#3 道化師の涙

「うむ。模型くん、アッシュの縄を解いてやれ」


 魔女に命令された従僕の模型くんは10色の指を器用に使い、またたく間に黄土色のロープを解いた。

 アッシュは起立して包帯の手首をさする。


「はい。皆さん、ご静聴してください」


 見計らったようにピエロ神父は手を叩いた。

 手袋を嵌めているのでボフボフと間抜けな音が礼拝堂に響く。


「今日は懺悔室に入るのは初体験という人がいるので簡単に概要を説明するのですよ。まず、ひとりずつ懺悔室に入ってもらいまして懺悔したいこと、反省したいこと、失敗したことなどがあれば神に代わってわたしに告白してください。もちろん他言はいたしません」


 ピエロ神父は礼拝堂前方の翼廊に備え付けられた懺悔室を手のひらで指し示す。


「そうですね。今日は男の子からいきましょうか」


 見透かしたようにピエロ神父は言ってから懺悔室に向かって歩き出した。


「まずはチェリーから入りなさい」

「……はいよぉ」


 覇気のない返事をしてチェリーは懺悔室に入室する。

 開けた扉から室内の様子がちらりとアッシュには見え、思わずギョッとした。

 なぜなら石床以外、全面鏡張りだったからだ。


「ソナタは這入っても平気なのかね?」


 魔女は不安げな視線をアッシュに寄越す。


「構造上、神父の顔は見えんようになっておると思うが、何だったら妾から神父に断りを入れよ

うか?」

「いや、だいじょうぶ。包帯を巻いてる以上、僕の肉体が鏡に映らないなんてことはない……眼球以外は」

「見るために見えなくなるとは皮肉な体なのだ」

「まあ鏡に反射した僕をピエロ神父が見ないなら眼球のひとつやふたつ映らなくてもバレる心配はないと思う」


 そのこともそうだが『通りすがり』の件も気持ちを重くしていた。

 どうしてあんなことをしてしまったんだと、アッシュは自分を責めた。

 おそらくチェリーは実直そうないい子なので、先ほどの不埒ふらちのことをつまびらかに話してしまうだろう。その懺悔を聞いたピエロ神父が下駄を預かり、あとは野となれ山となれだ。

