第5話 AⅯKにようこそ


 ——それから二日後。


 安藝先輩の押しに敗北した弘海はアニメ研究会を見学することにした。


 すぐに入部を決めなかったのは、まだ得体の知れない部活にいくらかの不信感があったのと、なによりすでに弘海自身がテニス部に属していたためだった。なにも知らない部活に入るために一方を退部することはさすがにできない。


 よってまずは見学してみようというわけである。


 放課後、なんとなく忍び足で教室を抜け出した弘海は、事前に安藝先輩から教えられていた通り別棟へと足を踏み入れた。生徒間では美術棟とも呼ばれている建物は古臭さもあるが静かな趣があって全体的に落ち着いている。弘海もここは好きだった。


 階段を上って二階、さらに奥まったところにある扉の前へまもなく到着する。


 ここが部室か、と妙な感慨深さを覚えながら見上げると、頭上には『文芸部室』のプレートがかかっている。どうやら間違いないようである。


「物音、しないな……」


 引き戸の窓ガラス部分から室内を覗くと、狭すぎず広すぎずといった広さの部室はあまりにも静かで人の気配がしなかった。中央に長テーブル、両側の壁に背の高い本棚が見える。照明が点いているのを鑑みるに入れ違いになったのか。


 とりあえず引手に指をかけてみる。……予想通り鍵は掛かっていなかった。ガラガラと音を立てて引き戸は簡単に横にずれてしまう。なんとなく拍子抜けだ。


「失礼します」


 入室する。――と。


「「えっ」」


 声が重なった。


「なっ、なに!」


「な、なに?」


 完全にハモった。


 ひとりでは成立しないはずのそれが成立したということは、つまりひとりではなかったということである。


 入り口からは死角になっていた長テーブルの影、本棚を背もたれにするような形で座り込んでいるのは……なんかギャルっぽい女子だった。


 綺麗に染められたプラチナブロンドの髪に着崩したシャツ、イマドキらしく短く捲ったスカートのうえで漫画を読み、たった今部室に現れた弘海に驚きの表情を向けている。


「あ……『いつ怪』」


 しかし悲しいかな。


 弘海が反射的に意識を引かれたものと言えば、女子の襟元から覗く胸元でもなく、ましてや際どい角度で覗く健康的な太ももでもなく、開かれた漫画のほうなのだった。


「……ッッ!」


 ギャルは驚愕の顔つきになった。漫画を胸元に抱いたまま勢いよく立ち上がり、ずんずん距離を詰めてきた。


「知ってんの? 『いつ怪』知ってんの⁉」


「へっ? あ、ああ……うん。おれはアニメしか見てないけど。たしか『いつか僕らが怪物だった頃』だったっけ?」


 ギャルは爛々と瞳を輝かせながら「うんうん!」としきりに頷く。


「ヤバ……‼ 知ってる人初めて会った! めっちゃマイナーなやつなのにヤバ‼」


「そ、そう、なんだ。まあたしかに昔の作品だった気もするけど……」


 引き気味に答えながら弘海は顔を寄せてくるギャルを見やる。そして気がついた。


「って……なんだ、茜谷さんじゃん」


 この子の名前は茜谷あかねやはる。弘海もよく知る女子だった。


「え、なんであたしの名前……」


「えっと……おれ、一応クラスメイトなんだ。小鳥遊弘海って名前で」


「たかなし……」


 まるで近眼の老婆のようなしかめ面で弘海の顔をじっと凝視するギャル。


「あー、なんか、いたような……」


「なんかって……まあおれ影薄いし、わからないのも仕方ないけどさ」


 何気にショックである。自分のせいなので仕方ないが。


「それにしても、茜谷さん学校来てたんだね。気づかなかったよ」


 うちのクラスで茜谷はる陽(あかねやはるひ)と言えば遅刻常習犯として名を馳せている人物だ。よく淡島くんが話していた。朝のホームルームに姿が見えないのは基本のこと、遅れて登校してきては授業中に爆睡していたり、先生たちに肩を揺すられても起きなかったりとなかなか肝が据わっている女子だ。


「それは、だって…………学校来たの、さっきだし」


「さっきって、まさか放課後のことか?」


 さすがは入学式にも遅れてきた女。ルーズのレベルが違う。


「つ、つーか! なんで小鳥遊くんがここにいんのよ……!」


「それは……アニ研を見学しに来たんだよ。茜谷さんは?」


「あたしも見学で……って、え? うそ、小鳥遊くんも?」


(これ、不味くないか……?)


 同学年の、それもクラスメイトである茜谷さんに弘海がオタクであることがバレてしまうのは、言うまでもなく色んな危険性をはらんでいる。


「あ、茜谷さんってさ、クラスに友達にいる?」


 危機を悟った弘海は直感的に訊ねる。すぐに(なに失礼なこと訊いているんだおれは……)と我にかえったが、もう遅い。


「は? 友達……?」


(ヤバい……どうしよ……)


 弘海の失礼な質問に茜谷さんは怪訝そうに眉をひそめる。じわり、と背筋に嫌な汗がにじむのがわかった。


「んー、友達…………そういやいないわね。あたし」


 そして茜谷さんは思い出したようにそう言った。


 そういえばとは……まさか自分に友達がいないことに今気づいたのだろうか。


「そ、そっか」


(なんか、大丈夫かも……)


 よくよく考えると茜谷さんが誰かと仲良くしている場面を見たことがない。そもそも教室ではほぼ自分の席で眠っているし、起こそうとするとすごい形相でにらまれるから誰も話しかけようとはしないのだ。


