それぞれの仕事と美味しくなあれ

 蒸らしを終え、両手で持ったサワリからザルへと小豆をあけていく。


「あっ……きれい」


 炊きあがった小豆は一粒一粒がぴんと張り輝いていた。腹割れはもちろん起こってないし、皮に皺ひとつすら寄っていない。磨き抜かれた玉のようなつやつやの豆肌につい見とれてしまう。


「では次はシロップを作ります。煮ている間に計った砂糖とお水をサワリに入れてください」


 下される指示に慌てて動く。せっかくの素晴らしい生餡も乾燥させてしまっては台無しだ。

 計量済みの白ザラを盛った皿をサワリの中へと傾ける。金属と砂糖の粒がさらさらと気持ちのいい音を響かせた。

 白ザラ――正式には白双しろざら糖と呼ばれる平たい四角の粒は、ショ糖の純度ではグラニュー糖と並び他の追随を許さない。無色透明の見た目に違わずその甘さには一切クセがなく、素材の味を邪魔することなく洗練された甘味を加えられる。高級菓子の素材からクッキーなどの焼き菓子のトッピングまで。幅広く用いられる、上品であっさりしたざらめの一種である。


(ももくりでは中ザラ……カラメルを混ぜた茶色のざらめを使ってた。あと三温糖と氷砂糖も。けどヒツジヤは白ザラだけ。豆も煮方も、砂糖まで違う)


 続けて水を投入し、火をかけながら木べらで混ぜてなじませる。白ザラが半分ほど溶けたタイミングで生餡をサワリに戻す。

 ここまで来れば残すは最終工程の餡練りのみである。

 焦がさぬよう、豆を潰さぬように気合を入れ直していると、唐突に隣から肩を叩かれた。振り向くと星月さんが微笑む。


「ありがとうございます、桃さん。餡練りは私がやりますので」

「え? でも星月さん、腕が」

「練りくらいなら片手でもできます。ほら、手袋もはめられましたし」


 右手首を回す星月さん。その右手にはいつの間にか紺色の手袋が装着されていた。

 三角巾に包まれた白いギプスと手袋を見比べていると、にゅっと彼女の手が伸びてきて私の手から木べらを抜き取った。

 あれよあれよという間に私と星月さんの位置が入れ替わる。

 気が付くと、サワリの前に立つ彼女を横から眺める形となる。


「では」


 コンロの火を強めて、星月さんがゆっくり生餡を混ぜ始める。

 くりすやと違えど腕は本物、その技術は盗むに値する――手元を注視していると、彼女が小さく息を吸い、声を出した。


「美味しくなあれ~……美味しくなあれ~……」

「……」


 生餡を凝視しながら唱える彼女に私はツッコめなかった。幼い頃、家にあった絵本で似たような絵を見た覚えがある。漆黒のローブにとんがり帽子、煮え立つ釜を混ぜるアレは……魔女。


「そういえば桃さん、私からもひとつ質問していいでしょうか?」


 突然正気に返ったかのように星月さんが尋ねかけてくる。緩急でくらっときたが足を踏ん張って「なんですか?」と応じた。だいたい星月さんはボケているわけではない。素でこんなキャラなのだ。


「ももくりさんでは普段、たい焼きは桃さんが焼いているんですよね?」

「はい。一応、仕込みから焼きまで私がひと通りやっています。でも細かい下準備とかは滝野にも手伝ってもらってますよ」

「滝ちゃんは焼かないんですか?」


 訊きつつ無駄のない手捌きで星月さんがサワリを撹拌する。それこそ魔法をかけられた箒のように木べらが鍋底をすくい、焦がしも潰しもせず渦のような小豆の流れを生み出していく。


「たまにですけど、私にお手本を見せてくれるときはあります」


 沸騰しそうな餡とへらの動きを目で追いながら答えた。

 滝野の一丁焼きは私のそれよりも遥かに上手いしおいしい。中の餡がうっすら透けて見える完璧な黄金色の皮たるや、たい焼きのイメージを通り越してほとんど工芸品じみている。あれに比べれば私の一丁焼きはホームメイドの域を出ない。


(そういう意味では、見た目はくりすやのより良かった気さえするんだよね。お爺さんのはもっとムラがあった。でも……)


 くりすやのたい焼きは、ひとくち含むと心に星が瞬いたのだ。

 滝野のたい焼きは何度か食べたけど、あの感覚には至らない。


「けど、店先では私が焼いてます。というか滝野が決めちゃったんです。私が目的達成するまで一緒に焼くのはお預けだって」

「桃さんの目的というのは、くりすやの味をまた作ることですね?」

「はい、お爺さんにたい焼きの型を譲ってもらったのもそのためで」


 あの夏の日の勢いを思い出すと自分でもやや恥ずかしくなる。

 えへへと照れ笑いすると、星月さんがぴたりと手の動きを止めて、


「え?」


 初めて、まるで眠たそうではない、見開いた瞳で私を見た。


「……え? あれ、私なにか変なこと言いました?」

「……いえ、なんでもありません……ふふっ。ももくりさんは、桃さんの頑張りが実を結んだお店なんですね」


 ぽつりとそう呟いて彼女はすぐに餡練りを再開する。一瞬その目に差した光も火花のように立ち消えていた。

 ぷくぷく水泡を立てるサワリから甘ったるい湯気が立ち昇る。


「いえ、私なんてホントにただ店の中でたい焼き焼いてるだけで……ももくりのことは滝野に頼りきりで、ほとんど分業っていうか」

「なら、今日から一週間のももくりさんはちょこっと特別ですね」


 のんびりとした雰囲気を取り戻して星月さんがにこっと笑う。

 私は、今トラックで餡を仕込んでいるだろう滝野のことを思う。


「滝野だけにお店を任せるのも、正直ちょっと不安ですけどね」


 餡・生地の仕込みから焼成、そして接客と販売に至るまで。

 私がヒツジヤ珈琲店で星月さんに教わる一週間の間、一丁焼きももくりは滝野ひとりの手で営業される。


「では桃さん、塩をお願いします。今は手が離せませんので」

「こんな少しでいいんですね」

「多く入れると甘味が引き立ちますが、同時に野暮ったくもなります。田舎っぽくない、すっきりした餡のほうが私は好みです」


 砂糖と同様、小皿に計量しておいた塩をサワリに入れる。

 ときに大胆な、しかし最小限の撹拌が淀みなく続いて、少し経ったところで星月さんは木べらを動かす手を止めた。


「うん、このあたりで火を止めましょう」

「え? まだだいぶゆるくないですか?」


 お汁粉みたいな様相の餡を見て反射的に指摘してしまう。しゃばしゃばというほどではないがまだ液体に近く、水分が多い。冷める際に餡が締まるのを考慮しても柔らかい練り上がりだ。


「普通のたい焼きならその通りですが、ヒツジヤはこれでいいんです。桃さん、餡の引き上げをお願いします。片手では難しいので」

「了解です」


 ひとたび熱するのを止めた餡は瞬く間に固まっていく。私と星月さんは再度速やかに立ち位置を入れ替えた。

 サワリをコンロから下ろし、横に置いたバッターへと傾ける。


「熱いうちにバッターに移して。糖が焼けると味が壊れます」


 へらですくった餡はなめらかに落ちる程度の固さになっていた。

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