そんなんじゃない
口の中がからからに乾いている。
「…………」
私は江津さんに何も言えない。
慰めのひとつもかけられない。
違う。慰める資格など、この私にはないのだと理解している。
(だって、慰めたら嘘になる)
自分にも江津さんにも、最低の嘘をついて生きることになる。
一等地に競合店もあるし閉店するのは仕方ない。
あの夏、私もそうやって自分自身を納得させていたのだ。
あの今川焼き屋が悪いのだと。
あれが犯人だ、あれに客を奪われてくりすやは潰れたのだと。
そうした思考は私にとってはすっかり慣れ親しんだものだった。不幸や理不尽に何かしらのラベルを貼ると心が楽になる。何もかもをそのせいにできるから。本当に悲しいことはもっと抗い難く、どうしようもないから。
今回はコハナの存在が私の魂のガス抜きになった。
原因があって結果がある。だから、悲しいことなんて何もない。
そう、いつもみたく自分に言い聞かせるための好材料にできた。だからした。江津さんの言うように、江津さんの家のせいにした。
くりすやの閉店を早めたかもしれない。
お爺さんの寿命を縮めたかもしれない。
その元凶足りうる競合店、コハナビーンズの正体が、他ならぬ江津さんの家業であっても。それで彼女が苦しんでいても。
私の心がコハナの存在で楽になった事実は変わらない。
(江津さんの苦しさと私の安らぎは、コインの裏表だったんだ)
変な罪悪感で息が詰まる。こみあげる吐き気に視界が揺れる。
江津さんは今、私の前で、子どものように目元を押さえている。
声を殺して泣き腫らしている。
「……柊さんも落ち着こうや。ジブンのせいでもないんやで」
「わかってます」
膝上で拳を握りしめる。唇から鉄の味がにじんだ。
(一等地に競合店もあるし閉店するのは仕方ない――)
そう思っていた過去の自分を。
そして今なお、心のどこかでそう思い続けている自分を。
なかったことにはできない。
見て見ないふりなんて、絶対にできない。
「江津さんの、さ」
震える唇を無理やり開く。
心臓の脈打つ音が聞こえる。
『江津さん家は何も悪くないよ! 薄情なお客さんが悪いんだよ』
『どの道くりすやは潰れていたよ。百歳近いお爺さんの寿命だよ』
甘くて耳に心地良い言葉が脳裏を代わる代わる通り過ぎる。
たとえそれが真実だとしても。
コハナを悪役にして己が感情の整理に利用した私が、そんな調子の良い台詞を言ったら。
言ってしまったなら、それは。
「たしかに、コハナがくりすやにどれだけ悪影響だったかはわからないよね! 江津さんの言う通りだと思う。閉店とか、なんならお爺さんの寿命の遠因にもなってるかもね?」
痛みを手放さず抱え続ける彼女への、最大の侮辱になる。
柊桃が江津由香里にかけるべき言葉は、そんなんじゃない。
「……」
ことさら明るく、なんてことないように笑ってみせた私を見て、ふたりは泣くのも怒るのも忘れてぽかんと口を開けていた。
「終わったことはどうにもならないよ。誰が潰した何が悪かった、そんな憶測が当たる日も来ない。だってお爺さんのくりすやはもうない! 話していたお客さんもいない! 江津さんが欲しがってる答えを訊ける相手なんて、どこにもいない!」
両腕を広げて煽ってみせる。悪ぶった、けれど嘘のない気持ち。
江津さんは赤くなった目を見開いて私を見つめている。
「このままうじうじしてたって江津さんの気が晴れるわけないんだよ。必要ないかもしれない後悔を引きずって一生暮らすんだ」
「おい柊さん、言ってええことと悪いことが――」
「だからさ」
すっくと椅子から立ち上がる。
つられて江津さんが顔を上げた。
座ったままのふたりを見下ろして、私は自信たっぷりに言い放つ。
「要は私がまた、くりすやの味を作りあげればいいんだよ」
――そう。
何のことはない、最初から答えは私の中にあるのだ。
お爺さんのくりすやはもうない。
世界中のどこを探したってない。
もう、どこにもないのだから、だから――。
「私がくりすやの店主になる」
ドン、と自分の薄い胸を叩く。
なるべく格好良く見えるように。
今だけは地味なちんちくりんではない、頼れる女の子に見えるように。
「私がくりすやのたい焼きを焼く。焼いて、いろんな人に食べてもらう」
江津さんとまっすぐ目を合わせる。
彼女の瞳に石ころでも投げこんだような波紋が立っていた。
まだまだ足りない。ちっとも足りない。氾濫するまで投げこんでやる。
「それ食べた人、これから全員くりすやのお客さんだから。目減りした分のくりすやへの『好き』なんてすぐに取り返せるんだから。この手にかかればあっという間だね。私、これでも職人なんだから」
マメだらけの手を突きつけてみせる。「見習い返上は早いんやないか?」と栗須さんが苦笑しているが無視無視。
客が減ったなら増やせばいいのだ。味が同じなら誰が焼いているかなんて些細な問題だ。お爺さんの寿命? その胸中? 知るか、私が代わりに生きてやる。
「私、立派に受け継いでるから。これ、江津さんが言ってくれたんだよ」
これがくりすやの味だって、私がみんなに刻みつけていけばいい。
たい焼き屋としてのお爺さんの生ならば、この腕で受け継いでやる。
「それじゃダメかな?」
いつかの司書室のお返しに、不器用だけどウインクなぞしてみた。
私が彼女に贈れるもの、贈りたいと願うものは、これで全部。
もちろん、拒否されたってしょうがない。
「――――ぃ」
江津さんが唇を動かした。
ぱちくり両の目をしばたたかせた。
そうしてゆっくり喉を上下させ、確かめるように言葉を紡いだ。
「ダメじゃ、ない」
その目尻から、ぼろぼろと雨粒めいた涙が頬を流れ落ちる。
「ダメじゃない……ダメじゃない、ダメじゃない……」
一旦決壊してしまったら、後はもうとめどがないようだった。
「よかった。……意地悪言ってごめんね」
両手に顔をうずめて泣きじゃくる江津さんの隣に移動する。やっぱりこの子は泣き虫だ。強くて強かで、真面目なのに大ざっぱで、そのくせ責任感だけは人一倍立派な、笑うとかわいい泣き虫の女の子。私のかけがえのない友達。
背中をさすりながら語りかける。
「くりすやを忘れないでほしい、たくさんの人に知ってほしいって言ってたよね。あれ、私も賛成。私は江津さんを手伝うよ。友達だもん。あ、同盟者でもあるか」
「……蘇生同盟?」
「そうそう、私が霊媒になってたい焼きに魂を……あれ? これだと私がお爺さんに憑依されてる? 私、ピンチじゃね?」
「何言ってるのよ、もう」
腫れた目で江津さんが微笑む。濡れた泣きぼくろがわずかに動く。
それは雨に咲く朝顔のような、鮮やかに光る笑い顔だった。
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