こじれた母娘と月9のドラマ

 陶器と陶器の立てるカチリと乾いた音がいやに耳に響いた。


「つまり、年明けのイベントを節目にこちらの店を閉店しようと」


 ラテの入ったカップをソーサーに戻した滝野が星月さんに問う。

 誰にも見えないテーブルの下で私は無意識に指を組んだ。暖房が効いた店内は暖かく居心地の良い空間なのに、この四人掛けのテーブル席だけ温度が下がったように感じる。


「ええ」


 彼女はゆっくりと頷いて、重くなりかけた空気を震わせた。

 隣では杏子ちゃんが親の仇のようにテーブルを睨んでいる。


「新春のイベントにはいつもたい焼きの屋台で参加してるんです。毎年遠くからいらっしゃってくれるお客様もたくさんいまして。ですのでそこで感謝の気持ちを伝えて、春頃に畳もうかなと」

「もし差し支えなければ、閉店の理由をお聞きしてもいいでしょうか」


 踏みこんだ滝野の面持ちがいつになく真剣で少し驚く。

 彼女自身、生家であるくりすやの閉業に立ち合ったばかりだ。何か思うところがあるのかもしれない。


「それは……」

「別に理由なんてないんですよ」


 星月さんの言葉の続きを待たず、冷えきった声が机上を裂く。

 声の主は真正面に座っている私たちに視線を固定し、隣に座る母親へのあてつけみたいに滔々と語り出した。


「うちが老朽化したわけでも、開発とかで立ち退くわけでもない。単にお母さんのやる気がなくなったんです。働き盛りのくせに」


 可愛い印象とは一転、尖った口調で母を責める杏子ちゃん。琥珀色の目の奥には熾火めいた感情の火が燻っている。


「別にそれ自体はいいと思いますよ、お母さんのお店ですもん。たくさんのお客さんがいても期待に応え続ける必要なんてない。けど、」

「杏子。お客様の前ですよ」

「教えてくれたっていいじゃん!」


 椅子を背後に蹴り飛ばすような勢いで杏子ちゃんが立ち上がった。

 突然の激昂にびっくりして私はその場で固まってしまう。対照的に滝野は落ち着いた様子で杏子ちゃんを見つめていた。まるで何かを探すようなまなざしで少女の言葉を待っている。

 座ったままの星月さんを上から睨みつけて彼女は叫ぶ。


「なんでたい焼きの作り方だけは教えてくれないの!? 別にいいでしょ! お茶もコーヒーも軽食メニューもひと通り作れるようになった! 後は一丁焼きだけなのに!」


 当の星月さんは眉ひとつ動かさず平然としていた。

 変わらず眠たそうな目つきのまま、怒る娘に淡々と答える。


「今のあなたには余分だからです。大人になったら教えてあげます」

「っ――!」


 こぼれ落ちそうなほど目を見開き、杏子ちゃんはきつく拳を握る。瞳の表面に張り詰めた気持ちがわなわなと震え出していた。


「……もうすぐ閉店するのに、大人になったらって何。バカにしてるの?」


 今にも落ちてきそうなそれをぎゅっと目蓋で潰し、身を翻す。


「もういい! お母さんの好きにすれば!? こんな店、潰れちゃえばいいんだ――!」


 椅子も戻さず駆け出した彼女を星月さんは凪いだ目で見送る。

 先ほど下りてきた入口側の階段まで逃げるように走って、二階に駆け上がる杏子ちゃんの上体が、急にぐらりと傾いた。


「痛っ……あ――」


 階段の中腹で悲鳴をあげ、背中側にゆっくり倒れていく。

 スローモーション撮影でも見ているかのような錯覚が生じる。


「杏子!」


 段差につま先でも引っかけたか。手すりを掴むそぶりも見せない。

 危ないと声が出かけたそのとき、とっくに滝野は動き出していた。

 三秒にも満たない時間を経て鈍い激突音が響き渡る。


「っつう……!」

「え――あ――」


 うめく滝野と戸惑う杏子ちゃんの声が交互に耳に届いた。

 滝野は一階の床でどうにか杏子ちゃんを抱き止めていた。壁に背中をしたたかに打ちつけ、痛苦に眉根を歪ませていたが、腕の中から心配そうに見上げる顔に気付き表情を変える。


(……滝野って本当に子どもが好きなんだな。まあ、そういうもんか……)


