それゆけ愛知、いざゆけ高知

 見も知らぬ相手の厚意にすがり小麦粉をいただくというのに、宅配で郵送してもらい書状でも返して終わり、などとんでもない。せめて一度は直接会って頭を下げるのが礼儀というものだ。

 そう話がまとまるのはすぐだった。

 けど、いざ高知にうかがうとなると予定を立てるに難航する。


「あかんなー、年末年始の新幹線は全席埋まっとる」


 その夜、私たちは早速我が家のリビングで計画を練っていた。


「そりゃこの時期なら当たり前だよ。だいたい大晦日とかお正月に押しかけるのはありえないでしょ。早くても年明け、最低でも三が日過ぎたあたりでないと」

「む、それもそうやな。ちゅーかあれか、飛行機のが割安になるんかな」


 ふたりで並んで椅子に座り、食卓でノートパソコンを操作する。ディスプレイに表示された空席案内にはバツが並んでいた。発着する時間帯をずらして検索しても結果は変わらない。


「年が明けたら桃の学校も始まるしなあ。冬休みいつまでや?」

「一月八日の日曜日まで。五日か六日に行けば美傘での営業にも穴を空けずに済むよ。そういえば滝野、年末年始の営業ってどうするつもり?」

「土日はやる予定やったけど思いっきり晦日と正月やんな。客入りも読めんし素直に休んだほうがええ気も……ん、なんやこれ」


 カチカチとマウスを操っていた滝野の白い手が急に止まる。

 デスクトップの右下に見慣れない通知がポップアップしていた。


「『ヒツジヤ珈琲店 代理出店のご依頼』」


 書かれた送り主と題名を特に何も考えず読み上げる。

 自分の声が耳から頭に巡り、その意味を理解し、驚いた。


「出店依頼!?」

「まだオープンして一ヶ月も経ってへんのに。どこで見つけたんやろ?」


 届いたばかりのメールを滝野が目を丸くしながら開封する。


「出店形式はイベント出店、依頼日は一月二・三日。場所は愛知県……ってまた遠いなあ」


 そのまま箇条書きの文面をつらつらと声に出して読んでいく。

 メールはももくりのホームページの専用フォームから送られていた。開店までの準備期間に突貫で用意したページだったけど、図書館で借りた入門書片手に苦労して作った甲斐があった。


「そいで自由回答欄は――『怪我により出店できなくなったため、一丁焼きのたい焼き屋を急募しています。詳細はお電話にてお話いたします』やって」

「悪戯じゃないよね?」

「確かめてみよか。連絡先に電話番号もちゃんと書いてあるし」


 電話しようとポケットから携帯を出す滝野を慌てて止める。


「私が電話するよ。沢谷さんには滝野が電話したんだから、順番こで」

「心遣いだけ受け取っとくわ。軽い雑務ならやってもらうけどビジネス周りはアタシの管轄や。事業主はアタシやし。でも言うてくれてありがとな、桃」


 にべもなく断られてしまう。何か言おうと口をぱくぱくさせているうちに電話がつながった。丁寧語で滝野が話し出す。置いてかれたような気分になる。


「はい、私が店主の栗須ですが……えっ?……はい……ええ……」

(肝心なトコでいつもバイト扱いなんだよね。ふたりの店って言ったのに)


 たい焼きを焼くのは私だけれど、それ以外のすべてが自分の外側で回っているような気がする。分業とはこういうものだろうか? 社会経験のない私にはそのさじ加減が判断できない。

 ぼんやりと思索にふけっている私を待たずして通話が終わる。


「――これも巡り合わせっちゅうんかな。意外なところにつながるもんや」


 誰にともなく呟いた滝野が遠い目をして天井を仰ぐ。


「……滝野?」

「聞こえてたかもしれんけど、明日まで返事は保留にしといた」


 滝野の視線がこちらを向いた。すぐに表情を引き締める。


「詳細っていうのはどんな感じ?」

「道の駅の新春イベントやと。他にもキッチンカーやら地元の土産物屋やら集まるらしい。いわゆるマルシェみたいなもんやな」

「マルシェ。カレー?」

「フランス語やアホ。和訳すると市場。……条件自体は悪くあらへん。ぎょうさん人が来るから売上も見込めるし遠出する価値はある。なんでか知らんけど交通費まで受け持ってくれるって言うとるし」

