私と彼女の愉快なクルマ旅

 そして、その日の朝がやってきた。


「桃~ご飯おかわり~」

「自分でよそってきなさい。っていうか、なんでエマがうちに居るのさ」

「あ、ならアタシもおかわりするからついでに盛ってくるわ。石動さん、茶碗パス」

「わ~栗須さんありがと~ございや~す。お願いしや~す」

「そんなに甘やかさないでいいよ滝野。このエマどんどんつけあがるよ」

「ええからええから。桃はおかわり要る?」

「ん、大丈夫。ありがとう」


 言うと滝野が席を立ち、炊飯器のあるキッチンへと歩いていく。

 私は彼女の背から目を離し、正面に座って味噌汁をすすっているエマに再度尋ねかけた。


「滝野の作る味噌汁うまいよね。今朝はこれにタカるのが目的?」

「違うよ~桃じゃないんだから~。今朝来たのは単にお土産頼むの忘れてたな~って」

「なんだお土産か……後で携帯にメッセでも入れてくれればいいのに」

「でも桃のことだから既読スルーしてそのまま忘れそうだし~」


 的確な分析であった。が、反論の台詞はすぐに思いつく。


「シャロンちゃんの分があるから忘れません」

「うお~あたしの扱いが軽い~」


 よよよ、と泣き真似するエマの前に戻ってきた滝野が茶碗を置く。呆れと慈愛を足して二で割ったような面持ちで微笑んでいた。


「アンタらホンマ仲ええなあ。つうと言えばかあって感じやで」

「どこが。エマとはただの腐れ縁だよ」

「そ~そ~ふたりは腐れ縁~」


 楽しそうに歌いながらエマがぱかぱかと白米を口に運ぶ。なんでも幸せそうに食べるのは彼女の数少ない美徳である。

 ひと足先に朝食を食べ終え、私はテレビ画面に目をやった。

 朝のニュースの天気予報は全国的な快晴を告げている。出発予定の八時ちょうどまで残り一時間を切っていた。忘れないうちにエアコンを切って、空いた食器の片付けに取りかかる。


「栗須さ~ん、ふつつかものですけど桃のことよろしくお願いします~」

「お~任せとき~。そやな~、ビニールボートくらいに乗ったつもりでな~」


 キッチンで皿を洗っている間も歓談の声が流れてくる。エマにつられて滝野の口調もそこはかとなく間延びし始めていた。初対面時から和やかだったし、割と波長が合うのかもしれない。

 やがてふたりも食事を終えてこちらの洗い物に加わった。やや手狭で動きにくいものの、三人でかかるとやっぱり早い。キッチンスペースはあっという間に整然とした姿を取り戻す。

