#2 お絵描きのシスター
「神よ、あなたに感謝します。今いただいたこの食事が善を行うための
ピエロ神父とともに食後の祈りを終えてからは自由時間となる。
ちなみに昼食はカレーでピエロ神父は太いストローで具ごと吸引していた。
神父とってカレーは飲み物のようである。
「妾たちはこの教会に祈りを捧げに来たのでも、生意気なジャリどもと戯れに来たわけでもないのだぞ!」
魔女は口酸っぱく愚痴る。
野原で白黒のサッカーボールを追いかける有色人の子供たち。それに交じってアフローと筋肉の可動域が丸見えの模型くんが走っていた。
周りは静かな森に囲まれている。
魔女は左手にパイプを挟み、右手には透明な灰皿が握られていた。
魔女の心情を反映したかのように灰皿のシャボン液は今にも氾濫しそうである。
というか、模型くんって運動神経が抜群にいいよなぁ。
アッシュは呑気に驚愕していた。
すると、そんなふたりの前に小さな影が2つ忍び寄ってくる。
12色クレヨンと白い画用紙を持つ薄橙人のタイツは無言で会釈する。
彼女に腕を貸す紫人ナースは口を開く。
「お絵描きさんは、どうしてシャボン玉なんて吹いているのかしら?」
「黙れ。『お絵描き』のほうを取るでないわ。
「えーなんで? どうして? お魔女も小童じゃないの?」
「『お絵描きの魔女』を略すな!」
そうは言うが、だいたい魔女は何歳なのだろう。
アッシュは疑問に立ち返った。
僕のことを666番目助手などと嘯いているが……それが事実だとすれば相当な高齢者である。
「お魔女も子供なのによくわかんないよねぇ」
きゃっきゃうふふ。
と、ナースは嬌声を上げて、隣の薄橙人のタイツとともに盛り上がった。
そのとき12色クレヨンのうちの1本が地面に滑り落ちる。
すかさずナースが拾おうとしたのをタイツが手で制したのち、芝生の上に手を這わせてクレヨンを拾う。
その薄橙色のクレヨンは他のクレヨンと比べて特に磨り減っていた。
タイツは視覚に何かしらの障がいを抱えていると見える。
「ぐぬぬ。これだから物を知らぬ青二才は……」
魔女は灰色のパイプを歯噛みする。
「小娘、貴様には妾のパイプは絶対に貸してやらんのだからな」
「わたしは別にいいですけど……。シャボン玉なんて子供じゃあるまいし……」
「なんだと!? 貴様ァ、妾とやる気か!」
ナースの言動が気に食わない様子の魔女はナースに向かってシャボン玉を吹きかける。
灰色のパイプからプクプクとシャボン玉が躍り出た。
「どんなもんだい。妾のシャボン玉はすごかろうが。ほぉら小娘、頭を下げたら貸してやらんこともないぞ?」
「いや、いらないわ」
ナースは口を歪めて
「シャボン味の間接キッスはまっぴらごめんです。背徳が過ぎます」
「なんだとぉ! かまととぶりよってからにぃ!」
シャボン玉でナースを追撃する魔女。
構わず、アッシュは問う。
「ナースちゃん。僕はひとつきみに関してすごく気になることがあるんだ」
「なにかしら?」
ナースは「シュシュッ」とシャボン玉に本格的なジャブを打ち込んでいた。
「きみのパンツの色はなにいろばぶしゅ――」
「表現の自由パンチ!」
魔女は透明な灰皿をアッシュの頭に向かって投げつけた。
ガコーン!
と、鈍い音が鳴る。
「痛いよ……魔女」
アッシュはシャボン液まみれになってしまった。
シャボン・セシボーン。
「だいたいそのパンチじゃない攻撃のどこが表現の自由を守っているんだ?」
「〝他人の頭に灰皿を投げつける〟という自由な表現を守っている」
「なるほど」
アッシュは絶妙に納得した。
しかも、頭に包帯を巻いているので治療いらずだしね。
そんな今しがた見事に表現の自由を守り切ってみせた魔女に、
「お絵描きの魔女は絵が得意なの?」
と物怖じせず、今度はタイツが問うた。
「いかにも、妾はお絵描きの魔女。この世界で妾ほど腕利きの絵描きは他におらんだろう」
「そうなの」
タイツは喜々とする。
それから魔女の前に敢然と12色クレヨンと画用紙を差し出した。
「ねえ、お絵描きの魔女。わたしに絵の描き方を教えて欲しいの」
「貴様の目は見えておらんようだが?」
「そうなの。でもわたしは絵を描くのが好きなの」
タイツは負けじと言い返す。
「悪いの?」
「ぷっぷっぷっぷ。実にいい目をしておるのだ」
魔女はタイツの目を見て微笑んだ。
「よかろう、興が乗った。妾が直々に絵というものの神髄を貴様の真っさらな心に刻んでみせよう」
そう魔女は意気込むと、タイツから12色クレヨンと白い画用紙を受け取った。
「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『
魔女はランドセルから手のひらの半分ほどしか覆わない濡羽色のフィンガーグローブを引っぱり出した。
咥えパイプをしたままその丈の短い『リメンバーグローブ』をズブッと嵌める。
