#7 堕落論
ピエロ神父を引き連れて客間に赴く。
模型くんがタワーにお菓子を並べて紅茶を淹れる。
部屋に
「わたしは教会で神父・兼・
これで本物の神父らしい。
「その教会では戦争で両親を亡くした身寄りのない孤児や、毒親から
「相変わらずボランティアで酔狂なことをしておるのだな、貴様は」
「人間の血で絵を描く魔女に言われたくはありませんがね」
「いつの時代も芸術とは理解されぬものなのだ」
そう言ってそっぽを向く魔女を尻目にピエロ神父は聖書を脇に置き、こんがり焼けたクッキーを白い手袋の指先で摘まんだ。
どうやって食べるのか?
ピエロの仮面を外すのか?
アッシュは興味津々でピエロ神父を観察する。
するとピエロ神父はせっかくおいしそうに焼けたクッキーをあろうことか片手で握り潰してしまった。手を開くと、粉々になったクッキーが無残にも白い手袋に張り付いている。それから卓上に置いてあったストローをすっと抜き取り、仮面の小さな穴に挿して砂状のクッキーを
「ゴォッホ! ゴッホ! ゴッホゴッホ!」
ピエロ神父はむせた。
あたりまえだ。
続いて、ピエロ神父は気道にへばりつく砂状クッキーを流すべく紅茶にストローを挿して吸う。
「カッツ! シカ! ホクサイ!」
今度は熱で悶え苦しむピエロ神父。
表情が不変なため、さらに面白い。
ピエロ神父は模型くんに優しく背中をさすられていた。
「模型くんの手を
魔女はいつもより心なしか毒舌である。
落ち着きを取り戻したピエロ神父は本題に入った。
「最近、子供たちの間で噂になっていましてね。皆が寝静まった真夜中に幽霊が出ると」
「ほほう。それは困ったな」
魔女はニヤニヤする。
「で、被害は出ているのか?」
「今のところは子供の悪戯程度です。教会の窓に奇怪な落書きをされたり明らかに人為的と思われる野生動物のバラバラ死骸などが出ています」
「ほうほう」
「うちの教会の子供たちもみな怯えていますし、いずれ被害が及ぶやもしれません」
「つまり今回の依頼はその幽霊の正体を突き止めて欲しい――と、そういうわけなのだな? 終身名誉ロリコン神父」
「……早い話がそういうわけなのです」
この魔女探偵事務所は幽霊退治まで請け負っているのか。
アッシュは驚きつつ、ふと興味が湧いた。
「魔女は幽霊の存在を信じているのか?」
「――幽霊の正体見たり枯れ尾花」
そう答えて、魔女はソーサーから紅茶を手に持ち優雅に飲み下す。
やおらシャボンパイプを咥えた。
「所詮は、そんな見間違いであろうし幽霊なんぞより生きている人間のほうが何倍も恐ろしいものなのだよ」
魔女の言葉に模型くんも「うんうん」と頷きながら、シャボン液の入った透明な灰皿を差し出した。
「わたしも一部は同感です」
ピエロ神父は同調してから胸の十字架を握りしめる。
「時に人間は大きな過ち犯すこともあるでしょう。しかし、それでも人間は自らの過ちを悔い改め、神に
その信心深い言葉を聞いてから、魔女はシャボン玉を燻らせたのちに引用する。
「『戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
美しいものを美しいままに終わらせたいと希うのは小さな人情かもしれぬが、未完の美は美ではない。生きよ堕ちよ。(坂口安吾著『堕落論』から引用)』」
のべつ幕なしの詠唱を言い終わると、魔女はぽよんとソファーから跳ね上がる。
「ここで無駄話に花を咲かせておっても仕方なかろうて。えっちらおっちら教会に乗り込んで、白黒はっきり幽霊の正体を暴こうではないかね」
魔女が左手を開くと、紐に囚われていたカラフルな風船はふわふわと天上に逃げ舞った。
「幽霊はいったい何色をしておるのか、妾はとても気になるのだよ」
というわけで助手としてのアッシュの初仕事が決まった。
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