 残るは最終確認のみだ。

 勝手口から掃き出し窓に至るまでぐるりと部屋を一周する。逐一声に出すのも忘れない。


「戸締りよし、水道よし、ガスよし、エアコンよし、電気よし。……オッケーかな。じゃ、そろそろ行きましょうか」

「せやな。石動さん、家出るで」

「了解で~す」


 荷造りは昨日のうちに済ませて大半をトラックに積んである。

 最低限の手荷物だけが入ったいつものデイパックを背負って、滝野に続きリビングを出たところで私はエマに呼び止められた。


「そ~だ桃~、これあげる~」

「うん? 何さ急に」


 振り向きざまにエマが私の手を取り、ぎゅっと何かを握らせてくる。手のひらの中に毛皮のようなふさふさとした感触が広がる。

 つい手を開くと、掌上には白い毛の塊が鎮座していた。


「なんじゃこりゃ。毛虫?」


 太い唐辛子みたいなフォルムのそれをまじまじと眺めやる。端には留め具とチェーンがついていた。どうやらキーホルダーらしい。


「違うよ~。ラビットフットってお守りだよ~」

「お守り?」

「由来は色々あるんだけど、魔除け兼幸運を呼ぶアイテムだよ~」

「魔除けって聞くと物騒だな……まあ厄除けと同じか。ありがとう」

「いいってことよ~」

「エマが外国っぽい物くれるのって初めてな気がするよ。びっくり」


 本当は、旅の安全を祈ってくれたことが一番の驚きだった。

 けどそんなことを言うのも気恥ずかしいので茶化してしまう。


「なんや桃たちふたりで話かー? 先にガレージ行ってるでー」

「あ、うん! ごめんすぐ追いつくから」


 返事をよこすと、先に家を出た滝野が玄関扉を閉める。

 廊下で私たちふたりだけになって、ふいにエマがぽつりとこぼした。


「桃はさ~、栗須さんのことどう思ってる~?」

「へ? どうって?」

「あたしはね~、いい人だと思う~。料理も上手いし、気が利くし、優しいし、ついでに見た目もきれ~だし。結婚するならあんな人がいいよね~って感じ」

「そ、そうかなあ……?」


 滝野への高い評価に戸惑う。たまに顔を合わせる程度の付き合いならそんな印象にもなろう。しかし、日頃接する私としてはお調子者のイメージが強い。だからこそ時おり見せる大人の表情にどきりとするのだけれど。


「でもさ~、栗須さんって自分のこと全然話さないよね~」

「……うん、そうだね。でもまあ、たいしたことじゃないでしょ」


 無意識にラビットフットを握りしめる。

 私とて自分のことを滝野にわざわざひけらかしはしない。それと同じことだ。

 問題はない。


「それがね~、あたしはなんか、怖い~」



         **



 車は東関道から首都高を越え、東名高速道路に入っていた。

 千葉県を抜けてからしばらく続いていた都内のくすんだ景色は、気が付くと田園に囲まれたのどかな風景へと変わっている。美傘のそれとさしたる違いはないはずの山々の緑が、今の私の目には色濃く映った。

 窓を開けて肺いっぱいに空気を取りこみたい衝動に駆られる。けど危ないのでぐっと我慢する。


(中学の修学旅行のときも静岡は通ってるはずなのにな)


 カーラジオが奏でるJ-POPを聴きながら思い出を掘り起こす。

 中三の春、同級生との仲もこなれてきた頃の旅だった。向かう先は西の都・京都、移動は新幹線で乗り換えなし。道中、窓際から見た富士山と茶畑は印象的だったけど、お菓子をつまみつつウノをするうちに着いたという印象が強い。二時間ほどの移動は旅というよりかはワープに近かった。


(今はなんか、あのときよりもっとずっとテンション高いみたいだ)


 膝の上に置いた手製の地図に目線を落として苦笑する。

 図書館で借りた地図をコピーして、経路とSA・PAを書きこんだ簡単なロードマップである。ドライバーである滝野のナビゲートが助手席の私の仕事だ。カーナビに頼りきりだと指示が遅れそうなので事前に準備した。

 私たちを乗せたキッチンカーが山間を縫うように進んでいく。


「ちょっと早いけど、もう少ししたらお昼にしようか。滝野もお腹空いたでしょ」


 運転席の滝野に提案する。全体の行程からすればまだ半分過ぎていないとはいえ、ここまで二時間近く走っている。ひと息入れる頃合いだろう。

 当の滝野は鼻唄でも歌い出しそうな余裕の顔つきだけど。


「せやなあ、また桃の腹の虫を聞くのも忍びな……おお、富士山や。見てみい桃」

「見えてる見えてる。すごいね、なんか彫刻みたい」

「本物に作り物っぽさ感じてどないすんねん。わからんでもないけど」


 カーブに沿ってなだらかにハンドルを切りながら滝野が笑う。

 美傘市から湾越しに小さく見える富士とは迫力が違った。麓付近から山頂にかけて、黒ずんだ山肌が冠雪に木々の根のようなヒビを刻んでいる。山岳の形状と雪化粧のコントラストが際立った威容。日本一の山と呼ばれるだけの荘厳さだな、と素朴に思う。

