんが元気にやってれば何より! なんならあたしのほうから出向くし!」


 白い歯を見せて加賀麻さんは笑う。

 霜寺さんが彼女の肩に手を置く。


「……加賀麻、上出来。前よりはずっといい」

「ん? どゆ意味?」

「……大前さん、たい焼き焼けましたよね。受け取ります」

「おっとせやった。桃パスプリーズ。ほい、はい、お待ちどうさま」


 滝野から霜寺さんを通してたい焼きが三人の手に渡る。

 加賀麻さんがきのはさんをつついた。きのはさんが大きく鼻をすすった。


「「「いただきます」」」


 みっつの声が揃うと、それぞれに渡したたい焼きの頭がかじられた。


「んー! おーいしー!」

「……ふむ」


 幸せそうに咀嚼する加賀麻さんとなぜか思案顔の霜寺さん。

 その間でたい焼きを嚥下したきのはさんがおもむろに顔を上げた。


「柊さん、栗須さん」

「は、はい」

「はいなんでしょう?」

「ありがとうございました!」


 彼女はたい焼きを手に持ったまま、その場で九十度のお辞儀をした。

 場に居る一同できょとんとする。


「え? いえ、お礼を言うのはお買い上げいただいた私たちのほうですけど……」

「お店を始めてくれたことにです! あたし、ずっと話し続けますから。美傘にくりすやさんがあったこと、柊さんが道具をもらったこと、ももくりさんを立ち上げたこと、最後はちゃんと再現できたこと。全部全部忘れません。問題なければブログとかにも残します!」


 きのはさんは強い目でそう語る。とっくに涙は引っこんだらしい。


「くりすやさんが閉店してから、あたし、ずっと後悔していたんです。なくなる前に何かできたかも、せめて感謝を伝えればよかったって。だから今回は失敗しません。きちんと伝えるし、応援します」

(……あ、去年うちにわざわざゆうひかりを持ってきてくれたのも……)

「なくなってからもやれることはします。自己満足かもしれないけど。買えなくなったたい焼きの話なんて、意味ないのかもしれないけど。ただのファンでしかないあたしにできるのって、せいぜいそのくらいだから」


 出窓の角に付いている夜用のスポットライトが瞳を照らす。ひと気のない夜の公園前で、彼女は灯台のように光っていた。

 私と滝野を真摯な面持ちで見つめる彼女を見ながら思う。

 この人がうちのお客さんでよかった。

 私たちを見つけてくれて、よかった。


「それで、叶うなら誰かに届いてほしいなって、そんなふうに思います。その人が自分の好きなお店をなくすとき、後悔しないように」


 そこまで言って彼女は再び食べかけのたい焼きにかじりついた。いろんなものを噛みしめるように、我慢するように目をつぶっている。

 私はカウンターに一歩近づいた。こみあげる熱が言葉になった。


「きのはさん。やっぱり、お礼を言うのは私たちのほうだと思います」

「ごめんなさい、今口にたい焼き入っててうまく会話できません」

「なあ桃、アタシにはきのはさんめっちゃ喋っとるように聞こえるんやけど」

「腹話術らしい。……今までずっと通ってくださって、ありがとうございました」


 他の常連さん方にも伝えた台詞を口にして頭を下げる。過剰な特別扱いはしない。同じ温度感、同じ距離感。はみ出ないことがうちに来てくれたお客さんへの礼節だと思った。

 数秒の後に頭を上げ、私は冗談交じりに付け足す。


「ところで、私が新しいお店始めたら宣伝してもらえたりします?」

「もちろ――いえ、美味しかったら考えます! まずは一度食べてからです!」


 やはり一線を引いたきのはさんの回答に私たちは笑った。




 三人が帰ろうとする間際、思い出したようにその人は振り向いた。


「……柊さん」

「はい、なんでしょう」


 寡黙な霜寺さんと直接言葉を交わした回数は少ない。ましてや名指しで話しかけられるなど今回が初めてであった。

 彼女を置いてきのはさんと加賀麻さんは店から遠ざかっていく。

 果たして何を話されるのか、期待と不安を半々に待っていると、


「……水、変える前のが好きだったかな。今の味はくっきりしすぎてる」

「へ?」

「……これでこの店のレシピが完成に至ったとは、私は思わない」


 思いもよらない指摘を受けた。一瞬、思考回路が停止する。

 彼女は今度は、私の隣の滝野に目線を流して続けた。


「……くりすやはたしかに名店でした。けど、ゴールではないと思います」

「それは――まあ、そうかもしれませんね」

「……大前さんの引退も残念でした。たまの軟投も味だったのに」

「は?」

「……味の好みは人それぞれ。柊さんも気負いすぎないほうがいい」

「すみません、どういう意味ですか?」

「……これからも頑張ってってこと。釈迦に説法かもしれないけど」


 レシピの変化を的確に見抜いた彼女はそこで踵を返した。

 こちらを見返り、軽く顎を上げ、ビッと立てた二本の指を振る。


「あなたならホルモンたい焼きを越えられる。……アデュー。応援してる」


 聞きようによってはひどく偉そうに、言うだけ言って霜寺さんは去った。


「……」

「……」


 私は滝野と顔を見合わせた。ふたりして反応に困っていた。

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