第4章 鏡の国のイカロスは空に墜ちたか?

#1 カラフル死体

 翌日の朝。

 アッシュのアラームはショッキングピンクの悲鳴だった。

 アッシュは目蓋を全開にして飛び起きる。

 隣では白衣の天使ナースがおっとりと寝息を立てている。

 しかし、昨晩より人員がひとり不足していた。


「今の悲鳴はコスモナウト……部屋の外か!」


 アッシュは布団をバサッと翻す。

 キラキラとホコリが舞い散り陽光を乱反射させる。


「どうかしたのか! コスモナウト!」


 部屋の外に勢いよくまろび出るとアッシュは息を呑む。

 大理石の廊下には引きずられたような真紅の液体が延びていた。

 そのナメクジの足跡みたいな道しるべを恐る恐るアッシュは辿る。

 どうやら浴室まで続いていた。

 そこでアッシュはコスモナウトを発見する。

 顔色は青ざめて生気がない。

 その視線の先をアッシュはのぞくと、そこにはカラフルなパーツをバラバラにされた模型くんの残骸。内蔵の飛び出た腹部には見覚えのあるティーセット、マッチ箱、シャボン液のアンプル、透明な灰皿、救急箱などの日用雑貨がとり残されている。



 ――そしてその隣には、チェリー少年の死体も横たわっていた。



 浴室の床を真っ赤な血液が燃えるように染め上げており、チェリーの心臓部には鋭い刃物で刺されたような傷痕が認められた。

 しかし、付近に凶器と見られるものは落ちていない。


 代わりに『♯0000FF』の真っ赤な血文字。

 おそらくはチェリーの血液で書かれたものと思われる。


「どうして……こんな……」


 コスモナウトはおろおろと泣き崩れた。

 透明な涙とレッドの血が床のパレット上で混ざり合い、あだ花が咲き乱れる。

 それは哀しいまでに美しかった。

 その少し離れたところ、チェリーの遺体の下辺りにアッシュはなんだか違和感を覚えた。

 よくよく観察すると紫っぽく色づいている。

 気にはかかったが今は先にやるべきことがある。


「コスモナウト。とりあえずピエロ神父に報告を。僕は他の子供たちの安否確認と魔女を呼んでくる」

「……はい。わかりました」


 コスモナウトは眼鏡の間から目尻を拭いて立ち上がったのち、ふらふらと神父室へ足を運ぶ。

 さしあたり、アッシュは魔女の部屋のドアを叩いた。

 ドンドンドン。


「魔女、大変なことになった。チェリーくんと模型くんが、ただ事じゃない事態に……」


 アッシュは言いながら不覚にも気づく。

 模型くんがあんな状態になっているということを魔女は知らないのか?


「そういえば、昨晩僕は寝落ちして……。本来なら夜間調査が行われるはずだった」


 じゃあ模型くんはいつ殺された?

