鴨の水かき、たい焼き屋の……

 はきはきとした滝野の接客が車内の作業場に反響する。


「大変お待たせいたしました、たい焼き五枚になりまーす! 温め直す際は同封のペーパーに美味しいやり方が書いてあるのでぜひ。ありがとうございましたー!」


 たい焼きを入れた小箱を手渡し、滝野がぺこりとおじぎする。隣の私も頭を下げると、お客さんの老婦人はおかしそうに口に手を当てて微笑んだ。


「ずいぶん若い子が焼いてるのねえ。おふたりはご姉妹?」

「いえ、このちっこいのはただの弟子です。こんな見た目ですけどみっちり仕込んであるんで腕はそれなりですよ。お口に合えば幸いです」

(私が小さいんじゃなくて滝野の図体がデカいんだよ……)

「あら、それは楽しみねえ」


 箱を入れた袋を手に提げ、たおやかな足つきで婦人が立ち去る。

 接客カウンターとなっているキッチンカーの車体左側面、跳ね上げ式の出窓からその背を見送り、私は滝野に話しかけた。


「ねえ滝野、前から思ってたんだけどさ」

「うん?」

「結構売れてるよね、うちのお店」


 使った焼き型を火床の端に寄せて過加熱を防ぎながら言う。

 始めて間もない移動販売の売れ行きは、まさかの快調だった。


「冬はたい焼きの季節やからな。夏場だったらこうは行かへんよ」


 時刻はお昼どきを越え、客足が落ち着いてくる午後二時あたり。出窓から覗く空は雲ひとつない開けた青天だった。見ていて気持ちの良い青だけれど寂しくなるほど何にもない。眺めているとなんとなく浮足立つような不安にも襲われる。


「住宅地と駅の間に出店できたのがラッキーだったのかな? 通り道だから出かけた帰りにふらっと立ち寄れるみたいな。大通り沿いで割と目立つし」

「そう言うとなんや、スーパーでレジの前に置いてある和菓子みたいやな。今の婆さんも駅側から来て宅地のほうに歩いていったし」


 場所は美傘駅から山側に〇・五キロ離れた街外れ。県立大の美傘キャンパス近くにある運動公園入口、駐車場に店を構え、朝十時から夜七時まで営業する。

 日がな一日やっているとはいえ客入りは思いの外良かった。一日少なくとも六十枚、調子が良ければ倍近く出る。雨の日は落ちこむけれど、今のところ営業を止めるほどでもない。先ほどの老婦人のように、持ち帰りで複数購入の客が多いのも功を奏しているだろう。くりすやで常に焼きたてを食べていた私からすると意外だけど、これはたい焼きに対する私の皮膚感覚がズレていたみたいだ。

 公園のほうから遠く聞こえる子どもの嬌声に耳を澄ませる。

 先週は家族連れのグループが帰りに店に立ち寄ってくれた。その場で食べた男子小学生がひとり跳ね出したのには驚いたけど、奥様方にも好評で、また買いに来るとまで言ってくれた。楽しかった休日の〆にデザートを添えられたような気がして、胸がぽわぽわして、気持ちの上では疲労まで吹き飛んでしまった。

 買ってもらえるだけで嬉しい。けど、反応があるとまた格別だ。

 そしてこの移動販売という形態は、不思議とその機会が多い。


「でもさー滝野、なんかうまく行き過ぎてて騙されてる感じがあるよ。いいのかな? って気分になるというか」

「何言うてんねん、ええに決まっとるやろ」


 くるりとその場で右向け右をし、滝野が私に向き直る。


「たしかに桃はまだ半人前や。皮の焼き色にムラはできるし今でもたまに裏を黒焦げにする。餡かてレシピをなぞっとるだけで、仕入れた豆や煮とる最中のコンディションを目視で読み取れてへん。都度調理を調整できひんから良くて八十点がせいぜい。今のやり方じゃ一生かけても百点満点の餡は作れへん」

「ぐうの音も出ない論評ありがとう、おかげでちょっと凹みそうだよ……」

「最近調子に乗っとったからな。でも、それでもたい焼きの味はええ」

「たった今ボロクソに貶したのに?」

「それはアタシやジジイの目線で見た桃の腕前の話や。商品自体は形になっとる。それとも、桃は今まで来た客が全員お世辞言うてたと思うか?」


 とんでもない。ぶるぶる首を横に振ると滝野が言葉を継ぐ。


「飲食でいっちゃん大事なのは立地やけど、味も同率一位や。味が良いからお客さんは来る。今このお店がそれなりにうまくいっとるのも正当な評価や。それについて桃は誇ってええし、誇らなお客さんに失礼や」

