#8 受け継がれるとんがり帽子

 アッシュが地下に降りていくとそこには壁に立てかけられた脚立と鉄格子に囲まれた牢屋があった。

 そして、その牢屋に囚われていたのは――


「魔女!」


 約半日ぶりに目にする鍔広とんがり帽子を被った少女。


「その声は……アッシュか!」


 元気溌剌と反応する魔女は暗紫色のローブにトレードマークのランドセ――


「あれ……魔女。目に痛いくらいの真っ赤なランドセルはどうした?」


 アッシュは感動の再会に涙でも流そうかと思っていたのだが。

 アッシュが何の気なしに牢屋に近寄ろうとすると、


「あわわっ、こっちに来るでないわ! うつけ!」


 魔女は鬼のように激怒した。


「なんでだ、魔女? せっかく助けられるっていうのに……」

「助手のくせに口答えするでないのだ。そこで話をすれば問題なかろう」

「……はあ」


 了見を得ないアッシュに魔女は続ける。


「妾のランドセルは犯人に盗まれたのだ。以上!」

「盗まれたのかよ」


 もしかしたら考えたくもないけど。

 僕に見せたくないほどに非道いことを犯人にされたのか。

 アッシュは殺意が湧く。


「僕は犯人を絶対にゆるさない」


 アッシュは拳を握ると血が滲んだが包帯を巻いているので治療いらずだった。


「というか、そもそもなぜ魔女はこんなところに閉じ込められているんだ?」

「それを話すにはまずあの犯人の残した『Ikaros』の意味を解かねばならんのだ」

「ぜひ聞かせてくれ」

「うむ。イカロスの神話はソナタにも話したであろう」


 魔女はエアパイプをプカプカと吸い出して(シャボン玉依存症の末期である)、かくかくしかじかと説明する。


「なるほど。そういう意味だったのか」


 アッシュは腑に落ちた。


「――と、妾もそう思っておったらこのザマだ」

「ん?」

「どうやら一番高い位置も反転させねばならんかったようで、一番低い位置、すなわちこの地下室を捜し当てろという意味だったのだ」

「でも魔女、鏡の性質では上下反転はしないんじゃないのか?」

「ぷっぷっぷっぷ。それが歪んだ鏡――凹面鏡の場合はありえるのだよ」


 スプーンに映った顔が逆さまに見えるっていう例のやつか。


「であるからして『♯0000FF』のほうは妾がいちいち説明せんでも、ソナタなら解けるな?」

「ああ。なんとなくは……」


 アッシュは生返事する。

 事件解決のとっかかりにはなりそうだ。


「ひとまずソナタも質問はよかろう。模型くんを呼んできてくれたまえ。まさか死んではおらんだろうな?」

「しぶとく生きてるよ。ピンピンしてる。でもニジーのほうが……」

「ん? そっちも心配いらんはずだが……」


 まあよい。

 と、魔女は軽く受け流す。


「それもおいおいだ。まずは模型くんを――」

「その前に魔女、大事なかいがひとつ抜けている」


 助手は探偵に尋ねた。


「一連の事件の犯人は誰だ?」

「…………」


 数秒間、魔女は沈黙したのち、


「妾は知らん」


 と、意外な答えを返した。


「そんなわけ――」


 言いながらアッシュはすぐに思い至る。

 どうやら魔女は犯人に何かしらの弱みを握られているらしい。

 それはこの事件に関係のあることなのかまではわからない。


「この事件はソナタの力で何とかせい! 信じておるぞ! 助手アッシュよ!」

「……肩透かしもいいところだ」


 アッシュは当てが外れてガクッと猫背になる。


「じゃあ今度は魔女にじゃなく、ひとりの画家に質問だ」


 そこでアッシュはとある問いを――投げかけた。


 それを聞いて、ひとりの画家は「ぷっぷっぷっぷ」と奇怪に笑う。

 色も付けず、混じりっけなしに魔女は解を告げた。


「ソナタ、それは赤と青なのだよ。カラーコードはそれぞれ『♯FF0000』と『♯0000FF』」

「そうか。ありがとう。これですべての謎は解けた」

「ほう。しばらく見ぬうちにいたく頼もしゅうなったのだな。その風体を見るにソナタもえらい目に遭うたようなのだ」

「それはお互い様だけどな」


 アッシュは魔女の期待に応えるべく最後の証明に取りかかる。


「その魔女が落ちて来たっていう穴から礼拝堂に戻って、僕は証明しなければならない。絶対に魔女のほうを見ないって約束するから……道を空けてくれないか?」

「うむ。しょうがないのだ」


 アッシュの言いたいことをすべて察したように魔女は念を押す。


「絶対に妾を見てはいかんぞ。もしも見てしもうたらソナタをカエルの子供に――」

「あーわかった、わかった。わかったから」


 アッシュはちょうど堅牢な壁に立てかけてあった錆びた脚立を拾い上げる。魔女を視界に収めないように下を向き、牢屋の南京錠めがけて思いっきり振り下ろした。

 パキンッ! 