 約5分後に出てきたチェリーの表情は驚くことに憑き物が落ちたようだった。


「次はアイスだってよぉ」


 ピエロ神父の次なる指名をチェリーは言い渡す。

 どうやら数珠つなぎシステムのようである。

 5分後、チェリーと同じく解脱げだつしたような表情で懺悔室を退室したアイス。


「次はアッシュ氏を呼んできなさいと、ピエロ神父はおっしゃっています」


 アッシュは味わったことのない緊張感に見舞われながら重い腰を上げた。

 外装は焦げ茶色の懺悔室の前に立ち木製ドアを開け放つ。

 先ほど視認したとおり石床以外、全面くまなく鏡張りの一室である。

 あとは電飾と椅子がちょっと置いてあるだけ。

 入室するとどこに視線を向けても奇矯な包帯男が視界に映った。

 こんな部屋には絶対に住みたくない。


「扉を閉めて、リラックスして腰掛けてください」


 ピエロ神父のくぐもった声は鏡の向こう側から聞こえた。

 椅子にアッシュは腰掛ける。

 目の前の鏡面には申し訳程度に小さな穴が放射状に空いているだけだった。

 どうやらそこに向かって話しかける仕様らしい。


「幽霊退治の進捗はいかがですかな?」

「すまないが今のところは何も進展はない」


 アッシュは正直に答える。

 それを聞いて、ピエロ神父は「わっはっは」と快活に笑った。


「実のところ、わたしはウィッチが幽霊の正体を突き止めるということに関しては一抹も疑っていないのですよ」

「いたく信頼をしているんだな」

「それはもう長い付き合いですから……もうそれは」


 ピエロ神父の声は聞こえるのだが依然として鏡に映っているのは全身を包帯でぐるぐる巻きにしている男である。

 2個の眼球だけが伽藍堂のようにぽっかり空いていた。

 ピエロ神父と話しているはずなのにアッシュはまるで自分自身と会話しているような錯覚に陥る。


「この懺悔室は自分で自分を見つめ直すことのできる空間なのです。あなたには懺悔したいことがありますか?」

 鏡に映る自分はそう問うてきた。

 自然と包帯に縛れていた口が動く。


「かつて、僕をお兄ちゃんと呼んだ子が2人ほどいた」

「ほう。妹さんか、もしくは弟さんですかな?」

「違う。血は繋がっていなかった。それでも一緒に暮らしていた。僕たち3人は歴とした家族だった」

 

 ピエロ神父は黙ってアッシュの身の上話に耳を傾ける。


「そんな折に、災厄が――『虹色の血の雨レインボーブラッドレイン』が降った」


 地を濡らしたその雨は今もなお乾ききっていない。


「原色至上主義を掲げた、エチナ党を火種として始まった大戦ですね」


 ピエロ神父は静かな声色を吐く。


結束主義ファシズムによる優生思想。民族浄化。非人道的な医療実験。あの時代、金貸しを営んでいる者の多かった金人ゴールドは原色人たちの仮想敵に祭り上げられた。結果、大量虐殺ホロコーストされました。そして、唯一の生き残りである金人が今や天皇の座に即位し焼け太りとなったのですから皮肉なものです」

「戦争のとき周りの大人は僕たちを虐げた。とりわけ、あの子たち2人はホワイトとブラックだったから……」


 血も涙もありはしない地獄を見ざるを得なかった。


「エチナ党を執拗に追い込んでしまった他色国にも責任の一端はあります。全員が全員にすこしずつ優しくなれればよいのですが……」

「それは理想論だろう」


 あの子たちは優しかったが返ってきたのは罵倒と暴力だけだ。


「しかし信じる者は救われると、わたしは信じます」

「そうか」


 信じる者は救われると信じる者を、信じてみてもいいかもしれない。

 アッシュは柄にもなく思う。

 あの子たちもきっと僕を信じていた。


「僕が懺悔しなければならないのは……あの2人を守り切ることができなかったことだ」


 僕だけがのうのうと生き残ってしまった。

 アッシュは自身の心臓に手を当てる。

 流れる血液を感じながら2人の家族に懺悔した。


「それでも2人は血肉となって僕の中で今も生きている。2人がゆるしてくれるまで僕はなんとしても死ねない。この命にかえても」

「ええ。きっと神もそれをお望みになることでしょう」


 鏡の中の自分(ピエロ神父)は頷く。

 アッシュはその自分に問う。


「あんたはないのか? 懺悔したいこととか? 聞いてばかりじゃつまらないだろう」

「わたし、ですか……」


 予想外の展開だったのかピエロ神父の声に困惑の色が浮かぶ。


「ではここはひとつ、臨床道化師として小話でもいたしますか」


 そう前置きしてからピエロ神父は話し始めた。






 とある日、とある男が精神科医を訪ねました。

 男は思い悩んでおり自らの命を絶つことまで考えていたそうです。

 男は精神科の先生にこう言います。


「どうしたらわたしは笑えますか?」


 精神科の先生は答えました。


「笑うためには楽しむことが必要です。心から自分のやりたいことをしましょう。なんでしたらこの街一番のサーカスに私と一緒に足を運んでみますか?」


 男は黙って先生の話を聞きました。


「なんでも、そこのKという道化師が大変に面白いのです。子供からお年寄りまでみんなを笑顔にさせるとか。そうと決まればチケットはわたしのほうで手配しましょう」


 すると、突然男は泣き出してしまいました。

 そして言います。


「先生、それは無理だ」

「どうしてですか? ひょっとして……ピエロ恐怖症とかですか?」

「いいえ」


 先生の質問に男は首を振り、こう答えました。


「その道化師のKがわたしなんです」


 

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