「売上……出よう」

「ただまあ、いくらなんでも遠いわな。関東近郊ならともかく中部となると……うん?」

「出よう!」


 蠱惑的な響きの単語だった。売上。うちの店を支えるもの。

 再度はっきりと告げると滝野がぱちぱち目をしばたたかせる。


「アタシも出たいと思うとったけど、三が日の予定とかはないんか?」

「寝正月!」

「迷わず言いよったな、寂しいヤツめ。わかった、出店しよう」


 滝野は再びマウスを手に取り、今度は右下の日付をクリックする。一月のカレンダーを表示して鼻で小さく息をついた。


「二日に愛知、五日に高知か。我ながらハードな日程やな」

「行って帰ってまたすぐに行くっていうのもなんだか慌ただしいね」


 思わず私が苦笑いすると、滝野はふと何かを思いついたかのように目線を宙に向ける。

 無言で考えこむその瞳が照明灯を反射して光る。


「高知にもそのまま車で行くか?」

「えっ?」


 予想外の提案だった。

 ぽかんとする私に読み聞かせるように彼女はゆったりと話す。


「いっそ名古屋で営業許可取ってしばらく店やるのもええかなと。んで、五日になったらその足で高知まで行って沢谷さんに会う。ちょっとした小旅行やと思えばそっちのほうがスマートやろ。ええ話持ってきてくれたヒツジヤさんに挨拶もしときたいし」

「小旅行……」


 滝野の口が紡いだ惹句に私はつい心ときめいてしまう。


(旅行、旅行かあ……考えてみればもうずっと行ってないなあ……観光……自然……ローカルチェーン……温泉……ホテル……はっ! 寝泊り!)


 甘くてふわふわした空想から現実世界に引き戻される。

 何をするにもお金がかかるのだ。そしてその金は純利益が小遣いレベルの店のレジから出る。


「いや滝野、旅ってのはよくないよ。だって何日か寝泊りするんだよ?」

「アタシってそんなケダモノに見える? それとも桃の理性が保たな痛った!」

「はっ、つい手が」


 気付くと無意識にスパーン! と滝野の頭頂部をはたいていた。

 涙目になった彼女が頭を押さえながらしょぼしょぼ声を漏らす。


「桃は旅行とか好きやないん? ならしゃあないけど……」

「旅行は好きです、好きですが! いつから営業始めるにしても、愛知に滞在する日数分の宿泊費が余計にかかるでしょ。高知までの高速料金だって往復でバカにならないし」


 というか、かえって自動車のほうが移動費はかさみそうに思える。走行距離もここから愛知までの二倍ほどに膨れあがるだろう。接客兼ドライバーである滝野にかかる負担が大きすぎる。


「泊まる金くらいならたい焼きの売上でトントンにできるやろ。ちゅーか金の話はええねん。アタシがやってみたいんや。ダメかな?」


 言うなりご機嫌をうかがうような上目遣いで覗きこんでくる。ころころ表情が移り変わるさまはずっと昔テレビで見かけた、角度によって色が変わるドレスみたいで、見ていると少し戸惑う。


「ダメかって……いや、ダメじゃないけどさ。やってみたいってそれはどうしてよ」

「だって楽しそうやん」


 にかっと少年の顔で笑う滝野。

 てらいのない眩しさを前に、内心で台詞を復唱する。


(楽しそう。楽しそうでは、ある)