 そして、魔女は……。

 アッシュはいくら呼びかけても一向に返事のない無機質なドアを見つめた。


「魔女は絶対に開けるな――って言ってたけど……」


 アッシュは手に汗握る。

 意を決して、金気色のドアノブをくるりと回した。

 ガチャリ――と、無用心にもドアは押し開かれる。


 魔女の部屋には誰もいなかった。


 アッシュは見回していろいろと物色するが、画材や化粧台やトランクケースがあるだけだ。

 あとは黒猫ニジーが広々なベッドを独占しているのみ。慌ただしい朝日の中を虹色の七叉が悠然と揺れている。


「魔女、どこへ消えた?」


 アッシュの心に切実な思いが込み上げてくる。

 ちゃんと僕が夜間調査に同行していれば……。

 アッシュが後悔の念にさいなまれていると、隣のネイビープレートの掛かった部屋のドアは開く。


「朝っぱらから騒がしいっすよ~。ふぁ~あ」


 あくびと伸びを交えながらデニムが出てきた。

 全身デニム生地のパジャマ姿である。

 毎晩、その恰好で寝ているのか……。

 アッシュがドン引きしていると、立て続けに他の扉も開く。


「この廊下の有様はいったい……」

「……包帯のお兄さん」

「あのね、これはね、事件なのね」


 マリン、ナース、チョコとパペットのモグランの安全はこれで確保できた。

 あと安否が不明なのは青人の少年アイスと魔女だけど……。

 とそこで、コスモナウトはピエロ神父を引き連れてきた。

 ピエロ神父はカラフルな太陽系惑星のパジャマ姿。その手にはジャラジャラと輪っかを携えており鍵がいくつもぶら下がっていた。


「わたしが通りますよ」


 ピエロ神父は寝起きまなこの子供たちをカラフルにかき分ける。


「ピエロ神父、アイスくんがまだ夢の中みたいだ」


 青いプレートの掛かったアイスの部屋をアッシュは指し示す。


「わかりました。子供たちは下がっておきなさい」


 ピエロ神父の鬼気迫る声に子供たちは怯んだ。

 コスモナウトは4人のシスターを桃色の一手にく。

 鍵が差し込まれ、ガチャリと解錠される音は耳に痛いほど大きく聞こえた。

 ギギギィーと、無機質に開かれるドアの向こう側。



 ベッドの上でアイスは仰向けのまま死んでいた。



 純白のベッドシーツは群青に染まり、海上に浮かんでいるようにも見える。


「……シスター・コスモナウト」


 ピエロ神父は仮面のこめかみを押さえてから金色モサモサのかぶりを振った。


「子供たちを率いて自室に戻りなさい。そして朝の祈りを捧げるのです」


 ピエロ神父の様子に部屋の中の惨状を一同は察する。

 コスモナウトと子供たちは廊下に延びる真紅の血液を避けながら現場を去った。

 アッシュとピエロ神父はおずおずとアイスの部屋に入る。


「ピエロ神父、こんな状況で聞くのもなんだけど……魔女を見てないか?」

「今朝は見ていませんね。昨晩なら夜9時頃に部屋の前でアッシュ氏を待ちぼうけている様子でしたが?」

「……そうか。やっぱり魔女は幽霊調査に乗り出していたんだ」


 アッシュは歯噛みすると血の味が口いっぱいに広がる。

 でもすぐに消えた。


「もしかして、ウィッチの身に何かあったのですか?」

「うん。先ほど部屋を訪ねたが留守だった。そして昨夜、幽霊調査に一緒に出たであろう模型くんは浴室でバラバラになっていた」


 アッシュは答えながら窓に近付く。

 窓のクレセント錠は施錠されていた。

 クレセント錠とはその名の通り三日月クレセントのような形をした金具を180度回すことで施錠する錠のことである。一般的には窓によく使われる。


「ピエロ神父、部屋の鍵の管理はどういうふうにしていたんだ?」

「礼拝堂の後ろの一画に掛けてあります。これの他にはありません」


 ジャラジャラとピエロ神父は鍵を見せびらかす。


「つまり、誰でも犯行可能か……」


 言いながら、アッシュの脳細胞に電撃が走って思い出した。


「いや違う。昨日だけは例外のはずだ」

「はい?」

「だって礼拝堂の後方には縛り付けられていたアフローがいた。犯人が鍵を使用したならアフローに見咎みとがめられたはずだ」

「ああ、たしかにそうでしたな。先ほどわたしも鍵を取りに行く際、アフロー氏と目が合いました。緊急を要したのでなくなく無視しましたが」


 ということは、昨日に引き続き――第2の密室殺人ってわけか。

 アッシュは手をポケットに突っ込む。

 屋敷で魔女から渡された四角いケースに触れた。

 そして――にも。


 とそこで、ようやくお目当てのものを探り当てる。

 昨日使用した白いゴム手袋だ。

 アッシュは白いゴム手袋をミチーンと嵌めた。


「アッシュ氏。わたしは邪魔はいたしませんので存分に調査をしてください」

「言われなくても、僕は魔女探偵の助手だからな」

「頼もしいかぎりですな」


 ピエロ神父は胸の前で十字を切り、提げてある十字架を強く握りしめる。


「どうか迷える子羊を救ってください。神のご加護があらんことを」

 

 正直ひとりじゃ心細いが、アッシュは素人ながらにアイスの検分を始めた。

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