 杞憂だったかもしれない。弘海は内心で安堵する。


「――あら。もう仲を深めているの?」


 そうこうしている間に、ようやく安藝先輩がやってきた。


 その後ろからは顧問の先生だろう、白いスーツを着た女性が続き、最後尾からはとても小柄な女生徒が現れた。


「とりあえず、席に着いてもらえるかしら?」






 **






「まずは自己紹介をしましょうね~」


 全員が席に着くや音頭を取ったのは小野原香苗おのはらかなえ先生である。かっちりとしたスーツに身を包んでいるのに小柄なせいで全然似合っていないと有名な女教師だ。


「まずは言い出しっぺのわたしから。文芸部顧問の小野原です。担当は国語。一年の教科は取ってません。もし入部するなら一年生は覚えておいてね。部には時々顔を出しますから」


 時々なのか。なんだか掴みどころのない先生だ。


「じゃあ朱鷺子ちゃんからどうぞ~」


「はい」


 安藝先輩が静かに頷く。長テーブルのお誕生日席で姿勢を正し、その顔(かんばせ)にあの『女優の微笑み』をたたえながら改まって部員たちを見回す。


「一年生ふたりにはすでに名乗っているけれど、一応改めて。二年の安藝朱鷺子よ。よく部長と間違われるけれど、わたしはただの部員だから、よろしくね。中学のときにアニメにハマって、それからずっと毎クール欠かさずチェックしているわ。オタクよ」


 改めて言われると凄まじいインパクトだ。まるでペルシャ猫のような気品あふれる美女から「オタクよ」と名乗られるのはやはり慣れない。激しい違和感と頭のなかで戦う弘海をよそに、隣で「はいはーい!」と手が挙がった。


「はい。茜谷さん」


「トキセンってどんなアニメが好きなんですか! ジャンルとか原作とか教えてほしいです!」


「基本的にはなんでも見るわよ。でもそうね……とくに雰囲気のいい作品が好き、と今は言っておこうかしら。そのあたりも後々話すでしょうから、はる陽さんも楽しみにしておいてね」


「はい!」


 快活に頷く茜谷さん。飼い犬のような素直さだ。ふたりのあいだに何があったのかは知らないが、どうやら茜谷さんは先輩にとても懐いているらしい。


「わたしの紹介はその辺にして、さっそく部長の紹介に移ろうかしら」


「わかりました」


 と、おもむろに立ち上がったのは初めて見る女子だ。


 折り目正しい立ち姿は安藝先輩に似たものがあるが、いかんせん小柄で愛らしさが勝る少女だった。少し色素の薄めな、肩にかからない程度の長さの髪に小すぎる顔がなんともあどけなく、小振りな鼻のうえに支えられた縁なし眼鏡も地味な印象に拍車をかける。レンズの向こうの大きな両目も合わせて、なんとなくハムスターのようだと弘海は思った。


「部長の猪熊いのくままいるです」


 熊だった。なんて似合わない……。


「朱鷺子ちゃんと同じ二年生です。こんなわたしが部長でびっくりしたかと思いますが、一応朱鷺子ちゃんと小野原先生、そして引退した先輩たちの推薦を受けて、今年から部長を務めさせていただくことになりました。分不相応ではありますが、よろしくお願いします」


「まいるは優秀よ」


 安藝先輩が補足する。小野原先生もうんうんと頷いていた。


「すみません、いいですか」


「な、なんですか? 小鳥遊くん」


「その、もしかして二年生って、ふたりだけなんですか?」


「…………はい。お恥ずかしながら、勧誘活動には少々苦労していまして」


「入部希望者が来ても、まいるちゃんがぜ~んぶ追い返しちゃうからね~」


「え? そうなんですか?」


 猪熊部長はぎこちない表情で頷く。


「まいるは男性が苦手なのよ。なのに何故だか、うちの部には頻繁に男子の希望者が訪ねてくるから、そのたびに門前払いしてしまうのよ」


「……ま、まあ、そんな感じです」


 安藝先輩の説明に首肯する猪熊部長だが、その表情は優れない。


(あー、もしかして……)


 部に頻繁に訪ねてくる男子というのは、たぶん安藝先輩目当ての者だろう。そしてそういった悪い虫が後を絶たないと、部としては色々と困る。


 要するに、「男嫌い」という設定をつけることで、猪熊部長が部の防波堤になっているのだろう。この小さな部長さんは、見た目に似合わずけっこうな苦労人のようだ。


「ハイハイ! あたしは茜谷はる陽でーす! この前トキセンに誘われてから、この部のことはずっと気になってたんだ! 今日は見学だけどあたしはもう入るつもだから、よろしくです!」


「茜谷さんは今までどこの部活に所属していたんですか?」


「帰宅部です! 部活入ったらアニメ見る時間がなくなっちゃうし!」


「いいわね。すごくいいわ。はる陽ちゃん……」


 安藝先輩も後輩女子のことは気に入っているらしい。でへへ、と茜谷さんも照れていた。


「えっと……」


 順番的に最後は弘海だ。声が裏返らないよう意識しながら口を開く。


「一年の小鳥遊弘海です。今はテニス部に入っています。まだこっちの部に入るかは決めてません。だから、その……よ、よろしくお願いします」


 我ながら絶望的なぎこちなさだった。「はい。よろしくお願いします」猪熊部長が律儀に頭を下げて応えてくれた。


「では挨拶も済ませたところで、早速アニ研の活動内容をお話しします」


 ここからはそんな部長たる猪熊先輩が司会となった。



 

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