たい焼き作りって、楽しい

 江津さんと製餡を成し遂げて、お祝いに割り勘で注文したピザとコーラで祝杯をあげて。テンションが上がった私たちは今度は私の家へと来ていた。

 柊さん家って近くなのよね・せっかくだし皮と合わせてみましょう・餡は作りたてが格別なのよ。ノリノリで押せ押せの江津さんを拒否する理由はどこにもなかった。私もずいぶん高揚していた。セッションしようぜ! バッチコーイ! みたいな。親は今日はいないとだけ伝えた。藻永さんの訪問日も来週である。

 高揚しすぎて栗須さんにも『来ますか?』なんてメッセージを送った。『来てください!』だったかもしれない。


「で、柊さん。ジブンはアタシをなんやと思うとるんや」


 結果、午後。我が家の庭には三人の女が集合していた。例によってバーベキューコンロと焼き型、たい焼きの材料を置いた折り畳みテーブルも設置済みである。

 腰に片手を置いた栗須さんが白い目で私を見ながら言う。


「練習の予定キャンセルしたかと思うたらその日に呼びつけよって。まあ別にええねんけど、アタシかてそんなに暇やないんやで?」

「え? そうなんですか?」

「せやからジブンはアタシをなんやと思うとるん」


 うっかり素で反応してしまった。熟考の末に回答する。


「……プー?」

「言うたなワレ」

「別にお仕事に就いてないのは悪いことじゃないと思います」

「うむ。ってホンマ口だけは達者やな。つーか無職ちゃうわ。一応」


 一応ってなんだよ。思わずツッコミたくなったが言葉を飲み下す。

 実際こちらの都合で相手を振り回したのは道義にもとる。出店の件も含めてきちんと頭を下げて謝るべきだろう。

 そんな私の思考をよそに栗須さんは江津さんに目を向ける。


「んー……」


 何やら顎に手を当てて江津さんをじろじろ眺め回している。視線に耐えきれなくなったか、江津さんがおずおずと声をあげた。


「あ、あの、私の身体に何か付いてますか?」

「なんか付いてる……ああっ! 泣きぼくろ!」


 指を鳴らす栗須さんの頭上で電球が光ったように見えた。

 栗須さんは困惑する江津さんにつかつかと歩み寄ると、


「一丁焼きのチビやーん!」


 彼女の白い両手を包みこむように、その大きな手で掴んだ。


「ひゃっ!?」

「はあ?」


 江津さんと私の声が同時に家の庭に響き渡る。


「なんや何年ぶりかなー! 大きなったなー! 元気しとったかー!」


 先刻までとは一転、ご機嫌な顔で握った手を上下に振る。


「え、あの、なんですか? なんなんですか? 柊さん! この人何!」

「なんなんだろうね。大阪のおばちゃん?」

「おばちゃんちゃうわ。……ちゃうよな? おっと失敬」


 ぱっと手を離して咳払いするも江津さんはすっかり怯えている。いちいち距離感が近いのはトータルでは欠点ではないだろうか。


「江津さんやっけ、覚えとらん? ほら、商店街なくなる前に何度かくりすやで会うてるやろ」

「えっと、栗須……滝野さんでいいんですよね。いつ頃の話でしょうか?」

「せやなあ、アタシがまだ店立っとった時期やから十年ちょい前かな? で、アンタは当時連式も売っとったのに、生意気に十円高い一丁焼きばっか買っとったチビや。目元の泣きぼくろをよう覚えとるわ。かわいかったなあ」

「あ? あー、いた気がします。思い出してきた……」

「やろ!」

「愛想の悪い高校生がレジに立っていた時期がありました。店主さんの十倍くらい怖い、目がギラついたオールバックの人。ヤンキーみたいですごく苦手だった」

「なっなんやと!?」

「なんだとはなんですか。行きづらくて迷惑したのは私のほうです。小学生の私に対して威圧するような接客態度で……お釣りもほとんど投げつけてたし。今からでも謝ってください」

「うわっ急にかわいくなくなってきた。やっぱアタシのヒロインは柊さんしかおらん。柊さ~ん慰めて~」

「ドン引きなんで近寄らないでくれます?」

「最近の若いコがアタシにつめたい……」


 よよよ、と泣き真似している栗須さんをしっしっと手で追い払う。太平楽なエマや真性のミウミウとはまた別種のアホらしい。

 相手にするのが面倒臭くなってきたので話題を変える。


「江津さん、連式って何? というか今さらだけど、一丁焼きってこのハサミみたいな焼き型で焼くたい焼きのことでいいんだよね?」

「ええ。連式というのは鉄板で複数まとめて焼くたい焼きのこと。縁日の屋台やフードコートで販売しているのはほぼ連式ね。一般的には一丁焼きを天然もの、連式を養殖ものと呼んで区別したりするわ」

「どっちがええとかないけどな。ブリとか養殖のが脂乗っとるし」

「……あの、栗須さんって昔と全然キャラが違いませんか?」

「愛情表現がむつかしいお年頃だったんよ」


 盛り上がるふたりを尻目にコンロの上の焼き型に目線をやる。

 昔のくりすやは連式のたい焼きも売っていた。初耳だった。

 移転前のくりすやを知らない私と、往時を知っているふたり。ふいに疎外感が湧いてしまう。私が親の都合で美傘に引っ越してきたのは中学の頃で、その時点で商店街はほぼ原型を留めていなかったのだ。

