第5章 魔女の秘密色

#1 トランスペアレント

「なぜベストを尽くさないのか?」


 屋敷のアトリエ内。

 魔女と2人きりのアッシュはそんな設問を投じた。


「ソナタ、突飛とっぴに何のことなのだ?」


 魔女は今回の依頼の舞台であった教会の下絵を灰色の鉛筆で描いている。

 気もそぞろに淡く応答した。


「今回の事件、魔女は非協力的すぎた。いったいそれがなぜだったのか……。ここ数日、僕は夜も眠れないくらいにずっと考えていた」

「ヴァンパイアが夜に眠れないのは普通なのだ。むしろ生活のリズムが戻って健康的ではないかね」


 魔女の下絵の横にアッシュは移動して詰め寄る。


「目立ちたがり屋の魔女が今回はなぜステージに上がらなかったのか?」

「ソナタ、何を言っておるのだ? 妾は囚われの姫君になっておったのだぞ?」

「そうかもしれない」

「そうなのだ」

「でも魔女なら」


 アッシュは言う。


「たとえ地下室に囚われていようと安楽椅子にくくり付けられていようと……いや、お絵描きしながらでも事件の謎を解けたんじゃないのか?」


 なぜ、それを積極的に放棄した?

 まるごと僕に押し付けてまで?


「えらく過大な評価をあずかったものだ。恐縮なのだよ」

「…………」

「……だが、買い被りだ。なにも妾はすべての難事件を解決に導ける――名探偵ではないのだから」


 魔女は鬱陶しそうに、しかし頑なにアッシュと目を合わせようとしない。

 表情も硬かった。


「それに今回はソナタが犯人を突き止めたそうな顔をしておったではないかね」

「たしかに。タイツちゃんが『お兄ちゃん』と呼んでくれたから僕は探偵役を買って出るのはやぶさかじゃなかった」

「ほれみろ」

「でも、それを言ったら魔女だって同じだろ」

「…………」

「愛弟子と認めたタイツちゃんの死の謎を、憎き犯人を暴かずにはいられないはずじゃないのか?」


 それとも僕は魔女のことを見誤っているだけなのか……。


老婆心ろうばしんながらに忠告しておくぞ。それ以上かわいいお口を開くな。駄犬だけん


 飼い主の魔女は冷血な語調でしつけた。

 しかし、アッシュはねちっこく舌舐めずりを返す。


「生きていく上で赤色と青色を混ぜ合わせれば紫色になるなんて知識は、僕はさして興味もなかった。だけどお絵描きの魔女、あんたは違う」

「…………」

「魔女ならくだんの双子姉妹が使用した混色トリックなんて見飽きるほど、いて捨てるほど見てきたことは想像に難くない」

「妾は、かのような双子は見たことも聞いたこともなかったのだ」


 とぼけるように言ってから、魔女は押し黙る。キャンバスに鉛筆を走らせて灰色の世界を描いた。

 このまま水掛け論を続けていても埒が空かない。

 アッシュはそう判断して、今回の事件とはまったく関係のない質問を投げかける。


「魔女は、なぜ他者との肉体的接触を極端に避けていたんだ?」


 ボキッ。

 と、鉛筆の芯の折れる音が虚しく鳴った。

 ここでようやく小気味よくスタッカートを奏でていた魔女の鉛筆は静止する。


「魔女は握手をしない。それは文化の違いでいいとして、でも僕が初めて魔女に出会ったときはどうだ。魔女は僕をリコーダーで横殴りにして決して触ろうとしなかった。教会の地下室に閉じ込められたときだって、とんがり帽子越しにしか僕は魔女の体温を感じられなかった」


 化け猫のような双眸で睨む魔女に怯まず、再度アッシュは問う。


「魔女、なぜベストを尽くさないのか?」

「……」

「それとも……尽くせなかったのか?」


 純真無垢なアッシュの瞳に見つめられて魔女は視線を逸らし俯いた。


「どうやら妾はソナタの眼を見誤っていたようなのだ」


 ふっと、魔女は唇を綻ばせる。


「名探偵から自白に追い込まれる真犯人というのはこんな心境だったのだな」

「僕ごとき名探偵にはなれない」

「そうかね?」

「ああ、せいぜい助手どまりだ」

「ぷっぷっぷっぷ。よもや、その助手とやらにこの魔女探偵が追い詰められることになろうとは……」


 それこそ真犯人のように名探偵は吐露した。

 続けざまに、魔女は立ち上がると相変わらず華奢な体躯である。

 禁煙して正解なのではないかと思えてくるが、実際は呪いの魔法のせいなので喫煙との因果関係はないらしい。

 アッシュはそんなあくたもくたのことに頭を使っていると、


「なんとしてもソナタは妾を疑いたいようだな」


 唐突に魔女は哀調の帯びた声を響かせる。


「そんなに妾のことが気に食わんのか?」

「気に食わんというか、ただ気になっただけで……」

「口答えするでない、この包帯マン」

「包帯マンって……」


 弱っちそう。

 年中無休で怪我してそう。


「この虚けめ」

「いくらなんでも言いすぎじゃ――」


 僕がそう言いかけたまさにそのとき、魔女のお人形のようなほっぺたにツゥーと涙が伝う。


「あっ、いや」


 アッシュは慌てふためきながら両手を振る。


「僕は別に魔女を泣かせようと思った、わけ、じゃ……」


 そして見てしまった。

 魔女の涙の色を。

 それは美しく澄んだ――無色透明トランスペアレントだった。

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