アイスデッシャーと五本の焼き型
「なあ柊さん」
「なんですか
「なんで庭でたい焼き焼いとるん?」
「うちIHなんですよ」
「言いたいことはわかるような……? パツキンの嬢ちゃんは? 柊さんの友達?」
「通い妻の
「最近の子は爛れてるなあ。ちっこいほうの金髪ちゃん、お名前は?」
「……シャロン。エマの、妹です」
「おおかわええなあ、アメちゃんあげるわ。よろしく。で、ストライプスーツの旦那は?」
「後見人の藻永と申します。本業は司法書士をしております。こちら名刺です」
「あっはいよろしくお願いします。アタシは栗須
「いえいえ」
両者の間に成人同士のにこやかな社会人空間が形成される。
直後、栗須さんが額を押さえた。
「あっれー、なんやおかしいな? もうちょい威圧的にいくつもりやったのに……」
本日四人目の来客、栗須滝野は愛想のいい美人だった。
それにしてもエマたちと五分で打ち解けたのは無理があると思う。
「庭に来て第一声が『たい焼き焼いとったん?』じゃ仕方ないですよ~。お目目きらきらで弾んだ声で、どう見ても悪い人には見えませんし~」
「そんなんで気い許すとかジブンらもたいがい人がええよな。ありがたいけど」
のんきに笑っているエマと藻永さんを見て栗須さんが苦笑する。
私も彼女に同感だった。いくらなんでもこのふたりはゆるい。
子どもみたいにはしゃぐ姿に毒気を抜かれてしまったのは事実だ。しかし初対面相手に警戒心を弱める理由にはならない。飴を口にしないシャロンだけが健全な温度感で生きている。
私の態度が軟化した理由はエマたちとは別のところにある。
私は、彼女が栗須と名乗った時点でおおよその事情は察した。
現在は我が家のガレージに駐車している、彼女のバイクの積荷――布から覗いた五本の焼き型こそ、名刺代わりの身分証明。
「で、柊さんたい焼き焼いとったんやろ? ええなぁ~食べてみたいなぁ~」
「嫌です。だいたいしぬほどまずいですよ。そこのふたりには腐敗物扱いされました」
「ふ、腐敗物かあ……そらイヤやなあ。どないな調子で焼いとるん?」
「普通に型に生地を流して強火で五~六分ですけど」
「んー、なるほど」
材料と道具を置いた折り畳みテーブルに栗須さんが近づく。
彼女はボウルの端についた生地を指先で拭い、ぺろっと舐めた。
「お腹壊しますよ」
「へーきへーき、胃の作りがちゃうから。タネの配合は悪うないと思うで」
ボウルに顔を寄せてふむふむと何度か頷いてから語り出す。
「これなら弱火で時間かけて膨らませる方向のが美味いやろ。皮はある程度厚くしていこう。けどそれ以前にダマができとるのは問題やな。もっと撹拌せな。泡立て機ある?」
「あ、はいどうぞ」
「どうもどうも。使っちゃってすまんけどコンロの火力も弱めといて」
「はい」
医療ドラマのオペみたいなテンポで着々と作業が進んでいく。
メス。はい。汗。はい。泡立て機。はい。いつの間にか調理に巻きこまれている。
「余った材料であと二枚は焼けるな。適当に分けて食べようか。ところでなんて言うんやっけこの道具? 見覚えはあるんやけど」
「アイスクリームのデッシャーです」
「ああ、でぃっしゃあ。言われてみれば」
本当はお爺さんのように木べらで餡をすくって盛りたかった。しかしこれが思ったより難しい。量も形もてんでうまくいかず、ひどい時はたい焼きのお腹が破裂して惨い画ができたものだ。アイスのデッシャーは技術不足を補うための苦肉の策だった。
無性に恥ずかしくなり縮こまる。しかし栗須さんは何に感心しているのか、デッシャーに目を落として「あんさしにしては丸っこいけど、よう考えつくなあ」と唸っている。
「料理はなんでもそやけど、材料と道具っちゅーのは試合のメンバーやねん」
刷毛で焼き型に油を塗り直しながら栗須さんが言葉を継ぐ。
「材料にはそれぞれ向き不向きがある。そいつに合わない調理をするのは、巧守堅打がウリのナインに強振させまくるようなもんやな。チームとして破綻しとる」
「何の例えですか?」
「野球や野球。で、柊さんはメンバー――このタネが得意な戦法を指示せえへんかったわけ。もしくはその逆、やりたい戦法に沿った人選をせなんだ。やから弱いチームやった。ディッシャーの起用はともかくとしてな」
その意味なら後者が正解だろう。
私は作業を続けている彼女に無言で先を促す。
「『正しいチーム』が存在せんように『正しいたい焼き』も存在せん。けど『強いチーム』『美味いたい焼き』は疑いようもなく存在する。チームの形にはこだわらん、ただそこに向かって走ろうっちゅーのが、まあアタシなりの心構えや。美味けりゃ中身はなんでもええってな」
「お爺さんのたい焼きは作らないんですか?」
「作れれば苦労せんかったよ……っと」
生地と餡を入れた焼き型をふたつとも閉じて、彼女は顔を上げた。
「アンタはどうや? 柊桃」
豊かだった表情がすっとかき消えた。
まっすぐ、射抜くような目を向けられる。
「焼きあがるまで時間かかるし、最初の話の続きしようか」
空気に緊張が走るのを感じる。シャロンがエマの袖をぎゅっと掴んだ。さっさと話を終わらせるべく、私は自分から口火を切った。
「あの、くりすやの娘さんですよね」
「ご明察。改めて自己紹介するわ」
栗須さんが長髪をかきあげる。妙に芝居がかったふるまいだった。
「アタシは栗須滝野。あのけったくそ悪いモールでたい焼き屋やっとったジジイの孫娘や。証拠にバイクに焼きゴテ積んできたけど、持って来なくてよさそうやな」
「だと思いました。うちには残りの焼き型目当てで?」
「言うたやん。……営業日誌の最後に書いとった。最近よう見かける女の子にコテを半分くれてやったって。何考えとったんやろなあのジジイ。餞別のつもりか。そしてそれを受け取ったジブンも」
栗須さんの目は据わっていた。瞳の奥で怒りとも悲しみともつかない何かが燻っている。
私は彼女と相対しながら、やっぱり美人さんだな、キツい印象だな、さっきみたく笑っていればいいのにな、とどうでもいいことを考える。
「三日間バイクで街中回ったわ。けどあてもなく走ったところでコテなんぞ見つかるわけもない。ええ加減諦めよう思うたら庭でたい焼き焼いとるジブンを見つけた。奇跡もええとこや」
面立ちにそぐわないゴツゴツした手を突き出して、彼女は再度言う。
「そのコテはアタシのや。返し」
「嫌です」
考えるより先に口が出た。
焼き型をもらったときと同じ。昔からこういう体質なのだ。
「素人が持っとったってそのうち倉庫の肥やしになるだけや。アタシのがちゃんとそいつらを活かせる。美味いたい焼きを焼かせてやれる。ジブンがたい焼き作りに飽きるまで貸し出してやるつもりもあらへん」
「貸すも何もこれは私のです」
震えかけた喉に喝を入れて、きっぱりと自分の意見を返した。
思わぬ反撃だったのだろう、んな、と栗須さんが一瞬怯む。
緊迫する雰囲気の下で、私は進級前の冬、高一の頃のバレンタインを思い返していた。
なんてことのない、ありふれたバカ話だ。
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