「……ああ、参るなあもう」


 ぱりぱりと頭皮を掻いてしまう。

 金銭面、体力面についてやきもきする気持ちは残っている。けど、答えは出たも同然だった。私だって楽しいことは好きだ。

 緊褌一番、滝野を見据える。

 薄い水幕に覆われた彼女の両目の上で光点が揺れる。


「車で行こう。お金がかかってもその分愛知で売ればいいんだ」


 意を決して返答すると、滝野の顔がぱあっと明るくなった。

 つられてこちらの頬までゆるむ。どちらが年上なんだかわからない。


「よっしゃ、決まりやな! けどまあ、どうしても金が気になるなら車中泊っちゅう手も一応あるで」

「あ、なるほど。いいじゃん車中泊、それでいこう。宿代浮くのは大きいよ」

「即答かい。アタシから言っといてなんやけど、割としんどいで?」

「いいよ。だって、」


 安く済むならと言いかけて止める。


「楽しそうじゃん」


 こちらの言葉とて、嘘ではない。



         **



「――とまあ、そういうわけでしばらくあっちでたい焼きを売ることになったのさ」


 長い説明がひと区切りついて、私はソファに背中を預けた。

 少し気の抜けたコーラの残りをぐいっとひと息に飲み干す。流れこむ甘ったるさと炭酸の刺激が喉に心地良かった。


「営業許可は? そんなにすぐ下りるの?」


 黙って聞いてくれていた江津さんが堰を切ったように問うてくる。瞳に心配の色を浮かべる彼女に軽い口ぶりで答える。


「それがね、意外なところで藻永さんが手伝ってくれたんだよ」

「藻永さんって、あのスーツの男性の方?」

「そうそう。愛知でお店やるから許可取る予定なんだ~って話したら、なんかツテを当たってくれるって。行政書士ってそういう仕事もやるんだね」

「へえ……」

「千葉での営業実績があるから多少審査も通りやすいって。でも申請にも一万円以上かかるんだよね。頑張らないと」


 その地で何日営業しようと申請費用は変わらない。なら長い期間やるほうが得だ。そのように話が決まり、私と滝野はちゃっちゃと日程を組んだ。

 明後日、十二月二十四日の土曜に私たちは美傘を発つ。


「……ねえ、柊さん。全然関係ない話なんだけど、いいかしら」


 意気込む私とは反対に江津さんの面持ちは陰っている。微妙に言い出しにくそうにしているのでこちらからも促してみた。


「どしたの? スリーサイズ以外ならなんでも答えるよ」

「口うるさい姑みたい~とか思わない?」

「無論内容による」

「進路の話、なんだけど」


 藪から棒の話題だった。私はなんとなく姿勢を正す。


「この前職員室に行ったとき、たまたま聞いちゃったんだけど。二年の進路希望の表がまだ全員埋まっていないんだって」

「おや、困ったね。もうすぐ三年生なのに未定の子がいるんだ」

「柊さんと石動さんが提出すれば全員揃うみたいよ」

「ふっバレたか……って、え? エマも?」


 反射的に室内を見回す。エマは長机を二卓挟んだはす向かいの角に座っていた。呼んでもないのに視線がかち合い、トロリと溶けかけたお餅みたいに柔らかい微笑みをよこしてくる。


