其之三 沙上の客
鮮やかな色彩はない。くすんだ白い砂と灰色の小石。
河西回廊は河西四郡を
そんな
共通の話題は劉備である。
「不思議なものだ。こんな
「
「ああ、その化け物もオレの知り合いだ。残念ながら、死んでしまったようだが」
孫堅はその言葉にぎょっとして、一瞬警戒感を
「君は冗談が通じない男のようだな」
曹操は孫堅の単純かつ直情的な
「……今、玄徳は何をしている?」
「あいつは今も人助けに忙しい」
「そうか。
「ああ。いろんな人間に気に入られて、いろんなことを頼まれる。お人好しの典型だな」
「ふっ」
曹操の劉備評が見事なものだったから、孫堅は思わず笑みを
この濁々とした時代に劉備のような人間に出会うのは
「それがまさか
「そのまさかだ」
曹操の告白に孫堅も臧旻も驚くほかなかった。
蔡邕の名は全国区である。そんな有名人が流刑になったのだから、これはトップ・ニュースとして全国に伝わる。ただ、ずっと異国の地にあった臧旻にとってそれは初耳だった。
「
二人の前を行っていた臧旻が馬を止め、話に加わってきた。
「それも関係あるでしょう。何かにつけ宦官や腐敗官僚の排除を訴えていましたから、彼らにとっては
曹操がそれに答えに臧旻は重い溜め息をついた。
「……何十年も同じことが繰り返されているだけか。それで、流刑先はどこか?」
「
「……これもまた繰り返しか。だとすれば、危ういぞ」
「
「知っているのか?」
「まぁ、全て調べてあります」
「……ぬかりがないな。やはり、君はただの使者ではないようだ」
臧旻は曹操のてきぱきとした受け答えと事情に精通する知識から、袁氏がこの事件の裏で動いているのだろうと推測した。
「私も清濁の抗争に巻き込まれている一人です。濁流のやり方もよく心得ております」
濁流派の連中が都合の悪い者を排除するお決まりのパターンがある。
まず、関係各署に息のかかった者を配置し、証拠を
次にいいのが流刑だ。流刑の場合は南方の
「そうか。昔もよく似たことがあった。知っているかどうかは分からないが……」
臧旻は昔の清流派暗殺未遂事件のことを話し始めた。
この反乱は青・
第五種は
延熹三(一六〇)年正月、宦官の
滕延は
そんなところへ侯覧の一党が逃れてきて、泰山へ隠れる事態が発生した。その一党は清流派の
泰山も済陰・済北も兗州に属す。立て続けに身内を攻撃されたのを憂慮した侯覧ら宦官たちは、第五種と苑康を
罪に問ううってつけの材料があった。公孫挙の
この時、朔方太守に単超の縁者の
宗資は
亡命から三年後、第五種は赦されて家に帰ることができた。この時、第五種の
「繋がっている……」
孫堅が
「清流は時を越えて流れる……」
また呟いた。揚州で出会った清流派、袁忠はそう言っていた。目に見えない清流の力が働いているのだろうか……。
「第五の故事ですね……」
曹操は予言の一句を口に出して呟いた。
かつて第五種が朔方に流刑になったように、今度は蔡邕が朔方へ流された。
同じように暗殺者が待ち受けている。それを奪って亡命するのが、自分の代理、夏侯惇と劉備の役目だ。
〝栄華を極めし王族は第五の故事に
特に郡都の敦煌は漢にとっても、西域商人たちにとっても重要な交易の拠点であり、敦煌の各都市はシルクロードの一大中継点であると同時に、中東系の
「白馬寺に向かうんだろう」
「白馬寺?」
「洛陽郊外にある浮屠の寺院だ。百年前に建てられたそうだ。オレも何度か見学に行ったことがある」
白馬寺は中国初の仏教寺院である。明帝の
もともと〝寺〟は官庁の意味であったが、この頃の仏教の伝来とともに寺院を意味するようになるのだ。
桓帝の
「都には月氏の移民がたくさんいるぞ。月氏出身の者は名前の頭に〝支〟の字を付ける。安息なら、〝安〟だ」
漢は月氏(大月氏)のことを〝月支〟とも呼んだ。もともと月氏国はこの敦煌の地にあった。随分前に匈奴に敗れて遠くに去り、また国を建てた。
今の月氏国は貴霜(クシャーン)を指す。現在のクシャーン王はフヴィシュカというが、先代のカニシカ王の時に隆盛を迎え、現在のインド北西部に一大勢力を築いていた。その西に隣接するのが安息(パルティア)で、現在のパキスタンからイランにかけての地域に勢力を広げている。