それから両手を握り合わせる。
突如、あたかも幽霊に取り憑かれように魔女の目の色は変わった。
「声を失っちゃうわね」
ナースはその光景に見入っていた。
夢中になった魔女のパイプからシャボン液が垂れる。
それをアッシュは灰皿で掬い上げた――と同時に、絵は描き上がる。
しかし、絵を観賞する間もなく魔女はスポッと『リメンバーグローブ』から自らの手を引き抜く。ローブの内ポケットからマジシャンのようにマッチ箱を取り出して、中からマッチ棒を引き出す。その赤い先端をシュッとこすった。
そしてあろうことか絵に点火してしまったではないか。
目にも留まらぬ早業だった。
メラメラと画用紙は黒く歪んで燃えていく。
「ちょ、ちょっと!? お魔女、なに血迷ったことを!?」
アッシュは声にこそ出さなかったがナースと同じことを思った。
しかしその声も虚しく、ほんの数十秒で画用紙は真っ黒に焼け焦げる。
最後の残り火はシャボン玉に触れてジュッと音を立てて消えた。
タイツは遅ればせながらに状況を察する。
そのペールオレンジの表情を見ていたらアッシュは魔女に訊かずにはいられなかった。
「いったい、どういうつもりなんだ? 魔女」
「これだからパイプを吸わん奴らはお喋りでいかんのだ。黙って見とれ」
魔女は大胆不敵にそう言い放ってから、
「ほれ。プレゼントなのだ」
と、タイツに『リメンバーグローブ』を手渡す。
クリスマスでもないのにプレゼントをされてタイツは動揺した。
「素手に嵌めてから、いつもしているように神に祈りを捧げればよいのだ」
魔女はやさしい声で促す。
タイツはおずおずとナースに左右裏表を指摘されながら、濡羽色の『リメンバーグローブ』を嵌める。
そして、シスター・タイツは目を閉じて、両手を握る。
天にまします神に祈りを捧げた。
途端、タイツは幽霊に取り憑かれたように目の色を変えた。
薄橙色のクレヨンを
見惚れるほどの超絶技巧だった。
アッシュも彼女に目を奪われるほどである。
魔女は新しいシャボン玉を吹くとちょうど、タイツは絵を描き終わった。
そこに描かれていたものは――牧草地で子羊の絵を必死にスケッチするひとりのシスターだった。深い緑色の草原に根を下ろしてベージュの子羊をためつすがめつしている。12色クレヨンを用いて白い画用紙に向かう黒い修道服を纏った薄橙人。
「すっごーい! こんな絵は生まれて初めて見たわ!」
ナースは手を叩いて大喜びすると、その騒ぎを聞きつけてサッカーに飽きたアフローたちは集まってきた。
「おお、こりゃすげえんだぜ!」
「やるじゃん」
「これ、タイツが描いたんすか」
「あのね、上手なのね」
「すごいよ」
「わたしにも絵を教えて欲しいかも」
称讃の嵐がタイツを包み込む。
「今までに無い体験だったの。とても感動したの」
描き終わったタイツは感嘆を漏らした。
えらい衝撃を受けたようでその瞳からは薄橙色の涙が頬を伝う。
「お絵描きの魔女の見ている景色と世界観が、この絵を通してわたしに流れ込むようだったの。ありがとうなの、お絵描きの魔女。あなたの見ている世界をわたしに見せてくれて本当にありがとうなの」
クレヨンの塗られた画用紙はタイツの涙をきれいに弾く。
「本当にすごいわ、タイツちゃん!」
ナースはタイツに抱きついて繰り返し褒める。
「たったの7秒足らずでこんなに立派な絵が描けるなんて友達として尊敬するわ」
「ぷっぷっぷっぷ。それは違うな」
魔女はナースの言葉を否定した。
それからタイツに寵愛の眼差しを向ける。
「貴様、名をタイツちゃんと言うたな。絵を描き始めて何年になるのだ?」
「えっと……今年で7年目なの」
「そうか」
魔女は左手にパイプを挟み一服する。
「であれば7年と7秒なのだ。貴様がその絵を描くのに掛かった時間はな」
その魔女の言葉にタイツは微笑を返した。
もし、この魔女の言葉を借りるなら。
と、アッシュは思う。
――果たして、お絵描きの魔女はどれほどの時間をこの絵に費やしたのだろうか。
たった7秒で描いたこの絵に。
果たして。
改めてこの魔女には敵わないとアッシュは思わされた。
「その『リメンバーグローブ』は何度でも使用可能なのだ。耐火性、耐水性、耐刃性に優れ、もちろん洗濯も可能。何百枚、何千枚でも絵を描きせいぜい絵の道に精進したまえ」
「ひとつ、お絵描きの魔女に聞きたいの」
タイツは涙を拭いながら尋ねる。
「この絵の
「ぷっぷっぷっぷ。貴様が描いた絵なのだ。妾の知ったことか」
魔女は白々しくシラを切る。
「そうなの……」
タイツは自ら描いた力作を愛おしそうに撫でる。
それから発表する。
「じゃあ、この絵のタイトルは『お絵描きのシスター』なの」
そのタイツの顔は人好きのする笑顔で彩られていた。
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