お腹の虫は誰のもの
それから一週間、江津さんは毎日放課後に私の家に来て練習に付き合ってくれた。
私は型に生地と餡を入れて適宜焼き色をチェックする。江津さんは私がOKを出したら型を引っくり返していく。共同作業はお餅つきでもしているかのようで新鮮味があった。
家に入り浸っているのに家族に挨拶ができないことについて、折り目正しい彼女は心苦しさを覚えている様子だった。なので、私には両親がいない事実だけを手短に伝えた。
彼女は驚いていたけど、すぐにフラットな態度に戻ってくれた。手土産に持ってきてくれた焼きプリンは三日かけてふたりで食べた。藻永さんの分を取っておくのは忘れた。
「そういえば江津さん、どうしてお爺さんに餡のレシピだけ訊いたの?」
プリンを食べるのに使ったスプーンをマイクの要領で差し向ける。テーブルで対面した彼女は微妙に嫌そうな顔を浮かべた。スプーンを引っこめると話し始める。
「生地のレシピを知っててもたい焼きを焼かないんじゃしょうがないかなって。餡について訊いたのは……未錬かな。自分でたまに製餡して、あんこだけでも食べられたら嬉しいって」
「焼き型を譲ってもらう気はなかった?」
「ええ。私はコハナの娘だし、特に店主さんからも焼き型が欲しいかなんて訊かれなかったわ」
「……お爺さんはどうして私に焼き型を譲ってくれたんだろう」
再三考え続けた疑問が独り言のように口を衝いた。紅茶の入ったティーカップを口元に運んでいた江津さんが、ひとくち飲んでからぽそっと呟く。
「店主さんの考えはわからないけど。私は、焼き型をもらったのがあなたでよかったと思っているわ」
思わず見やると視線が重なる。
柔らかく目尻を下げて、お日様みたいににっこり笑う江津さん。
「――っ」
逃げるように目を逸らしてしまった。
猛烈に顔面が熱い。胸の鼓動が高鳴るのを感じる。
「あら、ひょっとして照れてる?」
「う、うるさいなあ」
「ふふっ。ねえ、私からも質問していい?」
「……どうぞ」
火照った顔を手であおいでいると、咳払いをひとつ挟んで江津さんが神妙に尋ねかけてきた。
「柊さんは、もしくりすやのたい焼きが焼けたらその後はどうする?」
「その後?」
「この前お店は過程に過ぎないって栗須さんに言ってたじゃない。お店を構えて、餡も仕上げて、生地も再現できるようになって。自分だけでくりすやのたい焼きを完璧に作れるようになったら、その先はどうするのかな……って」
テーブルの木目を指先でなぞりながら江津さんはまつ毛を伏せる。
余計な不安を与えてしまった。私は明るい声色を作る。
「まだうまくは想像できないけど、たぶんたい焼きは焼き続けてるよ。店の屋号が『二代目くりすや』だったら私としてはベストかな」
自分が食べるのが第一だけどたい焼き屋にだってなりたいのだ。
そんな気持ちも籠めて笑いかける。江津さんはぱっと表情を明らめた。
椅子に腰掛けたまま彼女はもぞもぞと自分の上体を動かす。
「答えてくれてありがとう。お礼に私も秘密を教えてあげる」
「最近お腹周りがヤバイとか? 何を隠そうこの柊桃も」
ぎろっとものすごい目で睨まれた。頭を垂れて続きを促す。
「初めて会った日、柊さんがたい焼きをごちそうしてくれたじゃない。司書室にたくさん持ってきたのを温めて、居合わせた子にも分けて」
「あー、そんなこともあったね。ちょっと前なのにすごい昔に感じる」
「あのとき誰かのお腹の虫が鳴いてたの聞いてた?」
「鳴いてたねえ」
「あれ、私」
私はついまじまじと江津さんの整った顔を見つめてしまう。
リンゴのように頬を染めた彼女はぺろりと舌を出しておどけた。
瞬く間に時間は流れていき、文化祭のその日が訪れた。
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