「そうなのか、詳しいな」
東から西まで地方は駆け巡ってきたものの、まだ一度も上洛したことのない孫堅は曹操の話を聞きながらも、何も具体的なイメージはできないでいた。
「今の天子が大層異文化好きでな、都でも
後漢の後半期は国が衰退の
世俗を離れて純粋に学問に専念しようとする者は深い山中や
張奐は
〝関西は将を出し、関東は
涼州付近は河西四郡が漢王朝の領土になってからも、異民族の反乱侵攻が絶えず、その厳しい状況が助長するように涼州から軍才に
過去、張奐も臧旻が拝任した
皇甫規は
四年前に他界していたが、清廉忠義の人物で、同じく清廉な張奐と相良かった。
段熲・張奐・皇甫規の三人は同世代であり、いずれもその
「――――もし、三明の活躍がなかったら、涼州はすでに漢の地ではなかったであろう」
臧旻は同じ名将の道を歩む孫堅に言ったものだ。
砂漠を吹きわたってきた強風に押し曲げられたかのような
本籍を都に近い
「将軍、命を無駄にしてはいけませんぞ。この私に斬らせないでもらいたい」
「以前からお前に義を
曹操が指を口に当て、口を
「……そうさせておるのは、然明、お主ではないか」
「……
「言うでない。お主のように全てを失い、砂の上で朽ち果てたくないだけよ」
声で判断するしかないが、三人が話している。一人は張奐だろう。残りの二人はその張奐と
『何の駆け引きだ……?』
曹操は密室の内情を分析していた。孫堅・夏侯淵にはまだ動くな、と手で制す。
「名が朽ち果てるよりはよいでないか」
「強がるでない。一族郎党が破滅してもそう言えるのか?」
「強行策が取り
「こんな手はわしのものではないわ。分かっておろうに?」
「貴公、
「いらぬ
「忘れてはおらん。わしは義を忘れたりせん」
「ならば、それをここで返してもらおうぞ。態度次第では、お主もお主の一族もこれ以上
『脅しの次は恩を売り、情を責めるか……。濁流の
曹操は思った。張奐を口撃する男は濁流の
「わしが示す義とは貴公に道を
相手もそれを拒否したらしい。また脅しで攻め始めた。
「言葉で通じぬようなら、わしは何も言うまい。……お主、仲潁の性格をよく知っておろう。仲潁が手荒な
「知らんものは知らん」
張奐は
「
「将軍、相当痛い思いをしますぞ。よろしいのか?」
「ぬおおおっ!」
巨漢の男は凶暴な力でそれを押し込み、互いの剣を孫堅の胸元まで押し込んだ。
「何奴か?」
この事態に、剣を持っていない方の男が
「あなたは段将軍ではないですか。これは失礼しました。……二人とも剣を下ろせ」
孫堅も剣を合わせる男の向こうに記憶に新しい顔を見て、曹操の言葉に従おうとしたが、剣を交える巨漢の男がそれに従わない。孫堅はそれに
男は不服そうな表情を残しながら力を緩め、孫堅と夏侯淵も剣を下ろした。
「私は
「何でもない。旧友と話していただけよ。……お主らは何用か?」
「張奐殿の御子息から書を預かりましてね、
曹操は得意の
段熲が鼻息で白い
「着いたばかりと言ったな?」
「はい、遠路疲れ果てました。今日はここに泊らせてもらおうかと思います」
曹操の演技は頭の中で
「……然明、よく考えておいてくれ。また時を改めて
曹操の芝居を
「行くぞ、仲潁!」
段熲に呼ばれた男は剣を突き合わせた孫堅に
孫堅は
小屋の入口で黙って事の
張倹や
「私は故の使匈奴中郎将、臧旻と申します。かねてから張将軍のご尊名を拝し、お慕いしておりました。
臧旻が真っ先にそう言って、
「孫堅文台です。天下に英名
孫堅は
「危ないところを助けていただき、かたじけない。むさ苦しいところですが、さぁ……」
四人は張奐に勧められ、狭いあばら家に座り込んだ。
曹操は早速、
『
「少しお話を聞かせていただきました。どうやら段将軍は宦官の意を受けて来られたようですね。
曹操は張奐の立場など気にも
「そのようだ。紀明が自らやってくるとは、いよいよ事態が切迫してきたか……」
「段将軍が宦官に
〝涼州の三明〟の威名をよく知る臧旻は三将全てに
