たい焼きジジイ蘇生同盟

「舌触りはええ線いっとるけど餡自体がちょい固いんや。たい焼きっちゅうよりあんパンの餡に近い。熱の入れすぎやな。練り上がりの固さを見極めるんは慣れやから回数重ねてこう。あと若干甘味にキレが足りん。ピッチングで言えば棒球やな。江津さん、砂糖は何使うた?」

「基本は氷砂糖で、三温糖と中ザラを足しています」

「やろうな。ならこれも練りの問題か。混ぜすぎると甘味がダレるさかい」


 焼きあがったたい焼きに対する栗須さんの講評は的確だった。

 たしかにおいしい。餡はもちろん、皮だって司書室のときよりグレードアップしている。しかしくりすやのたい焼きにあった、あの目が覚めるような感動がない。これなら餡単品で、もしくはお汁粉にでもして食べたほうがいい。

 餡と違って生地に使っている小麦粉が適当なのがよくない――私も、おそらく江津さんだってそんなふうに考えていた。しかし栗須さんは生地の配合以前の問題だと言わんばかりに餡を語る。自分では言語化しづらいポイントをてきぱきと射抜いていく。


「豆が後ろに下がっとる気もする。焼いた小麦の風味に負けとるし、上品すぎて野性味が足りん。吸水か渋切りで味が逃げたか、豆煮の火力・時間に難があるか。もうちっと雑というか、和菓子っぽさから離れてもええと思う」

「私としては充分適当にやっていたつもりなんですけど……」

「もうろくジジイのイメージでやるんや」


 めちゃくちゃな言いようである。妙に説得力があるのが余計困る。


「お菓子作りは化学って言うけど、私文系なのよねえ……」


 頬に手を当ててため息をつく江津さん。あれ、ひょっとして今ボケた?


「レシピ通りに作ってもそれ以外の差異は残ったままやからな。器具やら環境やらが違う分は調整せんと。それに――ま、ええか。これベースにしてブラッシュアップいけばええんちゃう? とにかく数やな。試行回数や」


 何か言いかけたのを止めて栗須さんは講釈を打ち切った。

 たい焼き作りのはずなのに結局餡の話に終始していた。元々餡の採点を頼んだのだから当然といえば当然だけど、つい口を挟んでしまう。


「あの、皮はどうでした? 生地は?」

「ああ、忘れとったわ。アンタの目的はくりすやの味の再現。それは変わってないな?」

「はい」

「なら論外やろ。美味いっちゃ美味いけど美味いだけや。粉選びから出直しな」


 ぴしゃりとすげなく一刀両断。

 美味いだけ、というあまりの言い分に乾いた笑いすらも保てない。辛辣な一言は正確に現状を表しているように思えた。

 たい焼きの残りを咀嚼しながらくりすやの味を思い出す。

 記憶の中のそれと比較する。かすかに似ているが違う。届かない。

 かつて気楽に食していた物の価値を改めて思い知らされる。あのたい焼きを食べていた当時はそのすごさが理解できなかった。

 夜空に浮かぶ星のように、そこに在る光なのにどこまでも遠い。


「で、なんで江津さんはジジイの餡のレシピ知っとるん?」


 天気の話題でも振るような何気ない口ぶりで栗須さんが尋ねる。

 はっとして江津さんを見ると、彼女の目はわかりやすく泳いでいた。

 製餡の喜びで失念していた。栗須さんがこの餡を食べればこういう流れになるのは自明だった。

 司書室では直伝と言っていたし後ろ暗い事情はないだろう。しかし江津さんに余分な説明責任を背負わせたかもしれない。


「ひとくち食ったらわかるわ。完成度はともかく設計図は模してるってレベルとちゃう。純然たるコピーや。どういうことやねん」

「それは……」

「やっぱ自力で研究して辿り着いたんとは違うんか?」


 ぎゅっと拳を握り、江津さんはうつむきかけていた顔を上げた。


「はい。お爺さんに直接教えてもらいました」


 それから彼女はぽつぽつと、店主さんと何があったか話してくれた。


           **

 

