#2 ブラック刑事

 アイス少年の外傷は青い心臓部を布団の上からひと突きにされており、それが死因と思われた。

 そしてまたしても、ベッド付近の床には『♯0000FF』の真っ青な血文字。

 おそらくはアイスの血で書かれたと思われる。


「この現場にも凶器らしきものは落ちていないか」


 しかし手口がこれまでの事件と同様である点から同一犯と見て調査を進めよう。

 ベッドには吸収しきれなかった青血ブルーブラッドがシーツの流れに沿って床に滴り落ちている。

 するとベッドの脇に不自然な血だまりが広がっていた。

 窓から射し込む陽光にちょうど照らされている。

 それをアッシュは人差し指でこすり取り、パクッと咥えて舐めてみた。


「アッシュ氏。何をしていらっしゃるのか……聞いてもよろしいですかな?」

「……しまった。つい、いつもの癖で……」


 アッシュは高速で言い訳を考える。


「これは……僕なりの調査方法だ」

「そうなのですか。さすがはウィッチの666番目助手ですな」


 どうさすがなのかわからないが魔女のおかげで助かった。

 一息吐いてから、アッシュは舐めた液体の違和感に気づく。


「薄いブルーブラッドだ。淡く冷たくてシュワっと微炭酸……」


 もっともこんな違いを判別できるのは人間の血を飲み慣れたヴァンパイアくらいのものだろう。

 すると。


「そこで何やってんだ、ミイラ男」


 聞き慣れないドスの利いた声に、咄嗟にアッシュは振り返る。

 気づけば部屋の入り口にとある人物が立っていた。

 それは制服の上から黒いコートを羽織った黒人の警察官だった。

 真っ黒なオールバックにソフトハットの全身黒尽くめ。無精髭を生やし口元には葉巻を咥えている。室内だというのにサングラスをかけており不審な包帯男が映り込んでいた。


「なに捜査ごっこしてやがんだ。おっと、その場から動くな」


 黒人の警察官はグラサンを前髪にずらして、カラスのような黒い眼をこちらに向けてくる。

 アッシュにはわかる。


 こいつはきる――と。


 その眼光に睨まれて内心たじたじのアッシュは身じろぎひとつできない。


「これはまた奇遇……。ご無沙汰しております」


 ピエロ神父は牧歌的に手を差し出した。


「10年ぶりですかな? ブラック刑事」

「もうそんなに経ちますか」


 ブラック刑事と呼ばれた人物は「あの頃は自分も新米のひよっこでした」と哀愁を漂わせながら握手を交わす。

 それから頭を下げた。


「その節は、われわれ警察の力が至らぬばかりにどうもすみませんでした」

「いえいえ、ブラック刑事が謝罪することではないでしょう。それに今回はこうして一番乗りで駆けつけてくれたではありませんか。心強いですよ」


 大男2人は久闊きゅうかつじょした。

 刑事のほうは長身ではないが服の上からでもわかるほど筋骨隆々である。


「いや、俺はただ居ても立ってもいられず先んじて駆けつけてしまっただけで……。それでもまた間に合わなかったようですが」


 ブラック刑事は暗い瞳で真っ青なアイスの死体と真っ赤な血まみれの廊下を順々に見据えた。


「あのピエロ神父、こちらは?」


 アッシュはやっと声を発することがかなう。


「ああ? 俺か?」


 ピエロ神父が答えるよりも先に、葉巻を燻らせながら本人が意気揚々と名乗った。


「俺はインクだ。同僚連中からは一匹黒狼ブラックウルフなんぞと呼ばれてる」


 ハグレものの窓際刑事が孤高にお出ましというわけか。

 アッシュが呑気にも思っていた。

 すると何の前触れもなくガチャリと黒鉄の手錠を包帯の手首に掛けられていた。


「えっ、ちょっ、ブラック刑事……?」

「おまえが犯人なんだろ」

「ひ、人違いだ」


 そもそも人ですらない。


「おまえ、さっき証拠隠滅を図っていたし見るからに怪しい。黒幕っぽい」

「ぽいって……なんだそれ」

「刑事の勘だ」

「おいおい」


 実際僕の人生は清廉潔白の無罪とはいえないので、この刑事なかなかに鋭い勘をしている。

 しかしこと、この孤児院の件に関しては、僕は無罪を主張させてもらう。


「いいから手錠を外してくれ」


 アッシュとブラック刑事は無言で睨み合った。

 いわゆる視殺戦しさつせんである。


「チッ、素人が現場に手垢を残すんじゃねえよ。ちゃんと現場保存しとけ。カス」