 年季の入った焼き型の黒い表面は何も答えてくれない。

 私の面持ちを見て取られたか、栗須さんが本題を切り出した。


「まあ昔話はそこそこにしといて、作ったもん食わせてもらおか」


 待望の試食タイムである。

 まずは作った餡をそのまま味見してみようという話になった。タッパーに移して持ってきた餡を三枚の小皿に取り分ける。

 餡は小豆の粒が立っていて、皮に艶やかな光沢があった。紫がかったルビーのようにも映る美しい佇まいである。


「いただきます」


 緊張のせいか自然と静かになる。恐る恐るスプーンで口に運ぶ。


「――――ん」


 途端に肩の力が抜けた。

 入れ替わるように心と身体が、ふわっと小豆の風味に満たされる。


(わ、何これ。なんか地面から浮きそう……)


 清廉とした、透き通った甘味。

 春風のように吹き抜ける香り。

 視界が澄み渡っていく感覚には戸惑いすら覚えてしまう。

 濃厚というより濃密が近い。重量ではなく表面積。ひとくちで口の中に広がる小豆の食味がものすごく多いのだ。それでいて押しつけがましさはなく、ひとたび喉を通り抜けると甘さは霞のように消えている。味に一歩引いた品の良さがある。形を残した豆粒のしっとりとした舌触りも心地良くて、皮の食感もアクセントになっていて決して粗野ではない。

 べっとりと単調で甘ったるい、そんな世間におけるあんこの負のイメージをいっぺんに覆す。

 味も香りも縦横に弾む、活きた味わいの粒餡だった。


「おいしい……」


 何口か食べて、ほう、と息をつく。足が地についているのも確認。

 半分は安堵で、もう半分は感嘆から漏れた吐息だった。

 特別あんこが好きなわけじゃない。既製品がまずかったわけでもない。

 けど、今までとは明確に異なる多幸感に心を満たされる。

 あんこって、こんなにおいしいものなんだ。

 そしてこんなにおいしいものを、私たちはこの手で生み出せるんだ。

 司書室でたい焼きをふるまったときとは違う、かつて感じたことのない熱が胸の奥にこみあげてくる。


「……すごい。初めてでこの出来はすごいわ。柊さん、才能あるかも」

「江津さんの言う通りに手を動かしただけだよ」


 想定以上の餡の出来映えに江津さんもうっとりとしていた。スプーンを進める手を止めて、口に含んだ餡の味を沁み渡らせるかのように目を閉じている。


「ん、ええやん。かなり美味い。上等上等」


 一方で栗須さんは喜びつつもどこかクールな態度だった。汗水流して手作りした私たちのような補正がない分、冷静に味を評価できているのかもしれない。


「栗須さん的には点数にすると何点くらいですか?」

「んお? たい焼きの餡としては七十点ちょいってところやな。評、甘口と辛口どっちがええ?」


 江津さんと互いの顔を見合う。頷いて、栗須さんに向き直る。


「辛口で」

「おっしゃわかった。でもその前にたい焼きにしてみよう。百聞は一食にしかずってな。色々理解できるはずや」


 焼き型の予熱はもう済んでいる。本日二度目の軍手をはめようとすると、横から覗きこんできた栗須さんが八重歯を見せて微笑んだ。


「職人らしい手になってきたやん。まだまだ見習いやけどな」


 言われて自分の手のひらを見やる。両手にはぽこぽことマメができていた。


「夏休み明けて二週間も経っとらんのに大したもんやわ。餡よりそっちのほうがすごいで」

「おかげで筋肉痛ですけどね」

「勲章やん」


 先日のシャロンみたいに髪の毛をくしゃくしゃかき混ぜられる。くすぐったい。

 思えば三キロ近い鉄の棒を朝晩握り続けてきたのだった。材料抜きで素振りめいた練習をしていた時間も長い。栗須さんのゴツゴツした手のひらの由来をこの手でじかに知った。

 近づけたようでちょっと嬉しい。


「それじゃあ皮と合わせてみますね。ヘイ江津さん、セッションしようぜ!」

「えっ? せ、摂政?」

「なんや急に酔っ払いのノリになりよった」

「どちらかと言うとこれが地ですかね」

「柊さんにだけはキャラのことであれこれ言われたないわー」


 コンロで煙を立てている焼き型に刷毛でさっとサラダ油を塗る。

 生地を型に広げて、木べらで細長くすくい取った餡を上に乗せる。尻尾まで行き渡るよう小高く均等に盛りつけるのがコツだ。続けて餡を隠すように生地をかけて焼き型を閉じる。これを三回。

 何度か蓋を開けて焼き色を確認。頃合いを見て手首をしならせる。順番に焼き型を引っくり返していく。まだお爺さんみたいな滑らかさでは腕を動かせない。精進あるのみだ。

 一丁焼きのたい焼き作りは鍛冶に似ているのかもしれない。

 小麦粉と砂糖と小豆と水を直火ひとつで菓子に仕立てあげる。ときに朧げな、ときに凄烈な炎の前でただ腕を振るう。

 単純ゆえにごまかしの利かない、無駄が入る余地のないその世界。


(楽しい)


 ぴちゃんと、結露した感情が滴となって心の水面に落ちる。

 胸に広がった波紋を、もう一度改めて内心で口にする。


(たい焼き作りって、楽しい)


 最初は食べたいだけだった。

 もう一度くりすやのたい焼きを味わえればそれで満足だった。

 けれど、小麦粉をふるって水に溶くのも、小豆と砂糖を煮詰めて練り上げるのも、熱した焼き型を手に持つのも。焼けたたい焼きを自分で食べるのも。

 他の誰かに食べてもらうのも。

 好きになっている自分に気付いた。

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