「あいつ――」

「自分を棚上げしないの」

「んあっ」


 江津さんに右耳をつままれた。ソフトタッチだから痛くはないけど驚いて変な声が出た。


「ご、ごめんなさい柊さん。その、柔らかそうだったから」

「そっちから触っといて照れないでくれない!?……まいいや、話を戻そう。えっとね、進学には興味はある。けどそれってなんかぼんやりしてて」

「ぼんやり?」

「私のやるべきことって、大学とか専門とかにあるのかなって」


 率直な感情を伝えてみるとなぜか空気が冷え固まった。私たちの空間だけがカラオケの喧騒から切り離される。

 そっと薄絹を裂くような慎重な口ぶりで江津さんが返す。


「やりたいことを見つけたい、っていうのも立派な進学理由よ」

「やりたいことはもう決まってるよ」


 はっきりとした語調で答えると江津さんの双眸が見開かれた。膝に置かれた彼女の手に緊張が走るのが見て取れる。


「製菓学校に通って勉強するべきなのかな、とも考えた。でも、私って別にお菓子作りが上手くなりたいわけじゃないんだよね」

「それって……その」

「本当に作りたいレシピは、私にはたったひとつしかない」


 私が作りたいお菓子は一丁焼きのたい焼き、それだけである。

 なのに高い学費を払って他の製菓を学ぶ意味はあるのか。その時間を使って目先の目標に邁進するべきではないか。

 一丁焼きの店は全国でも希少で独学の店主も多い。

 後々手を広げたくなったなら、そのとき改めて学べばいい。

 そう思うのは不合理だろうか。


「高校卒業したら適当に入れるところに就職してさ。仕事の合間にたい焼き研究して、くりすやの味を復活させて。お金が貯まったら脱サラして名実共に店を蘇らせる。……なんて考え、甘っちょろいかな?」


 てへ、と悪戯っぽく笑ってみせるも江津さんは硬直している。『ところでなんで急にそんなこと訊いたの?』と問い返しにくい雰囲気。

 たっぷり十秒以上の空白が過ぎた後、彼女が目を逸らした。

 なんだか仕方なさそうな手つきでココアのカップに腕を伸ばして、ひとくちだけ含み、テーブルに戻し、ためらいがちに唇を開く。


「私、柊さんに――」

「ヘイパース! 次ユカリンの番だよ!」

「ゅごっ」


 瞬間、異音を発しながら江津さんがぐりんと白目を剥いた。

 がくっとうなだれる彼女の鳩尾にマイクヘッドがめりこんでいる。えぐるように押しこんでいるのは歌い終わったミウミウその人だ。


「ふたりっきりの世界に浸るのは夜が更けてからでも遅くはないぜ。あ、それとも今フケる? フケちゃう? その場合どっちがどっちをお持ち帰りするの? ホテル代は割り勘?」


 浮かれ果てたミウミウに江津さんはされるがままになっている。垂れた前髪に隠れた表情はこちらからはうかがい知れないが、その背からは瘴気めいたオーラがもうもうと立ち昇っていた。


「み、ミウミウ、そのへんでやめといたほうが……」

「いやいや、このへんの奥に腹式呼吸のツボがあるんですよって……ヒエッ」

「歌うわ」


 ドスの効いた声音で呟き、面を上げた江津さんがミウミウからむんずとマイクを奪い取った。いつかみたく目が据わっている。スイッチの入った彼女は恐ろしい。


「赤羽根さん、これ歌い終わったら一緒にお花を摘みに行きましょう♡」

「りょ、了解でーす……」


 顔面蒼白で頷くミウミウ。私は目を閉じて十字を切った。バカをやっている間に江津さんが予約した曲が流れ出す。


「っと、江津さんこんなの予約したんだ」


 聞き覚えのあるイントロにレトロCM好きな私は驚く。秋口に出会ってから三ヶ月、そんなに付き合いは長くないけどまだまだ知らない顔があるらしい。

 同級生たちの喋り声も流れ始めた曲へと向けられた。


「あれ、このイントロ聞いたことあるわ」

「懐かしいやつだよね~。ずっと前に携帯のCMで流れてた」


 ざわつく彼ら彼女らをよそに、江津さんはおもむろにテーブルの上のポテトを口に放りこむ。もしゃもしゃと咀嚼してから嚥下し、すぅうっと深く息を吸いこんだ。

 江津さんが選んだのは四十年近く前のクリスマスソングだった。このシーズンの定番となっている往年の名曲である。

 雪降るクリスマス・イブの夜、いつまでも来ない待ち人をそれでも待ち続ける心情を綴った歌。伝えたいのに伝えられない想いを消え残る雪になぞらえて、静かに更けていく夜の街中でその人はひとり佇んでいる。

 歌われたのは切ない悲恋とも、遠距離恋愛とも言われている。

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