第11話 給餌行動
それは、今まで飲んだことがないような味わいの酒だった。
何せ、今のこの、水が全くないご時世で、樽の中で三十年も熟成させたりしているんだよ?そんなお酒、美味しいに決まっているじゃないか!
前世、日本という国で生活をしていた私は、今の状況を十分に理解していますとも。
めちゃくちゃ体だるい、なんか、シモが痛い。
日差しが眩しい、雀がチュンチュン鳴いている。
「これが朝チュン!」
まさか、生まれ変わった今、この時に、朝チュンを体験するだなんて!思わず興奮しながら隣で寝ているはずのイケメンを見下ろすと、そこには誰もいなかった。
「これがいわゆるやり逃げ!」
朝、起きたら事後の状態。その上で放置、これぞやり逃げ。
「うえっ・・気持ち悪い・・頭がズキズキする・・昨日、忘れずにアクアパックを吐き出したというのに、遂に、微生物による脳内汚染が始まったのだろうか・・」
ローフォーテン領で支給されるアクアパックは、あまりに危なすぎて、王都でも禁止されているものらしい。
「時間を守って使えば大丈夫よ〜!」
なんてことをイヴァンナ様は言っていたけれど、時間を守っても駄目なのかもしれない。
「うえっ・・うえええええっ」
ベッドの下に置いてあったゴミ箱に顔を突っ込んで嘔吐する、これは本気でヤバいかも。脳内に微生物が繁殖したら終わりだって聞いたから、これで死んだら、キャンプに行かなくても済むことになるな・・
「リン、大丈夫か?明らかに君は飲み過ぎだよ」
「確かに・・アクアパックを飲み込んでいる時間が長すぎたかも・・」
アクアパックには人間に必要な水分を作り出す微生物が含まれているんだけど、飲み込んでいるのが不良品だから、常に死と隣り合わせ状態になっているんだよな。
「あー〜、もうすぐ死ぬのかも・・」
「死なない、死なない、ほら、水でも飲みなさい」
「はい・・」
その時の私は、生まれ変わる前の夢を長々と見ていたから、それを渡された後も、何の違和感もなく飲んでいたんだよね。渡されたのはペットボトルに入った水・・配給された泥まじりの水じゃなくて、ペットボトルの水ですって!
「な・・な・・なっ・・高級品がすぎる!泥水以外の清浄な水を飲んだの!貴族学校以外ではじめてですよ!」
私の背中を撫でていたウィルさんは、かわいそうなものを見るような眼差しで私を見つめた。
私は生まれ変わる前に生活をしていた日本のカルチャーについては詳しいとは思うんだけど、大陸の中央に位置するアドリスヴィル皇国だとか、周辺諸国だとかの文化や習慣については全く知らない状態なのは間違いない。
「皇国では、はじめて愛し合った際には、男性側が翌朝の食事を作って女性に食べさせる習慣があるんだよ。給餌行動みたいなものなんだけど、作法に則って用意してみたんだ!」
さすが皇国に本店を置く商人様なだけはあるようで、ウィルさんは私の家のテーブルの上に、見たことも無いフルーツ、見たことも無いサンドイッチ、最近では見たことも無かった紅茶を並べていったのだった。
「こ・・こ・・紅茶・・貴族学校で飲んだのが最後の紅茶が・・」
ほぼ初対面の女に手を出して、やり逃げをする最低な男と断定していたけれど、ウィルさんは素晴らしい人だ!商人って素晴らしい!レタスとトマトが挟まっているサンドイッチが用意出来るんだもの!
ベトついた体は濡れタオルで拭いて、着替えを済ませた私は、興奮したまま狭いキッチンのテーブルについたわけ。どうやら生まれて始めて二日酔いになったみたいなんだけど、ペットボトルの水を飲んだらスッキリ爽快気分になったんだよね?何かの薬が入っていたのだろうか?わからんけど。
「美味しいです!ウィルさん!美味しいです!」
「魔獣の生き血よりかは美味しいでしょ?」
「当たり前ですよ!」
前世、日本に暮らしていた私としては、日本米だとか、醤油とか、味噌とか、そんなものよりも、切実に、生野菜が食べたかったのだ。ご存知の通り、飲む水にすら事欠く世界では、生野菜なんてものは貴重だし、庶民には到底手が届かないものなのだ。
前世みたいにスーパーで山盛り状態で売ってなんかいないよ?砂漠に生えている苔を食べて生活しているんだからね?
滂沱の涙を流しながら食べる私を見ながら、ウィルさんは明らかに引いている感じではあったけれど、そんなことは関係ない。
「はい、アーン」
「あーん」
オレンジ色のマンゴーみたいな果物をアーンして食べさせてもらった私は、
「今度はケーキを食べさせてあげるね」
と、ウィルさんに言われた時には、天にも昇る心地となったんだけど、ちょい待ち、ちょい待ち、ケーキはさすがに駄目だろう。
「ウィルさん、それは貢ぐにも程がある!私、貴族でも何でもない、ただの平民ですよ?」
「皇国人の給餌行動を舐めて貰っちゃ困るな!」
皇国から来た商人だから、何でも持っているということなのか?
ケーキ・・しかもケーキ?
「まさか、クリームたっぷり、フルーツたっぷりのあの幻のケーキ?」
「君ってそういうのを食べるのが夢だったんだろ?」
「何故そのことを知っているんですか?」
ウィルさんは預言者か何かなのだろうか?
それとも、ウィルさんも私と同じ転生者?日本で生活していました系の、サブカルチャ―にも精通していたタイプの人?
「ウィルさん、あなたはもしかして、前世日本人の方ですか?」
「はあ?」
その時、ウィルさんはわけわからんと言った表情をあからさまに浮かべると、
「ぜ・・ぜんせ?にほじ?何?」
と、言い出した。
ああ、この人、絶対に『私、知らない世界に転生しちゃいましたー』系の人ではないと、私は理解することになったのだった。
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