「そ、そう……なのかな」


 歯に衣着せない物言いだった。私が直球の賛辞に照れていると、ふっと口角を上げて滝野は小馬鹿にするようにほくそ笑む。


「ま、明らか十代のガキが焼いとるのも目を引いとるようやけどな。あとアタシの爽やか接客、これは地味にポイント高いと見とる」

「自分で爽やかとか言うなよ……ていうか子どもが焼いてるってむしろ避ける原因にならない? 素人っぽくて怖いじゃん」

「JKがJKの付加価値に気付けんって青春みたいやね」

「は?」

「過ぎ去ってみてから初めてわかる若かりし頃の輝きなんよ」


 何やら遠い目で語る滝野。おばヤンのプーから気持ち悪いおっさんに格下げしてやろうか。

 私の冷たい視線に気が付き、滝野が大きく咳払いをする。


「ごほん。とまれ、興味本位でも一回買うてくれたらもうこっちのもんや。きっかけがなんであろうと美味いと感じた客からリピーターが出る。ハードル下がっとる分、余計美味しく感じとるかもしれへんしな。なんなら店のツイッターのbioに書いとこか。『現役JKが一枚ずつ焼きます! 昔ながらの一丁焼き』――こ、これや!」

「これやじゃねえわ! なんだろうねこの見えない何かが磨り減る感じ……!」

「冗談冗談。だいたいうまく行っとるったってそらあくまで売り上げの話やろ。光熱費と仕入れ値を差っ引いた純利益は小遣いレベルやで」

「ぐ」

「ちゅーても儲けるんが目的やないしそこは別にええねんけどな。今日び稼ぐためにたい焼き屋始める奴おったらそいつは大物や。株にでも手え出したほうがええ」


 呵々大笑する滝野だけど、私としてはあまりよろしくはない。

 利益を上げることは大事である。

 お客さんの喜びや、くりすやの味の再現と同程度には。


(滝野はちっとも気にしてないけど、このお店――ももくりを開くまでにはものすごくお金がかかってる。ざっと調べた限り少なくとも百万、下手したらその数倍も)


 トラックの改造については私もなけなしの貯金をはたいた。けど、試算するまでもなく滝野がより多額の費用を受け持っている。営業申請や機器の整備にも相応の支出があったはずだ。「事業主のアタシが全額持つのが当然」とは滝野の言だけど、ビジネス以前に同志として彼女の言葉に甘えたくなかった。一緒にたい焼き屋をやりたいと言ったのは自分も同じなのだから。

 今、私たちが乗っている車体の塗装を頭に思い浮かべる。

 元地の白と、沖合の海に似たウルトラマリンのツートンカラー。

 飲食店なら暖色系がいいという滝野の意見を押し切り、タイヤの高さまでブルーに染めあげた。完全に私の好みだった。


「やっぱりミウミウに栗餡教えてもらおうかなあ」


 思わず私がごちると、滝野がわざとらしく目を剥いてツッコむ。


「何言うてんねん、基本の小豆餡の味すら安定せんくせに! 別の味に手え出すとか最低半年は許されへん話やで」

「わかってるけどさー」

「色気出しとる暇があったら生地の材料の研究でもせえ。……ほら、ぬるいこと言うてたら来たで。辛口採点代表の客が」


 歩道を歩いてくる顔に気付き滝野がそそくさと持ち場に戻る。私も慌てて火床の前に身を移し、焼き型に油を塗った。

 ほどなくしてその人が現れる。

 ケーブル編みの白いニット帽と、もこもこしたベージュのダッフルコートに身を包んだその少女の名は――


「ももくりさん、今日もお疲れ様です! たい焼き三枚お願いします!」

「はいたい焼き三枚ねー! いつもありがとうきのはちゃん! 二枚は持ち帰り?」

「はい!……ところで店長さん、やっぱりどこか別の場所で会ってません?」

「うん? アタシ、ひょっとしてナンパされとる?」


 ――直里すぐりきのは。十二月頭にオープンしたももくりの客第一号。

 私がくりすやに行くきっかけとなり、文化祭の日は私と江津さんを驚嘆させたあの少女――県立大学の美傘キャンパスに通う大学二年生である。

 すぐ近くで見ると、やっぱり江津さんにはあんまり似ていない。

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