 と、錆びた南京錠はあっさり壊れた。


 魔女を見ないようにアッシュは明後日の方向に首をひねって穴の下にたどり着く。

 天井には暗い穴が巣喰っており、ここから魔女は落ちてきたのだ。

 その穴に脚立を立てかけた。


「僕はもう行くよ」


 ギシギシとアッシュは脚立を昇る。

 すっぽりと上半身が暗闇に飲み込まれたところで、


「ソナタ、ちょっと待つのだ」


 と、魔女の澄んだ声色がアッシュを呼び止めた。


「手を下に出してみろ」

「えっ、なんだ?」

「あーっと、絶対に下をのぞいてはならんのだ。ソナタは無駄に夜目が利くからな」


 注意しながらアッシュは言われたとおりに手を下に伸ばすと、魔女の気配を手元に感じる。


「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『お絵描きの魔女のとんがり帽子』」


 続いて、きめ細かい絹糸の感触が包帯越しの指先に伝わった。


「これを被った者はたちまち名探偵ばりの推理力を発揮し、たちどころに謎を解いてしまうのだよ」

「それは本当なのか? 魔女」

「さあ? まずはその真偽のほどを推理せねばならんのだ」


 おちょくるように「ぷっぷっぷっぷ」と嘲笑する魔女。

 絵の具と石鹸の匂いのたっぷり染みついた鍔広とんがり帽子を、ふたりは握る。

 瞬時にアッシュは察した。


 露出した僕の顔面を気遣って魔女はこの帽子を寄越したのだ。

 しかし魔女はとんがり帽子をなかなか離そうとはしない。


「ソナタには犯人はわかっておるようだし余計なことは言わん。神の面前で白黒はっきり付けるのだ」


 そして魔女は言う。


「どんな謎も――けして色褪いろあせん」


 口上を述べると、ようやく魔女はとんがり帽子から手を離した。


「ソナタ、気をつけるのだぞ。ハレルヤ」

「うん。魔女も健闘を祈る」


 答えて、アッシュは譲り受けたとんがり帽子を被り階段を昇った。

 くねくねとした穴を手探りで進むと行き止まりにぶち当たる。

 押して引いてしていると扉は内側に開き、アッシュは顔を出す。


「カボチャ……くん?」


 そこには魔女関連と思しき、カボチャの顔とアッシュは目が合う。

 アッシュは目に刺す陽射しを避けるようにとんがり帽子を目深に被り直した。首をひねって辺りを見回すと、そこは魔女の証言どおり時計台の鐘だった。扉は一尺四方のブロックのひとつに鏡が張り付けられており、意外と自由な角度に調節できる仕様である。


「犯人は手間の掛かることにこれを造ったのか……いや、まさかな」


 などと考えながらアッシュが隠し通路をのぞき込むと、目をひん剥く。

 その通路の内側にはおびただしい数の手跡がついていた。

 四方八方びっしりと。

 しかもこれは。


「血だ」


 怨念すら感じさせる小さな手形たち。

 息を飲んでから、アッシュはカボチャくんを手に提げてその場をあとにする。

 今朝と同じように通常の出入り口から礼拝堂に立ち戻った。


「そそそ、その包帯はアッシュさん!?」


 コスモナウトのそんな驚愕する声が聞こえてくる。

 顔を伏せているので、アッシュには一同がどんな顔色を浮かべているのか見えない。


「ア、アッシュさん! どうして!? 懺悔室に立て籠もっていたはずでは……?」

「僕は別に瞬間移動したわけじゃない」

「それはそうでしょうけど。それにそちらのとんがり帽子はお絵描きの魔女の所有物のはずじゃ。そして……カボチャ?」


 コスモナウトが困惑していると、


「そうだ。包帯男」


 と、ブラック刑事の渋い声が割り込む。


「どんなトリックを使った? 詳しく説明する責任がおまえにはあるんじゃねえのかよ?」


 アッシュはその2人の疑問に同時に答える。


「懺悔室の下に隠し部屋があった」

「隠し部屋だと?」

「ああ。そこに魔女は昨夜から監禁されていたらしい。犯人に乱暴をされて傷を負っているかもしれない」


 それを聞いた途端。

 模型くんは目を見開いたあとに眉をクッとつり上げた。のちに大腸の裏から救急箱のようなものを引きずり出し、猛ダッシュで地下室に駆け降りていった。

 カラフルな背中を一同は見届けた。


 それからアッシュは誰とも目を合わすことなく、いわく付きの鍔広とんがり帽子を目深まぶかに被り直す。


「全員、この場を動くな」


 アッシュは礼拝堂全体に響く肉声を放った。


「一連の事件の犯人がわかった。これより僕が謎解きを始める」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る