 杏子ちゃんに向けられた作り笑顔を見て、私はそんなことを思う。


「気いつけや、せっかくのかわええ顔なんやから」

「へ……あ……はい………………かわ?」

「ちょい傷がついたくらいでダメになるような見た目やないけどな。単純にもったいないわ。もっと自分を大切にしたってや」


 冗談めかした物言いで杏子ちゃんの容姿を褒める滝野。

 アーモンド型の目をぱちぱちさせる少女ににかっと笑いかける。


「ジブンやママのためやないで。他ならんアタシのためや。……なーんて」

「あ……」


 小さなかすれ声をあげて杏子ちゃんはしなだれるようにうつむいた。何やら感じるものがあったらしい。月曜九時のドラマみたいだ。

 耳まで真っ赤な彼女の華奢な身体を床に下ろして滝野が立つ。


「どっか痛むとこないか? 少なくとも頭は打ってへんよな」

「だいじょうぶ、です……」

「なんかあったらすぐお母さんに言うんやで。そいじゃ、おやすみなさい」

「おやすみなさい、です……」


 杏子ちゃんは苦しげに胸を押さえてふらふら二階に上っていく。ぽーっと上気した頬はお酒を飲んで酔った人みたいに見えた。

 一連の流れを私と星月さんは茫然と見守っていた。

 というか、見守ってしまっていた。


「って、滝野!」


 事が済んではっと我に返り、慌ててふたりで滝野へと駆け寄る。


「滝野大丈夫!? 結構すごい音したよね!?」

「たたたた滝ちゃん、怪我、怪我は!? あわあわあわ、きゅうきゅう救急箱……!」


 青ざめてラップを刻む星月さんを滝野が手で制しつつ言う。


「鍛えとるんで大丈夫です。それより、あの子叱らんといてください」

「は、はい……えっ?」

「さっきはあんなこと言うてたけど、一晩経てば頭も冷えるでしょ。年頃の子なんてあんなもんです。アタシからもフォローしときますから」


 滝野は何事もなかったかのようにテーブル席に戻っていく。

 あっけに取られる私たちをよそに、彼女はさらりと提案した。


「それより、代理出店の件で折り入ってお話があります」



         **



 車中泊では同一の場所に連泊することは望ましくない。

 同じような考えの車両が集まって何日も滞在すれば、駐車場はすぐ満杯になり他の客への迷惑になるからだ。無料のトッピングを過剰に盛ってはならない飲食店と同じ。利用者と権利者が気遣いあうことでサービスは成立している。

 道の駅や公園、パーキングエリア、さらにはオートキャンプ場など、愛知県内で車中泊可能なスポットは目星をつけてある。滞在期間中はその数ヶ所をローテーションする予定だったが、私と滝野は思わぬ形で駐車場には困らなくなった。


「シャワーまで借りちゃってよかったのかなあ」

「ええねんええねん、せっかくのあちらさんのありがたい申し出なんやから」


 ハーブのようなシャンプーの香りが滝野の髪からふわりと漂う。

 寝支度を整えた彼女は例によってトラック後部に来ていた。飲み物でも欲しくなったのか、備え付けの冷蔵庫を覗きこんで「しけた中身やなあ」とほざいている。生憎お酒は置いていない。


「そりゃ、駐車代と銭湯代が浮いたのはものすごくありがたいけど……」


 星月さんのご厚意に預かり、私たちはヒツジヤの駐車場の一角を借りることになった。

 たい焼きは今まで通り私営塾の敷地に出店して売り出し、寝泊りは今日から愛知を発つ日までこの駐車場で継続する。星月さんは家の空き部屋を貸したがってたけどさすがに固辞した。

 とはいえトイレやバスルームの使用許可までいただいてしまっている。迷惑度合いで言えば部屋くらい貸しても変わらないのかもしれない。

 押しつけられるように渡された家の鍵をポケットの中で握る。

 申し訳なさとありがたさの間で反復横跳びする思考。私の煩悶を見て取った滝野が缶コーラから口を離す。


「これから一緒に仕事するんやし、遠慮よりも距離詰めたほうがええ。受け取れるもんはたんと受け取って、その分こっちも返していこうや」

「返すってどうやって?」

「アタシらは何屋や?」


 缶を持った手首をスナップさせ、滝野が流し目で問いかけてくる。


「一丁焼きのたい焼き屋だね」

「せや。できることなんて決まっとる」


 くいっと缶をあおり、彼女は美味しそうにコーラを口に流しこむ。それ自体が生き物のように上下する白い喉を眺めていると、唐突に問い質したくなった。


「滝野ってロリコンなの?」

「ごはっ!」


 盛大にむせ返る滝野である。激しく動揺するあたりにやましい気持ちを感じられなくもない。


「こんガキャいきなり何言い出すんや!」

「いやなんとなく。あとめんどくさい女の子とか好きなのかなーって」

「ジブンよりめんどい奴はアタシの知り合いにおらんから安心せえ!」

「別にロリコン趣味自体は悪いことじゃないと思います」

「うむ。ってだからロリコンちゃうわ!」

「今度はたぶんって付けないの?」

「……あったまきた! 躾けたる!」

「よし来い!」


 そして無言の攻防(デコピン合戦)が始まる。アルプス一万尺もかくやとばかりの神速の応酬が続き、人差し指と中指と薬指がまとめて攣りそうになった頃。


「な、何やっとるんやろなアタシら……」

「ホントだよ……認めない滝野が悪い……」

「なんやて――ってもうええわ。疲れた。……けどまあ、せやな」


 肩で息をしながら、滝野は結局軽やかにこう言ってのけた。


「アタシ、あーいう子好きやで。子どもはダダこねてるくらいがちょうどええ」

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