#4 薄橙色の弟子

「妾というよりは魔法使い全般と言ったほうが適切か」


 魔女は震える手でシャボン玉を吹かしながら語る。


「魔法使いは水に触れるとたちまち魔法が使えなくなるために水恐怖症の者が多いのだ。加えて、お絵描きの魔女とではとことん相性最悪なのだよ。……はあ、お水、怖い」


 だから魔女は『無防備な入浴中は絶対にのぞくな』と親の敵のように釘を刺していたのか。

 魔女というのは変なルールに縛られて大変である。

 まさかの天敵を前に魔女は気を取り直して言う。


「次、パープル」

「あー、わたしの順番来ちゃったかしらぁ。あんまりわたしの血色は得意になれるものじゃないんですけれど……」


 ナースは紫色の口角を狂気的につり上げる。


「わたしは【毒】を蔓延させられます。疫病、伝染病、死病を感染させられます。お魔女が望むなら今ここで披露してみせましょうか?」


『♯』――と、ナースが唱えかけたところで、


「いや、遠慮しておくのだ」


 と遮ってから、魔女はパイプを吹かした。


「貴様の場合は洒落にならん。以前、妾の屋敷でもパープルをひとり雇っておったことがあるが……その折、そやつが暴走してえらい大変な目に遭うたのだ」

「あら、それはお気の毒だったわね」


 うふふふ。

 と、ナースは夏の陽射しに輝く茄子なすのような顔色で笑う。


「次で一応は最後か。タイツちゃん……貴様の血色能力は何なのだ?」


 魔女に問われて、タイツのペールオレンジの顔色が曇る。


「わたしは今まで自信が持てなくてあんまり他人に言ったことがなかったんだけど……。師匠がどうしても聞きたいって言うならわたしは言うの」

「誰がいつ貴様の師匠になったのだ……。妾は弟子はとらん主義だ」

「ねえ師匠、ちゃんとわたしの話を最後まで聞いて欲しいの」

「貴様が聞け! 仮にも師匠なのだろう……って、誰が師匠なのだ!」


 魔女は二律背反ジレンマに陥った。

 短気な師匠である。

 アッシュは魔女の助手にはなっても弟子にはなりたくないと思った。


「ねえ師匠、これはわたしがマッチ売りをしていた頃の話なの。わたしから視力を奪った悪い大人が言っていたの……。わたしは普通の人より【五感】が優れているって」


 ペールオレンジの少女タイツはヘヴィなカミングアウトをした。


「これがわたしの血色なのかどうなのか、同じ血色人種にも会ったことがないから確信は持てないの。それにわたしは五感の中で最も優位とされる視覚がない。だからただそれを補おうとして聴覚や嗅覚や味覚や触覚が人並みより発達しただけなのかもしれないの」

「ほう。この一連のやりとりを振り返るに、聴力が優れているのかどうなのかさらに怪しくなったな」


 魔女はタイツの血色能力については懐疑的なようである。


「『♯FEDCBD』」


 タイツは静かに唱えた。


「証拠といってはなんだけど、師匠の53メートル後方からシスター・コスモナウトが歩いてきているはずなの。この足音はシスター・コスモナウトで間違いないの」


 魔女とともにアッシュは振り返った。

 タイツの事前情報通りに後方からコスモナウトが見える。

 ピンクの肌が陽射しに眩しい。


「それからこの風に乗ってくる芳醇ほうじゅんな匂いは……そう、シュークリームなの。おそらく待ちきれなかったシスター・コスモナウトは先にひとつつまみ食いをしているの」


 もはや、それは人間観察の領分が入っている気がするけど。

 仮に当たっているのだとすればたしかにと言えなくもない。


「みなさん、3時のおやつの時間ですよー」


 そう呼びかけるコスモナウトの口の端には、なんとカスタードクリームが付着していた。


「ぷぷっ。よかろう。ひとまず貴様を信じるのだ」


 魔女は愛弟子を信頼する師匠のような視線をタイツに向ける。


「それよりも今はシュークリームなのだ」


 そんな魔女の隣では、アフローのテンションが爆発していた。

 目線はコスモナウトの胸に釘付けメロメロである。


「うげげげぇえええコスモちゃあああん! イエーイ! オッパーイ! イッパーイ!」


 呼ばれたコスモナウトは、


「異教徒の気配……」


 と、アフローに侮蔑の視線を向けた。

 それから氷漬けにされた芝生や地面に形成された土の教会やデニムのシスター服を発見してしまう。

 瞬時に、桃色の目尻と眉毛はつり上がった。


「あなたたち、勝手に血色能力を行使しましたね! 私的な使用は固く禁じていたはずです!」


 叱責されて子供たちは一瞬でシュンと俯く。


「まあそう堅いこと言うでない、おっぱいピンク。何のために乳が垂れ下がっておるのだ。もっと柔軟にならんか」

「誰がおっぱいピンクですか!」


 コスモナウトはピンクの頬を赤く染めて魔女に詰め寄る。


「やめい! 淫乱いんらんな脂肪を妾に押し付けるでないわ!」


 ぽよーんと跳ね返しながら魔女はそっぽを向く。


「ついでだ、おっぱいピンク。貴様の血色能力はなんなのか教えるのだ」

「嫌です。絶対言いません!」


 コスモナウトは豊満な胸の前で腕をクロスして拒んだ。

 彼女は俯くと眼鏡に光が反射して目許が隠れる。


「というより……お絵描きの魔女は私の血色を知っているはずじゃないですか」

「ふん。妾もそのへんの分別は弁えておる。こういう個人情報は本人の了解なしに吹聴したりはせん。パイプを嗜む魔女の口は堅いのだ」

「……そうですか」

「妾の666番目助手が、どうしても聞きたそうな面構えをしとったからな」

「……僕はそんな顔した覚えはないぞ」


 たしかにこれだけ大勢の血色能力を間近で見せつけられて興奮したけど。

 多色人種カラーズと何度も交えた死戦を思い出して血が騒いでしまった。


「自覚なしだったか」


 魔女は息を吐いてからアッシュに耳打ちする。


「老婆心ながらに忠告しておくぞ。ソナタはいいかげん他者を殺せるかどうかで判断する癖を直すのだ」

「…………」

「あるいは『ソナタら』といったほうがよいかね?」


 アッシュは狐につままれた気分である。

 そんな探偵と助手のやりとりを見届けてから、コスモナウトは眼鏡のツルを摘まみ桃色の顔を起こす。


「ほらみんな、教会に戻りますよ。着いた人から順番に手をしっかり石鹸で洗ってからうがいをしましょう」


 元気よく返事をするカラフルな子供たちに「イエーイ!」とアフローも違和感なく交じっている。

 連中は我先にと焼きたてのシュークリームの待つ教会へと草原を駆けっこした。

 カーンカーン!

 と、教会の時計台の鐘が鳴り響く。

 アッシュはその時計台を見上げて、ふと不思議に思った。

 なぜなら時計台の天井には天国から漏れ出たような四角い光が瞬いていたからだ。


 あれはどこに向かっていく光だろう?


 そんなことを考えていたら、アッシュは駆けっこで堂々の最下位になってしまった。


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