#6 ロリコン神父

「魔女、おはよう。僕は起きたぞ」


 後日、アッシュは魔女の寝室の扉をコンコンと叩く。

 魔女はまだ朝支度中らしく、ドタバタと慌ただしい。

 扉の向こう側から声がする。


「ソナタ、絶対にこの部屋を開けてのぞいてはならんぞ。のぞいてはならん。絶対だぞ。絶対にのぞいてはならんのだ」

「鶴の恩返しか」


 そんなふうにしつこく何度も言われたらのぞきたくなってしまうのがヴァンパイアのさがだったが、アッシュはやめておいた。

 住まわせてもらっている恩がある。


「すまぬが、いま模型くんに妾の着付けを手伝ってもらって手が離せんのだ」

「ふうん。模型くんにはいろいろと見られてもいいのか?」

「ソナタ、何を嫉妬しておる」


 別にしていない。


「模型くんのほうは常日頃から内臓をのぞかれ放題なのだぞ? 妾のほうものぞいてもらわねば不釣り合いではないかね」

「……そういう問題なのか」


 そもそも模型くんの性別はどっちなんだろう?

 局部には突起も割れ目も皆無でつるっつるだけど……。

 これは今世紀最大の謎だった。


「あっそれはそうと、ついでにソナタに渡しておきたいプレゼントがあるのだ。リビングの机の上に置いてある。ふところに収めよ」

「プレゼント……?」

「中身を見ればソナタならピンとくるはずなのだ」


 アッシュはウキウキした心持ちで廊下を歩いた。

 プレゼントなんて……あの子たちにもらった以来である。

 アッシュはリビングにたどり着くと、瀟洒しょうしゃなシャンデリアに照らされた机の上にリボンであしらわれたプレゼント箱があった。絢爛豪華な調度品の数々に囲まれながら座り心地の良いソファーに沈み込む。黒猫ニジーも興味深そうに近寄ってくる。

 アッシュがプレゼント箱を開けると、中に入っていたものは手に収まるサイズの四角いケースだった。

 一見お菓子の箱のような四角いケースの中身を確認すると、たいして面白い物ではなかった。

 肩透かしを食らったアッシュは四角いケースをポッケに仕舞う。

 魔女の着替えを待ちわびているとチャリーンチャリーン! と、屋敷のベルが来客を知らせた。


「誰だ?」


 魔女も模型くんも応対できる状況にないので、アッシュが出迎えるしかなさそうである。

 初対面で包帯ぐるぐる巻き男を目撃したら驚かせてしまうかもしれないが致し方ない。

 膝の上のニジーを降ろして、アッシュは玄関に向かう。

 家主からの許可がない限り、家に立ち入ることすらままならないヴァンパイアの自分が、まさか他人を家に招き入れることになるとは……。

 アッシュは呑気に構えていた。

 何重にも鍵のかかった3メートルはある荘厳な木製の扉をガチャリと開け放つ。


 すると、そこに現れた人物は――ピエロだった。


 白地の仮面の中心には丸い赤っ鼻。モサモサの金髪に太い口紅。右目には星形の青痣メイクが施されており、左目からは紅涙を流していた。仮面の下からはビー玉のように妖しく光る双眸そうぼうがこちらを見下ろしている。

 さらに驚くことに、そのピエロは敬虔な神父服を身に纏っていた。

 首から提げられている十字架。

 両手には白い手袋を嵌めている。さらに左手には分厚い聖書。そして右手にはヒモが握られ、その先にはカラフルなアニマルのバルーンアートが繋がれている。


「あ、あのぅ」


 アッシュは困惑する。

 僕は自分のことを、充分に奇矯な恰好をしていると自負していたけど、ここにきて世界の広さを思い知らされた。

 言葉の接ぎ穂を完全に見失ってしまったアッシュにピエロ神父は右手を差し出した。


「好きな色の風船を選びなさい」

「…………」


 正直言って、アッシュは逃げ出したかった。

 こんな恐怖を味わったのは今が初めてだった。

 これから先もこれより怖い体験は想像できない。

 さらに困ったことに、アッシュは自分の好きな色というのがわからなかったのだ。


「どうしました? 早く、あなたの好きな色の風船を選び取るのです」


 丁寧な口調で低くくぐもった声がピエロ仮面の下から響く。


「いや、僕は……」


 アッシュが、そう口ごもっていると――


「妾の666番目助手を困らせるでないわ! この変態神父!」


 エントランスの階段上から力強い啓示が轟いた。

 降臨した魔女はいつもの暗紫色のローブに鍔広とんがり帽子。つま先の青い上履き。そして、真っ赤なランドセルからは白と焦茶のハーモニーを奏でるソプラノリコーダーがちょこんとのぞいていた。

 魔女の3歩後ろには模型くん。


「子羊のように震えておるではないか。大丈夫であったか、ソナタ?」


 珍しく魔女に心配される。


「何もされんかったか? 何か奴に言ってやりたいことはあるか?」


 アッシュは背の高いピエロ神父を見上げた。

 そして、言ってやる。


「あなたのパンツは何色ですか?」

「誰も知りとうないわ!」


 魔女から頭を思いっきりソプラノリコーダーでどつかれてしまったアッシュ。


「はあ……。それが救いになるというのであればお教えしましょうか?」


 そう言って、ピエロ神父は黒い布地の裾を摘む。


「やめろやめろ! 聞きとうない聞きとうない!」


 魔女は目を閉じ両耳を塞いだ。


「……もちろん冗談ですよ、ヴィッチ」

「誰がヴィッチだ! この変態神父!」


 魔女はぷんすかと怒りで肩を震わせる。


「これは失敬失敬。ウィッチと言ったつもりが……。いかんせん仮面を着けているものですからそう聞こえてしまったのでしょう。どうか慈悲深き神を見倣ってお許しを」


 ピエロ神父は言い訳してから右手で仮面を触り位置を調整した。

 表情はうかがえない。


「貴様がこの屋敷を訪ねて来たということは、ついに人の道を踏み外したか? ロリコン神父」


 魔女はジャンプしてピエロ神父からカラフルな風船をすべて引ったくった。

 それから薄笑いを浮かべる。


「もしくは、古い教会に幽霊ファントムでも出たと申すかな?」

「ええ。ウィッチのおっしゃる通りです。ロリコン以外は」


 ピエロ神父は無機質に首肯した。


「うちの教会もだいぶ古いものですからまさしく幽霊が出ましてね」

「ほう。まあよかろう」


 魔女が妖艶に笑うと、カラフルに色づく瞳が風船とともに揺れる。


「詳しい事情は中でゆっくり聞くとしよう」

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