常連さんの不思議な手土産

「んふ~……!」


 公園備えつけのベンチに座り、きゅっと目をつぶって幸せそうにたい焼きを頬張るきのはさん。丸い頬は紅潮し、両足は子どもみたく前後に振れている。枝葉が散った冬の木々の下で、彼女だけが未だ秋の紅葉の中にいるように華やかだった。まるでこの世の幸福を一身に浴びたかのような恍惚ぶり。

 本当にたい焼きが好きなのだろう。私も焼き手冥利に尽きる。


「ホンマ美味そうに食いよるなあ。で、きのはちゃん的には今週のたい焼きはだいたい何点くらい?」

「うーん……六十一点」


 からのシビアな点数だった。どこぞのエマとは正反対である。


「いつもありがとうございます、きのはさん。ところで厳しくないですか?」

「『くりすやさん基準でお願いします』って最初に言われましたからね。あたし基準ならもっと高いです。でもホントに美味しいですよ、ももくりさん。都内でも全然戦えます」


 ほくほく顔で語る彼女だけど基準の違いがよくわからない。先週より二点下がってるのも地味ながらダメージが大きかった。つい自分の手をじっと見てしまう。


「焼けど焼けど我がたい焼きくりすやにならざり……ぢっ……」

「啄木ですかー。その人遊びで散々浪費してたんですよねー」


 ごちそうさまでした、と呟いてきのはさんがすっくとベンチを立つ。

 たい焼きを包んでいた経木と包み紙をゴミ箱に捨てた後、空いた手でハンドバッグから乳白色の袋を取り出してみせる。

 遠目だとよくわからないけど、見た目は小さな米袋に近い。


「ところでももくりさん、くりすやの味の再現の進捗はどうですか?」

「え? いやそれはご存じの通りというか……六十一点というか……」


 店を開く前も開いた後も絶賛迷走中である。

 尻すぼみに小声になる私と裏腹、彼女の目がきらりと光る。袋を小脇に抱えて再び元気にキッチンカーに寄ってくる。


「えーっと、きのはさん? おかわりですか?」

「えっサービスしてくれるんですか?」

「百六十円になります」

「違います! じゃーん! 少し早いですけど、あたしからのクリスマスプレゼントです」


 どん! とカウンターに置かれたその袋を見て滝野の表情が変わる。一瞬変な光を帯びた切れ長の目はちょっと怖かった。


「……小麦粉?」


 真顔の滝野から目を外して眼前にある袋を観察する。

 中央のロゴには判子のような書体で『ゆうひかり』と記されていた。ビニール越しの粉は間近で見るとうっすらと茶色がかっている。


「美傘の地粉です。もし試してなかったらどうかなと思いまして」

「地粉……すみません、地粉ってなんですか?」

「その土地で採れた麦や蕎麦を製粉して作った粉のことやな。見た感じこれはうどん粉やろ?」


 問う滝野にきのはさんが頷く。私はほうっと息を漏らした。


「この街、小麦栽培してたんだ。何年も住んでて初耳だったよ」

「結構あちこちの市町村で作っとるもんやで、麦くらい。ここらじゃ珍しいかもしれんけど、同じ関東でも平野部あたりには農家がぎょうさんあるやろ。きのはちゃん、この粉はどこで?」

「製菓研のサークルの在庫にあったのでこっそりくすねてきました」


 さらっとアナーキーな発言を挟み、きのはさんが笑顔で続ける。


「差し出がましいかもしれませんけど、取り扱いの少ない粉なので。くりすやさんもこの街のお店ですし、ひょっとして使ってたかなって」

「それでわざわざ持ってきてくれたんか? なんちゅうか……ありがとな。きのはちゃん的にはどうや? この粉で合うてると思うか?」

「あたしは食べる専門ですので、作られてみないとわかりません!」


 えっへんと胸を張るきのはさんに私は数瞬あっけに取られる。

 つい隣の滝野と目を見合わせ、ふたりでほどけるように苦笑した。


「ではあたしはそろそろ失礼します。これからサークルの会合なので」

「おーいってらっしゃい。またよろしくなー」

「……うーん、やっぱりどこかで見たことあるような?」

「やから会うてへんて。ほななー」

「あ、ありがとうございました!」


 ひらひら手を振る滝野に続いて慌ててぺこりと頭を下げる。

 かしこまる私にきのはさんはふんわりと笑って会釈を返した。


「採点とかしといてなんですけど、あたし、ここのたい焼き好きですよ。くりすやさんの代わりとかじゃなくて、一丁焼きももくりさんとして」

「え?」

「ではまた来週!」


 踵を返した彼女の姿がほどなく道の先に消える。


(いつもながら嵐みたいな人だなあ。最後のってどういう意味だろ? というかお客さんからたい焼きの材料を差し入れされてしまったぞ……お礼とかするべきなのかな……でも常連びいきみたいになるのもな……)


 残された小麦粉の袋を手にそれとなく滝野に話しかける。


「この小麦粉、地粉って言ったけどスーパーとかには置いてないよね。福里商店でも見た覚えないし、どこの店で買ったんだろう? なんか貴重だ~みたいに言ってたし。滝野は心当たりとかある?」

「……」

「滝野?」

「へっ?」


 すっとんきょうな声が返ってくる。どうやら上の空だったらしい。


「何ぼーっとしてんのさ。話聞いてた?」

「ああ、うん、粉の出どころの話やろ? すまんけどアタシにもわからへん。たぶん農協か個人の農家の直販なんやと思うけど。生産量自体が少ないから小売の流通に乗らんクチや」


 平静を取り戻した滝野が雄弁に説明を重ねてくれる。態度に引っかかりを感じつつも説明内容には納得した。


「なるほど。じゃあもし合ってたら生産先に問い合わせないとね」

「合うてたらの話やけどな」


 さして期待したふうでもなく滝野はカウンターを掃除し始める。冷めた目つきで布巾を左右に往復させる彼女を見ていると、高揚している自分の頭がひどく安直に感じられてきた。


(……まあいいや。営業が終わったらこの粉を生地にして焼いてみよう。ドンピシャ

正解じゃあなくても、何かの足掛かりになるかもしれない)

「おっと桃。あの兄ちゃん、たぶん客や」


 滝野に促されて目を向ける。向かいの歩道から横断歩道を渡る男性が目に入った。ちらりとこちらに視線を向けて、穏やかな足取りで近づいてくる。


「っし、やろう」


 軽く手首を振り、刷毛を手に取り、油を予熱済みの型に引く。

 ルーティーンと化した作業工程。半ば自動で気持ちが切り替わる。


「すみません、たい焼きふたつください」

「ありがとうございます! 少々お時間かかりますがよろしいでしょうか?」


 よく通る滝野の声を耳にし、期待も希望も一旦棚上げ。

 今は目の前のたい焼き一枚一枚に心を注いでいく。

 生地と餡を入れた焼き型を火にかけ、火にかけ、引っくり返す。

 知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。ただたい焼きを焼く、それが楽しい。



         **



 日は明けて日曜日の昼下がり、天気は引き続きの晴れ模様。


「……で、きのはさん。地粉、使わせてもらったんですけどいかがでしょうか」


 緊張しながら問う私たちに、きのはさんは目を丸くして告げる。


「七十八点……」


 その口端から、今食べたたい焼きの破片がぽろりとこぼれ落ちた。

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