正解の小麦粉と在庫探し

 最近流行りのボーイズバンドのギターがカラオケルームに響く。

 上げた片腕でメロイック・サインを作り、ミウミウが絶叫した。


「皆の衆、時は来た……あたしのステージだ! アゲていくぜえ! ウェーイ!」

「ウェーイ!」


 二学期の終業式の日の午後、私はいつものメンバーと学年合同の打ち上げに来ていた。

 同級生たちの歓声に応えるようにミウミウが歌い出す。疾走感あるメロディに乗った熱唱は勢い任せなようでいて、しかしその実プロじみて上手い。変なところで天才肌なのだ。美しいビブラートとノビのあるロングトーンが耳を満たす。


「柊さん……柊さん」


 つい聞き惚れる私の右肩を隣に座る友人がつついた。


「はっ!……ご、ごめん江津さん。場の雰囲気に呑まれてた」

「赤羽根さんも歌上手いものね。で、話の続きだけれど」


 小さく息をついて江津さんが上体を私のほうに向ける。スカート越しの太ももがこちらにもたれかかるように傾いていた。妙に距離が詰まりどぎまぎする私をよそに彼女は続ける。


「それで、何がどうして明後日から旅行に行くことになったのかしら?」


 盛り上がっていくカラオケを尻目に江津さんが尋ねかけてくる。杏形の瞳は言い知れない不安と憂慮の影を帯びていた。


「うん、話すと長くなるんだけど」


 カラオケの音に負けないように心なし声量を大きくする。ドリンクバーのコーラで喉を潤わせると頭がすっきりした。



         **



 ――くりすやは美傘の地粉『ゆうひかり』を原材料に使用していた。

 きのはさんに出した後も幾度か試作品を作った上で、私と滝野はそう結論づけた。結論づけざるを得なかった。

 サクっとした歯切れの良い焼き面、嫌味のない内側のモチモチ感。皮の中に複数の層ができたような食感もさながら、噛んだ瞬間かすかににじみ出る草のような風味が決め手だった。当時意識すらしなかった独特の香りが鼻腔に広がり、散々試して当てはまらなかった空白にぴたりと符合する。細部が一致した瞬間にしか覚えようのない快感があった。

 しかし話はそこで終わらない。入った分が押し出されたようにまた別の違和感が生じている。

 時はきのはさんに例のたい焼きを出した日の夜まで遡る。


「ねえ滝野、例の粉なんだけどさ」

「うん?」


 氷水にさらしていたレタスをざるにあけながら質問する。ハンバーグを焼き始めた滝野がこちらを向いて小首をかしげた。我が家のキッチンスペースはふたりだと手狭に感じられるため、滝野はガス周りが、私は水道周りが定位置になっている。


「あの粉使って焼いた皮、後味にちょっとクセがあったよね。あれって粉の種類によるのかな? くりすやでは感じなかったけど」

「いや、あのクセは粉自体が少し古くなっとるのが原因やな。……普通の小麦粉と違うてあの粉はちょいと茶色がかってたやろ」

「変色するほど古かったってこと?」

「あれ自体は元からそういう色や。普通に精製する際は取り除く外皮や芽になる部位……ふすまや胚芽ごと挽いて製粉するとああいう色の粉になる。で、そのへんの部位は脂質が多いから割と酸化しやすいんよ」

「あ、調べたことある。そういう粉なんて呼ぶんだっけ、えっと……全粒粉」


 記憶からその単語を引き出す。ミウミウの粉講座は基本編以降は開催されていないけど、あれから興味が湧いた私は空き時間にひとりで勉強したのだ。


「正解。中でもあの粉は割とアクのないほうの品種やろうな」


 滝野が視線をハンバーグに戻し、ヘラで軽快に引っくり返す。ぷわんと香ばしい匂いが漂ってきてお腹が鳴りそうになった。サラダを大皿に盛る手を止めて、丹田に力を入れて堪える。


「けどまあ、ゆうひかりはサブの粉や。あの粉ベースじゃくりすやどころかたい焼きの皮にすらならへんわ。混ぜた感じ、メインの粉は一般に流通しとる市販品やろ。三種類以上はブレンドしとらんかったと思うし。うる覚えやけど。」

「うん。で、ゆうひかりの配合比率は一割か二割だろうね」


 残り八割の小麦粉についてはしらみつぶしに試していけばいい。いずれ正解に行き着くはずだ。

 腹に気合を入れたまま言葉を返すと滝野の目が点になった。再度こちらに振り向くも、私の様子を見て怪訝な顔になる。


「元から舌はええほうやと思うてたけど、桃も成長したなあ。……ところでなんで震えとるん?」

「一秒単位で成長するのが私だからね。……いや、胃の調子がね」

「おかず減らすか?」

「逆でお願いします」


 反射で答えた途端気がゆるみ、ぎゃあと胃が鳴く音が轟いた。宿主に向かってぎゃあとはなんだ。


「お、おうわかった。大盛りな。……しっかしホンマに盛りつけのセンスないな桃、なんやそのサラダ。ギャルの盛り髪か?」

「うるさいな!」


 そんなこんなで騒がしい夕食を囲んだ、その翌日の夕方。

 学校の授業を終えた私は滝野と共に農協組合――正確にはゆうひかりを扱っていたと思しき直売所――に向かった。

 海岸沿いの国道を通って隣の街まで車を飛ばす。思えば車で遠出するのはずいぶんと久しぶりのことだった。陽光を受けて宝石箱のようにきらめく海辺を走り過ぎて、長いトンネルを抜け出た先に目的の直売センターはあった。