「力ある者は常に清濁の抗争に巻き込まれる。
張奐は段熲の変化に理解を示して言った。
「わしと紀明には昔からの
〝涼州の三明〟はいずれも確固たる名将であったが、その方略は異なっていた。
張奐と皇甫規の
段熲が親しくしていた者に
李暠は冀州
これが壮絶な
蘇不韋が殺されたのは、蘇氏が張奐と親しかったことも一因だった。
「張将軍と段将軍の確執を宦官が利用して、けしかけたということですよ」
曹操が事の裏側にある人の心の流れを要約した。蔡邕が恨みを買った経緯とよく似ている。人の気持ちは移ろい変わる。ちょっとした
互いに名将と
党錮事件は全国の官僚・官吏たちの心を大きく揺さぶった。心を不安定にした者たちの中には濁流派に近寄って保身を図ろうとする者も出た。
「中央は
〝
『
明将とは然明と紀明、つまり、張奐と段熲を指したのだ。……では、何を争うのか? 十年前の党錮事件で
竇武は王甫が指揮した衛兵に。陳蕃の命を奪ったのは、他ならぬ張奐その人であった。この時、張奐は羌族の反乱を鎮定し、都に召還されたばかりで中央の事情に
「――――我等は天下万民のため、害悪を取り
清流派の
『――――わしは取り返しのつかないことをしてしまった……』
陳蕃を斬った後で、事態を悟った張奐は自分の犯した大罪を大いに悔やんだ。
託された遺命と純白に輝く宝珠。それを
宦官たちには陳蕃が宝を所持していなかったと嘘をついた。それで、宦官らは息子の陳逸や陳蕃に近かった清流派が所持しているのではないかと彼らに疑いの目を向けたのだ。
そんな中、張奐は仙珠を隠し持っていることを清流派の面々にも打ち明けるわけにもいかず、全ての恩賞を返上し、竇武・陳蕃の無罪と党人の
それまでの張奐は名将ではあったが、純粋な清流派とは言えない辺境の武人であった。陳蕃を殺害したことへの
曹操は様々な清流派と関わる中で、独自に党錮事件の詳細を調べ直し、張奐が仙珠の一つを
「あの仲潁という男は何者ですか?」
黙って聞いていた孫堅が口を開いた。自分に斬りかかってきた暴漢の方が気になった。
「名を董卓という。かつてわしの部下であった。戦には長けているが、性は欲深く、動乱を好み、冷酷非道で血の臭いに敏感な、恐ろしい奴じゃ」
董卓、
董卓は
ちなみに、尹端とは孫堅や臧旻が
曹操はこの張奐のあばら屋に宿泊すると言ったが、それはただの方便だ。こんな狭く
臧旻は一足先に張奐のあばら家を
その
曹全は
よって、同じく曹参の末裔を
武帝が河西四郡を新設した時に、中原から多くの移民があったが、その時に曹氏の一族からも移住者が出て、それが敦煌曹氏の始まりである。
曹全は敦煌郡の
熹平五(一七六)年、
この事件で曹全は新たな党人としてリスト・アップされ、禁錮されて故郷の敦煌に帰った。だが、党人なので、濁流派の刺客に暗殺される可能性がある。
張奐は臧旻・曹全両名の身の安全を考慮して、臧旻に西域情勢を熟知する清流の曹全を紹介し、共に西域に出ることを勧めたのだった。
曹操は張奐のあばら家を去る前に言った。
「……実は、私は張将軍がお持ちの珍宝を頂きたいと思ってやってきたのですが、
張奐は曹操が自分が秘匿する仙珠のことを知っていて、わざわざこの敦煌まで足を運んだのだと分かった。だとすると、
「以前、張将軍と同じように大罪を背負って苦しんでいる党人を見ました。しかし、その者は苦しみは自分の手で取り除かねば
曹操は五年前のことを思い出して力強く言った。清流派の党人・張倹。自らを責め続け、
張奐もまた自分の
「個人的な恨みもありますし、私は帰って王甫を除きます。それを見届けられたら、迷わずにお立ちください」
また力強く言った。その
「後に残った曹節を殺すには張将軍が持つ珍宝が必要となるでしょう。お見受けしたところ、張将軍の忠心はまだ干からびていない御様子。少しでも
張奐の心で何か弾けるものがあった。それと時を同じくして天から雪が落ち始めた。舞い散る雪の中、張奐が立ち去る曹操たちの姿を生き返った
若く
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