#2 蜜は罪の味

 目を醒ますと、アッシュは黄土色おうどいろ麻縄あさなわで縛られていた。

 隣には同じく緊縛状態のアフロー。

 ここはどうやら礼拝堂の最後方の隅っこのようだ。

 右上にはフック状の鍵掛けがあり、輪っかにいくつもの鍵がかけられている。背中側には荘厳なパイプオルガンが鎮座していた。

 前方のステンドグラスが巨大な十字架と祭壇を彩っている。

 祭壇の周りには敬虔な信徒たちが十人十色の顔をそろえていた。


「全地よ。主にむかひてよろこばしきこえをあげよ。欣喜よろこびをいだきて、主につかへ。うたひつつその前にきたれ。知れ、主こそ神にますなれ。われらを造りたまへるものは主にましませば、我儕われらはそのものなり、われらはその民。その草苑まきのひつじなり」


 ピエロ神父の野太く重厚な声音は礼拝堂に反響する。

 1日の終わりを告げる礼拝が始まってしまったらしい。

 アッシュは状況を即座に理解した。

 コスモナウトはパイプオルガンを華麗に弾き出すと、歌詞カードを持つシスターたちは聖歌を一斉に歌い始める。

 その中にチェリーとアイスもいた。

 アッシュとアフローをちらちらとしきりに見つめて散漫としている。

 どうやら2人は逃げのびたらしい。


 というか、紳士の模型くんが子供を縛り上げるわけがないのだった。

 そんな子供たちの中にひとり魔女が混じっていたが違和感は全然なかった。

 足元の黒猫ニジーはまあまあの違和感。

 横の模型くんに至っては違和感が人の形をしていた。


「なあ、包帯の旦那。オレたちはこれからどうなっちまうんだぜ……」

「僕にはわからない。火炙ひあぶりの刑にでも処されるんじゃないのか」

「怖いこと言うなだぜ」

「僕も前に一度だけ魔女裁判にかけられたときに経験がある」

「……マジでそんなことされたらもっとアフロになっちまうぜ」


 アフローは皮を剥かれたバナナのような顔色で力なく言った。

 ピエロ神父の説教を懇々こんこんたまわり、もう何度目になるのか数えるのをやめてしまった神への祈りを捧げて、夜の礼拝は幕を閉じた。


 とそこで懺悔する時がきた。


「模型くんが風呂場から消えてどこに行ったのかと思っておったら、次に現れたときにはソナタらをロープで縛り上げておった」


 魔女はパイプを吹かしながらアッシュに歩み寄ってきた。


「さて、これはどういうわけか? ソナタらに聞きたくてな」


 どういうわけか魔女はアッシュたちの犯した罪をまだご存知ないらしい。

 模型くんは喋れないので伝えられなかったのか、はたまた模型くんのせめてもの温情なのか。

 アッシュは模型くんを見やると彼は瞑目していた。

 温情だった。

 自らの口で言えと、そういうことだ。


「こんなの魔女裁判だぜ! オレはまだ何も通りすがってないぜ!」


 喚くアフローは立案者であるが、たしかに通りすがってはいなかった。

 あのとき、浴室を通りすがったのはただひとり――


「包帯の旦那だけがくぁwせdrftgyふじこlp」


 アッシュはアフローのアゴに頭突きをかました。

 アフローは舌から黄血イエローブラッドを垂れ流して卒倒する。

 危ない危ない。

 僕は包帯を巻いているので治療いらずだ。


「とっても怪しい……。いま通りすがるって言ってたわ」


 ナースはあからさまにいぶかしんでいた。


「模型くんがね。何もしてない人をね。縛り上げるわけがないものね」


 チョコの操るパペットのモグランは同意する。

 このときばかりは模型くんの信頼の厚さをアッシュは憎々しく思った。


「お兄さんをデニム人形にしてやるっす!」

「アッシュさんの包帯をデニム生地にしたら可哀想だよ。絶対、着心地悪いもん」


 デニムに律儀にツッコむマリン。


「というか、ほんとにのぞいてたら……マジキモいっす」


 少女特有のキモいスイッチが入りデニムは顔を歪める。


「幽霊退治に訪れた教会で風呂のぞくって……。いやいやあんたらが新手の幽霊になってるじゃないっすか!」

「たしかに仮にそんなことをしてたら、いくら神様でも救いようはないよね」


 マリンは怯えた視線をアッシュとアフローに突きつけた。

 コスモナウトもパイプオルガンの鍵盤のある2階から顔を出して心配げな視線を落とす。

 通りすがり魔たちの散々な罵られっぷりに、終始チェリーとアイスは俯いていた。

 2人は模型くんからいったいどんな仕置きを受けたのか……。

 確実なのは2人とももう通りすがりなんて馬鹿げた真似は二度としないだろうということだけだった。

 僕もこんなことは死んでも一生しない。

 アッシュは神に誓った。

 もう遅いかもしれないけど。

 とそこへ薄橙色の救いの手が差し伸べられた。


「わたしはお兄ちゃんが悪いことをしたとは思ってないの。声を聴けばわかるの。だから師匠、模型くんに縄を解いてあげるように言って欲しいの」


 タイツはクレヨンと画用紙をきつく握りしめながら魔女に進言した。

 アッシュは心が痛む。


 ……ごめん、タイツちゃん。

 僕は過ちを犯してしまったんだ。


 魔女は長い瞬きをひとつしてからアッシュに問う。


「ソナタ。まさかそんな古典的なことはしておらんとは思うが、そこのアホと共謀し妾の入浴中をのぞいたのではなかろうな?」


 魔女の瞳には明らかに怒気の色が宿っていた。


「妾はソナタに言うたはずなのだよ」



 ――妾の入浴中をのぞいたら、ソナタをカエルの子供に変えてやる!



「と、な。ソナタ、カエルの子供に生まれ変わる心の準備はできたのかね?」


 アッシュは蛇に睨まれた蛙だった。

 干涸らびた声帯を振り絞って鳴く。


「……僕は何も見ていない」


 アッシュは紙一重で嘘は吐かなかった。

 なぜなら僕はかろうじて湯気しか見ていないのだから。


「ぷっぷっぷっぷ」


 久方ぶりに魔女の奇怪な笑い声を聞いた。


「よかろう。妾はソナタを信じるのだ」


 それから告げた。


「今夜の9時ジャストに幽霊退治を開始するのだ。ソナタは妾の寝室の前で待機しておれ。……いちおう忠告しておくがこちらも絶対にのぞくでないぞ」

「イエス……マイ・ウィッチ」


 助手アッシュは魔女探偵の命令に誠心誠意うなずいた。

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