 敷地の広い駐車場に車を停めて、裏手の事務所にうかがう。アポイントを取っている旨も伝えて中まで通してもらう。

 一縷の望みを賭けた訪問は案の定残念な結果に終わる。


「きのはちゃんの言うてた通りやな」

「うん……どうしよう、行き詰っちゃった」


 事務所である平屋建てのプレハブを出て私たちは途方に暮れる。

 駐車場に戻り、どちらからともなくJAの看板を振り仰いだ。ミルクのように白い建物の外壁が夕色に染まっている。


『いや、それがですね』


 先日のきのはさんの困ったような声音が耳奥に甦る。


『生産していた農家さん、少し前に廃業しちゃったみたいなんです。渡したときは知らなくて、後からサークルの先輩に聞いて。なんて言えばいいのか……ごめんなさい』


 応対してくれた事務のおじさん曰く、ゆうひかりの生産者はご高齢により美傘の土地を引き払って遠くに引っ越したという。


「生産者の沢谷さわやさんは息子夫婦の居る高知に帰った、って言うとったな」

「別の人がゆうひかりを引き継いで作ってたりはしない、ともね」


 詳しく話をうかがってみると、ここ数年で大幅に事業を縮小した沢谷さんが半ば趣味の範疇で作り続けていたのがゆうひかりという小麦らしい。小売に回すほどの量は獲れず、基本的に契約先の個人や団体に卸していたとも。おそらくきのはさんのサークルもその相手のひとつだったのだろう。

 光明が見えた矢先に足場ごと崩されたような感覚だった。

 底の見えない暗い落とし穴にずるずると思考が飲まれていく。


(どうしよう、ようやく正解の小麦粉に辿り着いたっていうのに。生産終了してるんじゃ元も子もない、諦めるしかない……諦める? あのたい焼きを?)


 手持ちのゆうひかりは古くなったキロ入りの袋で全部である。使い切るまでに合わせるメインの粉と比率を見極めるしかない。

 けど、使い切った後はどうすればいい?

 他の品種の粉で代替したらそれはもう再現ではない。味を似せただけのただの模造だ。

 くりすやのたい焼きを二度と焼けなくなったら、私はどうすればいい。


(私は――何を作ればいい?)

「しゃあない、腹括るしかないな」


 茫然自失になりかけた私の横で滝野がぼそりと呟く。


「……なんの腹を括るっていうのさ。粉がないんじゃどうしようもない。私の腕前以前の問題じゃん。これでもうおしまいだよ」

「試合終了にはまだ早いで」


 滝野がデニムのポケットからすっと白い何かを取り出してみせる。

 長い人差し指と中指に挟まれているのはメモ用紙だった。そよ風に揺らぐ紙を前に私は彼女にぼんやりと尋ねる。


「それは……何? メモ?」

「沢谷さんの携帯番号。さっき桃が手洗い借りとる間に事務のおっさんに聞いといた」

「は?」


 寝耳に水の話だった。

 あっけに取られる私を置き去りにして滝野は流暢に重ねる。


「アタシが契約先の個人……栗須礼二れいじの孫娘やっちゅうのはアポのとき話したからな。カマかける形になってしもうたけど、やっぱくりすやは沢谷さんとこと直販の契約しとったらしい」

「な――」

「身分証明は事務所入るときしたし、こっちの事情も知られとる。後は面と向かって拝み倒して情報引き出すのみや。このご時世やっちゅうのに話の通じる事務員で助かったわ」

「――んで」

「ひょっとしたら高知でまたゆうひかり作っとるかもしれんやろ? 持ち帰った在庫があるかもしれんし、息子さんも農家や言うてたし。チャンスは充分に残っとるで」

「そうじゃなくて! なんでわざわざ私が席外してるときに話進めるのさ!?」

「話の途中でショック受けて手洗いに逃げたのはジブンやろ」

「うぐっ」


 血が上った頭に冷や水をぶっかけられたような心地だった。

 何も言い返すことができない。ぷるぷる震える私を目にして滝野は気まずそうに頬を掻く。


「……だいたいあないなみっともない姿、弟子の前で見せられるかい。タイミング良ういなくなってくれて助かったわ」

「ふぇ?」


 気の抜けた声がこぼれてしまった。顔を向けると滝野と目が合う。


「なんや文句あるか」


 つーんとそっぽを向く滝野。

 夕映えのせいか、すらっとした頬にはほんのり赤みが差している。


「……ううん、ない」


 不安も怒りも戸惑いも、それで瞬く間に溶け消えてしまった。

 入れ替わりに温かいものが胸の中をいっぱいに満たしていく。


「ならええ。……何ニヤニヤしとるんや、気色悪い」

「ふふっ。みっともない姿って、そんなに見栄張らなくてもいいのに」

「ええい笑うんやない、こっぱずかしくなってくる! 失言やったかなもう……」

「滝野ってカッコつけたがりだよね。中学生の男の子みたい」

「うっさい!」

「ねえ滝野。ありがと」

「っ――そらどうも! ああくそ、沢谷さんに電話するで!」

「えっこの場で!?」


 真っ赤になった滝野がスマホにぺしぺしと番号を打ちこんでいく。どこからどう見てもやけくそだった。

 止める間もなく鳴り始めたコール音が三回ほど続いた後――


「……あ、もしもし。わたくし千葉県の美傘でたい焼き屋をやっております、栗須滝野という者です……はい。以前取引させていただいたくりすやという店の店主の孫です……」


 ――電話は無事沢谷さんにつながり、私たちは高知に現存するゆうひかりの在庫を譲ってもらえることになった。

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