 そうこうしている間に車は足柄サービスエリアに辿り着く。

 足柄といえば金太郎こと坂田金時の伝説だけど、ここには金太郎ラウンジというSA初のリラクゼーション施設があるらしい。

 混雑する駐車場の中から空いたスペースになんとか停車し、車を降りてぐっと背を伸ばす。


「んーっ! 空気が気持ちいい! 寒いけど!」

「シャバの空気は最高やなあ。どれアタシも……んーっ!」


 誤解されるような物言いの滝野がこちら側に来て伸びをする。ぱきぱきと小枝を折るような音が彼女の肩と腰から響いた。


「とりあえずご飯にしようか。滝野は何か食べたいものある?」

「うんにゃ特に。適当に回って美味そうな店に飛びこもうか」

「賛成。でもあんまり高い店はダメだよ。道先は長いんだから」

「なんや引率のセンセーみたいやなー。けちー」

「帰りに余裕があったら鰻でも足柄牛でも頼んでいいから」


 ずらりと並んだ路面店も気になったがまずは屋内に向かう。

 パキっとしたフォントで『EXPASA足柄』と表された看板をくぐり、自動ドアを抜けると中はたくさんの人たちでにぎわっていた。タイル張りの明るい内装はミカーサモールを彷彿とさせる。

 特産品のショッピングコーナーを尻目にフードコートに足を運び、少し迷ってうどん屋に入る。私は豚汁うどん、滝野はミニ天丼のセットをチョイス。SAの食事だからとそこまで期待せずにすすり始めるも、これが思いの外おいしくて驚く。滝野からひとくちもらった桜海老のかき揚げも秀逸だった。

 丼の中身がなくなり、残ったお冷のグラスに口をつける。

 見ると滝野も示し合わせたようにお冷をくぴくぴ飲んでいた。


「さて、身体も休まったし腹も膨れたしぼちぼち車に戻ろか」

「んー……いや、せっかく来たんだからもう少し色々見ていこうよ」


 足柄サービスエリアに降りてからまだ三十分も経っていない。

 ドライバーは休息を長めに取れと旅行ガイドにも書いてあった。


「しゃーないな、少しぶらついてこか」


 滝野は小さく息をついて笑い、お冷を空にして立ち上がる。

 昼食を済ませた私たちは二階の展望テラスへと登った。

 ガラス戸を押し開けると冬の冷気が温まった五体を撫でる。吹きさらしのテラスは人も少なく、雄大な富士山を一望できた。気温がひと桁という一点を除けば絶好のロケーションだ。


「うーさむ……そうだ、江津さんたちに写真送ってあげよっと」


 スマホで写真を撮影して、作成したメッセージに添付する。文面は思いつかないので「フジヤマ! ゲイシャ! ハラキリ!」と書いて送った。横から画面を覗いた滝野が顔全体で呆れを表現する。

 江津さん、エマ、ミウミウは寿司、すき焼き、天ぷらのスタンプを返してきた。


「ハラヘリ……?」

「アカン、見とるだけでアホが伝染りそうや。……しかしすっかり冷えてもうたな。ここまで来る途中で見かけたんやけど、あっちに足湯があるらしいで。ワンコインもせんし寄ってこうや」

「足湯! いいね、行こう行こう!」


 テラスで凍えた身体を抱えて今度はラウンジへと移動する。ここに来る前に下調べしておいた例の金太郎ラウンジだ。

 ラウンジは足柄浪漫館という複合施設内に居を構えていた。土産物売り場には射的や輪投げといったレトロな遊び処があり、また足湯以外にも展望風呂やサウナが備え付けられている。ドリンクバーやマッサージチェアまで完備の立派な温泉施設だ。

 寒いとはいえさすがにひとっ風呂浴びている時間の余裕はない。受付で料金を支払い、脱いだ靴を入口のロッカーに置く。

 広い木張りの店内を進むと、部屋の中央に掘りごたつ式の四角い大きな浴槽があった。

 早速素足を入れようとして、透明な湯の中身にぎょっとする。


「た、滝野……なんか、魚が泳いでる。しかもいっぱいいる。百匹くらい」

「さっきメニューに書いてあったやん。ドクターフィッシュやって」

「おさかな博士?」

「直訳すな。古い角質をついばんで取ってくれる魚らしいで」


 いそいそと靴下を脱ぎながら滝野が簡単に説明してくれる。改めて浴槽に目を向けると、五センチほどの黒い魚たちが水中を気ままに泳いでいた。


(こっ怖! だって食べるんでしょ!? 足! 噛むってことじゃん! 結構デカいし!)


