#6 頬に触れる、ちいさな手

 コスモナウトいわく。


「この教会の夜中には浴室のシャワーが使用不可になるので、どうぞ今のうちに浴びちゃってください。そうですね、入浴時間の目安はひとり15分でお願いします」


 ということらしいので、順番にひとり15分の持ち時間のうちにシャワーを浴びなければならない。

 1日の疲れをアッシュはシャワーで洗い流した。

 赤茶けたバルブを閉めてアッシュは雑種犬のように青と白のタイル張りの床に水滴を振り落とす。

 浴室の鏡の前でアッシュは全身くまなく包帯を巻いた。

 鏡には水の滲む包帯が独りでに人型を形成している怪談のような虚像を結ぶ。

 巻き忘れがないか入念に全身くまなくチェックを終えてから上に衣服を着て浴室を出た。


「うわっ!? ……びっくりしたわ」


 ちょうどのタイミングで、扉のすぐ横にナースとその腕を借りるタイツが接近していたらしい。

 手にはバスタオルと着替えを抱えている。

 基本的にナースとタイツは二人一組ニコイチで行動しているようだった。


「包帯のお兄さんはお風呂上がりも、やっぱり包帯のお兄さんなのね」

「そうだけど……おかしいのか」

「いえ、おかしくはないわ。素顔を見たことのない似たような人がすぐ近くにいるし。とてもユニークだと思うわ」

「似たような人……。あーあのピエロ神父は絶対におかしい」

「……包帯のお兄さんがそれを言っちゃうのね」

「悪い、つい」


 思ったことをすぐ口に出してしまうのは悪い癖だ。


「別にわたしは気にしないわ。包帯のお兄さん、略して包兄ほうけい

「その略し方はやめてくれ……なんか恥ずかしい」


 アッシュは包まれた頭部をポリポリと掻く。


「あらそう。でも安心して。いくら身分不詳でもお兄さんが包帯を巻いてる理由は聞かないから」


 ナースは言う。


「ここには身体にも心にも傷を負った人たちが自然と集まってくるから慣れっこなのよ」


 そういえばここに来てからというもの、この包帯について誰も触れてこなかったな。

 アッシュは回顧する。


「じゃ、そういうわけでわたしとタイツちゃんはお風呂タイムなので」

「ああ。ごゆっくり」


 アッシュは扉の前を開けて2人の横を通り過ぎようとした。

 まさにそのとき、今まで黙っていたタイツが声を発する。


「お兄ちゃん、お顔を触ってもいいの?」

「へ? えっ……は?」


 アッシュは困惑した視線をタイツに送り、それからナースに移す。


「できれば触らせてあげて」


 温かい目をナースに向けられ、なし崩し的にアッシュは中腰になった。

 タイツの小さな薄橙色の手はアッシュの包帯まみれの顔面に押し当てられる。

 あたかも皮膚の裏側に温もりが浸透していくようでアッシュはくすぐったかった。


「うふふっ」


 タイツはなにが可笑しいのか笑う。


「お兄ちゃんはきっと綺麗なの。かわいいの。愛らしいの。美しいの」

「包帯の上から触っただけでわかるものなのか?」

「さあ? わかっているのかわかっていないのか、わたしにはわからないの」


 タイツは一見了見の得ない抽象度の高いことを言った。

 ゴシゴシと、さらにアッシュの顔面をしつこいくらいにまさぐる。

 まるでタイツの手が僕の顔にめり込んでしまうんじゃないかというほどだ。


「タイツちゃん、お風呂に入る時間が減っていくからそろそろ……」


 ナースに催促されて、タイツの小さな手はアッシュの顔面からやっと離れた。


「では、なの。お兄ちゃん」

「じゃあね。包帯のお兄さん」


 こうしてタイツとナースとアッシュは別れた。

 他者に触られるという経験にまったく慣れていないアッシュは奇妙な心地がする。

 それを払拭するかのように頬を掻きながら首をかしげて、礼拝堂に向かった。

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