 くりすやが閉店するかもしれない。江津さんがそのことを聞いたのは、例年お客さんが減る真夏を控えた梅雨の日の午前だった。


「潮時かもな」


 いつものようにくりすやに行った日、お爺さんがふとこぼした一言。焼き型を返す金属音の合間からはみ出したその言葉を江津さんの耳は聞き逃さなかった。

 彼女はカウンターの窓に詰め寄った。何が潮時か、問い直すまでもなく直感が働いたという。漂いつつある終わりの気配を彼女は日々肌で感じていた。


「お店、やめちゃうんですか」

「わからん」


 お爺さんの返答はにべもない。普段ならそこで引き下がっていた。

 でもその日、江津さんは食い下がった。湧き上がる感情の赴くまま。

 このまま踵を返して帰ったら本当に何か終わってしまう。予感と不安に突き動かされて、バネ仕掛けのように身体が動く。


「あの、私にくりすやの――餡。餡のレシピを、教えてください!」


 無茶も無礼も承知で頼みこんだ。

 腰を深く折り、頭を下げて、祈るように強く目蓋を閉じて。

 その状態で何十秒か過ぎて、大きな手に肩を叩かれる。

 面を上げると店から出てきたお爺さんが目の前に立っていた。お爺さんは片方の眉を上げると、ちょいちょいと店舗を指差す。店の脇にある出入り口の扉はぽっかりと開け放たれていた。

 黙って店の中に戻るお爺さん。

 その後ろを付き従うかのように歩いていく江津さん。

 ほぼ客入りのなかったその日と翌日、江津さんは二日かけてお爺さんにひと通りの餡の作り方とコツを叩きこまれた。


           **


 慎重に、言葉を選ぶようなたどたどしい口調で話は終わった。


「ん、了解。なんか気い遣わせてすまんかったな」

「教えてくれてありがとう、江津さん」


 なんてことはない。何を隠しだてする必要も感じられない。要は私の焼き型と似た経緯だ。頼んだ、くれた、もらった。転機であることには違いないが、突き詰めればただそれだけの話。

 なのになぜ、未だ彼女の目は後ろめたさを湛えているのだろう?

 嘘はついていないけどすべてを打ち明けてくれたわけでもない。そんな雰囲気がひしひしと伝わる。この人はきっと話を盛ったり飾ったりするのが苦手なのだ。

 これ以上問い質すのはよくない。江津さんの心の負担になる。

 それでも私は、最後にひとつだけ確認したい事柄があった。


「江津さんは、お爺さんに焼き型を欲しいか訊かれたりしなかった?」

「……私には譲ってもらう資格がないから」


 微妙にかわされてしまった。

 生地のレシピは聞いていないのもこのあたりに起因するのだろうか。資格とは。


「あのさ、江津さんがお爺さんに教えてもらったから私たちはこの餡を作れたんだよ。それだけは間違いないから。教えてもらってくれてありがとう」


 最後は妙な日本語になってしまった。けれど本心からの感謝だった。

 江津さんは水彩めいた淡い微笑を浮かべるだけだった。


「ま、ジジイの考えなんぞようわからん。ろくすっぽ喋らんかったしな。ありゃたぶん伝えたいことは全部たい焼きに籠めりゃええ思うとったわ。小説家か」

「たい焼きに籠める……あっ」


 まるで芋づるのように記憶からそれらの存在が掘り起こされる。


「そういえばうちの冷凍庫にくりすやのたい焼きありますけど、食べます?」

「……は!?」

「はあ!?」


 目玉をひん剥いたふたりの声が昼間の住宅地にこだまする。驚いた小鳥の集団が電線から慌てて飛び立っていった。

 江津さんが私の肩をわし掴む。十本の指が食いこんで痛い。


「なんでっ! そういう! 大事なことをっ! もっと! 早く! 言わないのっっ!!」

「あっあっちょっと待って寝不足にその動きは効く」


 がくがく身体を前後に揺さぶられて意識が遠のきそうになる。私は以前テレビドラマで見たバーの光景を思い出していた。お酒が飲めない強面の壮年にバーテンが出したミルクセーキ。私の脳みそは今まさにあんなふうにシェイクされていると思う。