 本能的な恐怖が湧き起こる。しかし口に出したらバカにされそうな予感がしてぐっと押し黙る。


(川遊びだと思えばいいのかな……でも川魚は人食わないじゃん。そんな魚ピラニアしか知らない……正面から見たら牙生えてんのかな……)


 私がひとり煩悶していると、席ふたつ分空けた左隣に若い女性の人が座った。慣れた様子で足を湯に浸し、気持ち良さそうに目をつぶっている。魚たちは彼女に懐くように白い足の周囲で戯れていた。共存共栄の幸福な形がすぐそこに実現していた。

 ごくりとつばを飲みながら見ていると、ふっと女性がこちらを向いた。

 まっすぐ目線がぶつかってしまう。


「気持ち良いですよ」


 にっこり微笑みながら言われてはもはや逃げるに逃げられない。

 人生何事も経験らしい。清水の舞台から飛び降りる気持ちで(実際どんな気持ちなのかあんま想像できない。死ぬのでは?)ぬるま湯に足を突っこむと、新たな獲物を感知した魚たちが徐々に寄り集まってきた。


「あわわわ、くすぐったい。けど、痛くはないですね」

「でしょう?」


 くすくす笑う女性と話す間もしきりに足を突っつかれる。なんともくすぐったい感触だけど、不思議と不快感はなかった。むしろ一生懸命な姿がだんだん可愛らしく思えてくる。


「それじゃアタシも失礼しよっかなっと」


 私の正面に腰を下ろした滝野がずぼっと湯に足を入れる。この人たまに異様におっさん臭いよな……などと思った矢先。


「あー気持ちええ……えっ」

「あれ、魚が向こうに……あ」

「あら、急に離れて……あ」


 滝野と私と女性の驚きの声が少しズレて重なりあう。

 全員の視線が、滝野の足にわっと寄っていく魚たちを追う。


「……」


 私と女性の足元には数匹の魚が残るばかりだった。さながら強力な磁石に吸い寄せられる砂鉄か何かのように、浴槽に居るほぼすべての魚が滝野の両足に群がっている。

 魚たちの故郷と化した自身の足を茫然と見つめる滝野。


「……」

「……」

「……」

「……アタシ、一応まだ二十代なんすけど」

「ぶふっ……!」

「た、体質の問題もあるみたいですよ?」


 滝野のしょんぼりした顔を前に私はたまらず噴き出した。女性の必死のフォローが広々とした浴室に空しく響いた。



         **



 それからも車はこまめにSAやPAで足を止めて、十分ほどの休憩を挟みながら一定のペースで進み続けた。足湯事件以降トラブルもなく、旅程通り中京圏に入る。名古屋インターから高速を降りる頃には陽も昇りきっていた。

 一般道路に入ると景色は雑然とした装いを取り戻す。

 空と道路が広いこと以外はごくごく平凡な街並みだけど、関東では見かけない数々の企業の看板を眺めていると『現地入り』という非日常的な単語が自然と思い浮かんだ。


「なんとかここまで辿り着いたねえ」

「せやなあ。長かったような短かったような」


 地図の上で一度旅した道を答え合わせするみたいに辿って、目的地の愛知に到着した。まだたい焼き一枚も焼いていないのにこの時点で達成感がある。


「滝野、そういえば愛知って交通事故の死亡率が二位らしいよ」

「県内入ってしばらく経つのに物騒なこと言わんといてくれる?」

「ちなみに一位は千葉」

「訊いとらんわ!」


 けらけら笑いながらドリンクホルダーのペットボトルに手を伸ばす。

 足柄サービスエリアを発つ前に水汲み場で汲んだ水である。曰く、古くから富士山に降った雨や雪に由来する伏流水を地下二百メートルの深さから汲み上げた名水だとか。

 そう言われれば後味がクリアでそこはかとなくおいしい気がする。この水でたい焼きの生地を作ったらまた違う感じなのだろうか。

 飲み口から口を離すと、ぬるい暖房の風が顔に当たった。

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