 ブラック刑事に怒られながらアッシュは手錠を外してもらった。

 しゅんと気落ちするアッシュ。

 しかし続いた言葉が聞き捨てならなかった。


「おまえは、どこぞの悪趣味な魔女かよ」

「……もしかして、ブラック刑事はお絵描きの魔女を知っているのか?」

「まあな。イロモノ同士、お互いに縁が合っちまうのか。よく現場でバッティングすんだよ」


 顔を歪めるブラック刑事にピエロ神父は余計な告げ口をする。


「こちらのアッシュ氏は、最近魔女探偵事務所に所属した助手でしてね」

「チッ、なんだよ……。あのお絵描きのの手先てさきかよ」


 まあどうせピエロ神父が言わずとも遅かれ早かれバレただろう。

 アッシュは潔く諦める。


「どおりで、おたくは珍奇な見た目をしているわけだ。あのお絵描きのはヘンテコな引力を持ってやがる。周囲に変な奴が寄ってくるのさ」


 俗にいう、類は友を呼ぶというやつ。


「で、あいつがいるっつーことは模型野郎もいんのか?」

「それが……」


 アッシュは浴室にブラック刑事を案内した。


「この有様だ」

「こりゃひでえな」


 ブラック刑事は眉根を寄せる。


「パーツをバラバラにされてやがる。こっちのレッドのガキは心臓をひと突きであの世行きか……。犯人はだいぶ殺し慣れてやがるな」

「発見当時、現場にそれらしい刃物は落ちてなかった」


 アッシュは情報を付け加える。


「それは何時頃の話だ?」

「つい先ほど、ブラック刑事が到着する前だから午前8時くらいだ」

「第一発見者は?」

「コスモナウトだ」


 アッシュが答えると、


「わたしが今すぐ連れてきましょう」


 と、ピエロ神父はコスモナウトの部屋に呼びに行く。

 すぐさま子供たちの面倒をピエロ神父に任せてから入れ替わるように、コスモナウトは浴室前に青い顔を出した。

 頭を下げて挨拶をする。


「お久しぶりです。ブラック刑事」

「いえ、こちらこそ。教会から連絡を受けたのち署のほうからすっ飛んで参ったのですがこんな力足らずで……」


 悄然しょうぜんとしてブラック刑事は素手で葉巻を握り潰した。


「今朝、あなたがこの浴室でそこのレッドの少年と模型を見つけたと?」

「ええ。朝、目を醒まして洗面台に向かおうと思ったら廊下に赤い液体で引きずられたような跡があったんです。それを辿っていったら……」

「この惨状が広がっていたと」


 ブラック刑事は意外にも黒いメモ帳に黒いボールペンで几帳面に筆記をとる。

 その横をアッシュはすり抜けた。

 先ほど発見した紫色の血だまりを凝視する。


 まさか模型くんから出血したのか……。


 アッシュは不可解に思い、人差し指でこすり取りパクッと舐めようとした――まさにそのとき、


「何やってんだおまえは!」


 と、ブラック刑事から手首を掴まれた。


「気色悪りぃ! ドタマぶち抜かれてえのか!」


 しかしここで恫喝に屈しては駄目だとアッシュは判断する。


「舐めて、血の味を確かめる。手を離せ」

「離さねえよ」

「これは僕なりの調査方法だ」

「おまえは馬鹿か? 血を舐めて何がわかるってんだ!」


 アッシュとブラック刑事が言い合っていた。

 今にも殴り合いの始まりそうな、まさにその次の瞬間、


「いい加減にしてください!」


 コスモナウトは怒鳴った。


「子供が3人も死んでるんですよ! 大人同士で言い争ってる場合ですか!」

「……そうだな。すまなかった」


 ブラック刑事はしおらしく謝る。

 それ、今のうちだ!

 アッシュは人差し指を染めている紫血パープルブラッドをぺろりと舐めた。


「お、おまえなあ……!」


 ブラック刑事とコスモナウトは驚愕している。

 しかし、アッシュはもう後には引けない。

 魔女も行方不明なのだ。

 なりふり構ってはいられなかった。

 その血は生ぬるくてピリ辛。

 加えてゴム手袋の風味に隠れるようになんだか変な味もした。


「それで犯人がわかるんですよね、アッシュさん?」


 コスモナウトは不安げな色の帯びた視線をアッシュに寄越す。


「わかる……かもしれないけど、今のところはまだわからない」

「なんだそりゃ」


 そう言って、ブラック刑事は呆れたようにボールペンで黒い頭を掻いた。

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