「何枚あるんや?」

「うえ、うえっと……八枚冷凍して、二枚食べたから、残り六枚。うえ」


 卵黄と牛乳がなじんできたグロッキーな頭でそう答える。


「おお~ええやん! ファインプレーや柊さん!」


 猛る江津さんとは対照的に栗須さんはうきうき顔である。


「アタシもさっき味のこと自分で言うてて自信なかったしな。最後に食ったの何年も前やし、ちゃんと確認しときたい。江津さん、帰ってきい。柊さんがジジイのとこ逝きかけとるで」

「はっ! ご、ごめんなさい!……でも本当にいただいていいの? 柊さんが買ったたい焼きでしょう? それに何より、最後の……」

「いいよいいよ、なんか手出しづらくてこのまま冷凍庫で朽ちちゃいそうだったし。ばーっと三枚焼いちゃいましょう。それじゃ家にあがってください、うえ」


 千鳥足でコンロの脇を通り、一階の掃き出し窓を開ける。靴を脱いで庭からリビングに上がるとふたりも私に続いた。

 急いで玄関から客用スリッパを持ってきてふたりにあてがう。


「すぐ温め直すのでふたりとも適当にくつろいでてください。洗面所は廊下に出て突き当たりを右、トイレはその手前です」

「わかっとったけどええ家に住んどるなあ」

「持て余しちゃってますけどね。おかげで掃除が大変です」


 キッチンの水道で手を洗って冷凍庫からたい焼きを取り出す。レンジとトースターで焼き直すとキッチンが香ばしい匂いに包まれた。大皿にあけて、ふたりが待つ四人掛けのテーブルへと持っていく。栗須さんと江津さんが並んで座って、対面に私ひとりという配置。

 三人揃って手を合わせてから熱いたい焼きに手を伸ばす。


「ちょっと餡がパサついとるけどまだイケるな。あーこれこれ、ホンマ美味いわ」

「ホント、百点満点中百点って感じだなあ。自分でいちから作ってみて初めてわかる偉大さっていうか……ってうおっ!? 江津さんどうしたの!?」

「ううううう~」


 江津さんはたい焼きを両手で持ったままめっちゃ号泣していた。男泣きならぬ女泣き。真っ赤になった鼻の頭からぴろんと透明な鼻水が垂れている。


「てってってん店主店主さ……ひーん」

「あーあーあーあーしゃあないなあ。ほれ江津さん、ハンカチ。顔拭きい」

「ぢーん!!」

(ノータイムで鼻かんだ!?)

「おわ汚っ! ハンカチの隙間から鼻水飛んできた! だーもう、しゃきっとせい!」

「あうっ!」


 バチーン! と盛大な音が鳴る。栗須さんが江津さんの背をトップス越しに威勢良くはたいたのだ。俗に言うもみじ。手形のついた背中を想像してぞくりとする。


「やば、思ったよりええ音したわ。スマン江津さん、痛うない……?」

「はっはい……いえすごく痛いです。栗須さんはヤンキーです。おばちゃんです」

「略しておばヤンなんてどう? おばヤンのプーさん。いつも傍にいる」

「柊さんとは後でたんとお話せなあかんようやな。……とまれ、アタシら三人はこの味に追いつくのが目標なわけや。泣いとる場合やあらへん、舌に、意識に、魂に味を刻んで、実現に向けて一歩ずつでも前進していかなあかんのや」


 ひと足早く食べ終えた栗須さんが私たちに目配せをする。テーブルの中央、空になった皿の上に右腕を伸ばして、何やら手の甲を怪しく波打たせる。仲間を呼ぶモンスターみたいだ。

 なんとなく推測を口にする。


「ひょっとして、円陣ですか? 手を重ねるタイプの」

「察しがええやないか柊さん」

「――やりましょう。いえ、やらなければならないわ。私たちの未来のために」


 先に手を重ねたのは江津さんだった。目が据わっていて若干怖い。変なスイッチが入ってしまったのか異様に乗り気になっている。とろけたりわずらったりキレたり泣いたりしたせいで情緒不安定になっているっぽい。

 仕方なく私も自分の手を重ねると、栗須さんが音頭を取った。


「我ら、たい焼きジジイ蘇生同盟! やったるでー! おー!」

「ええ、なんとしてでも甦らせてみせましょう……! おー!」

「単語の順番間違ってない?」


 ネクロマンシーみたいなネーミングはやめてほしい。

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