其之二 河西僥倖
幽州で鮮卑軍と戦った後、
幷州で捕らえた
そして、孫堅の分厚い忠義心はついに報われる。涼州の
酒泉郡は
まだ河水の西側が
大月氏とはその昔、匈奴に追われて西遷した民族である。匈奴に対して恨みがあるはずなので、同盟を結んで匈奴を挟み撃ちにしようと考えたのだ。
しかし、張騫は大月氏に向かう途中、匈奴に捕えられ、長年
何とか脱出に成功して大月氏に到着した張騫だったが、大月氏は匈奴の挟撃作戦には同意しなかった。張騫は帰ってそれを武帝に報告した。張騫の話を聞いた武帝は喜んだ。もちろん、大月氏との交渉が不調に終わったことを喜んだのではなく、
武帝の野心が燃え盛った。彼は若き名将・
漢と西域諸国との交易ルートを確保するために
ただ、今の季節は冬であり、雪を頂いた祁連山脈の冷たい空気が全てを凍りつかせるかのように吹きすさぶ。住人たちは簡素な家々に
凌ぐのは厳しい冬の寒さだけではない。城外に迫った鮮卑族の圧迫にも耐えなければならない。だが、孫堅は外の情勢を気にすることなく、臧旻のもとへ急いだ。
歴史的大敗を招いた敗軍の将として、臧旻は酒泉の牢獄に
「本当によくぞ御無事で……!」
孫堅は肌を刺すような寒さも忘れて、砂で覆われた地面に
「……その声は……
胸に
「はい、孫文台でございます」
「久しいな、文台。どうしてここに……変わりないか?」
臧旻の
余りにも変わってしまった
揚州刺史として
「はい、変わりありません」
臧旻はそれを聞いて無言で何度も
「若さというものはよいな。君と出会ってまだ五年と経っていないが、私は老いた……」
敗戦の辛苦が臧旻の体を
「ですが、生きておられます」
「敗軍の将として、生き恥を
臧旻は鮮卑軍に敗れ、捕らえられた。だが、
居延塞はかつて漢軍の匈奴戦線における
祁連山脈から流れ出た
鮮卑討伐軍を率いた三将のうち、すでに
「そんなことはありません。勝敗は
孫堅は
「……いや、これは負けるべくして負けた戦だった」
臧旻は確信を持って断言した。
「……ここで会えたからには、文台よ、君に伝えておきたいことがある」
臧旻は鮮卑軍に捕えられた時、ある陰謀を聞き知った。それを孫堅に語って聞かせた。
昔から国を追われた漢人たちが異民族側に付いて、その国政や戦略に協力することはあった。鮮卑側にも漢から寝返った漢人が何人もいて、鮮卑族もそんな彼らを厚くもてなし、味方につけた。そして、彼らは鮮卑に協力することで自分たちを排斥した母国に
「それは……!」
孫堅は臧旻の話を聞き、体中が怒りで燃え上がった。卑劣な内通者にも
「それでは、将軍に敗戦の罪はないということになります……!」
そのせいで、恩義ある臧旻がこのような
「数えきれぬ兵を死なせてしまった罪はある。それは
落ちぶれても、臧旻は
「私は敗戦の罪を
「……将軍のお気持ちは分かりました。ですが、それは無用の心配です。将軍の
孫堅が強い決意を見せた。孫堅は
『孫文台は孫文台だな、あの堅き義勇心は
それは粗末な監房にあって、与えられる運命を受け入れることしかできない臧旻さえも
それからしばらくして、城内が
酒泉郡は兵が少なく、物資も乏しく、禄福城の城壁も版築の土壁で築かれているので、堅牢とはいえない。しかし、敵の数は城を一呑みにするほどの大軍というわけではない。酒泉太守の
鮮卑軍の目的――――それは臧旻の命を奪うこと。もっと言うなら、臧旻が知った情報の
劉班の淡い期待を裏切って、鮮卑の強力な騎馬兵が禄福の城下まで押し寄せ、理解のできない言葉で気勢を上げた。それは城内の味方に向けられたものだった。実はここにも内通者がいたのである。
鮮卑と結託した漢人が予め平民を
外に待機していた鮮卑の騎馬兵がそこを突破口として城内に雪崩れ込む。先頭の鮮卑兵が早速城民の一人を血祭りにあげようとした。死んだのはその兵士の方だった。
「東でも西でも
孫堅が落馬した鮮卑兵に吐き捨てた。そして、その馬を奪うと、侵入してくる鮮卑の軍勢の中に
鮮卑兵が弱いのではない。孫堅が強いのだ。鮮卑の騎馬兵が強兵であることは涼州の民なら皆知っている。しかし、無名の孫堅は幽州でその武勇を示し、この涼州でも鮮卑兵を寄せ付けない強さを発揮した。ついには城内に侵入した敵兵のほとんどを打ち倒し、
「賊の一兵たりとも通さんぞ!」
大言して、悠々と打ち壊された城壁前に陣取った。
禄福の城兵たちは見知らぬ勇者に励まされて、大量の弓を放ち、鮮卑兵を城壁に近付けないように必死に応戦した。何とかその矢の雨をくぐり抜けた鮮卑兵たちも孫堅の前で死体となって積み重なっていく。孫堅は口を真一文字に結んで城外の鮮卑兵を
孫堅の気迫が鮮卑兵に注がれた。鮮卑兵の無闇な
ごつごつとした砂岩が転がる丘の上に立って、それを悠然と見つめる男。
「お、こっちに向かってきたぞ。先頭をやれ」
隣の男はゆっくり狙いを
「いい腕だ。ちょっと見ない間に成長したもんだな」
「山野の獣を射るのに比べれば、簡単なものです。的も大きければ、動きもまる見え。それより、大兄。
鮮卑兵の一部、三十人ほどが奇声を上げてこちらに向かって来ている。二人相手には十分すぎる数だ。それでも、平然とした態度を崩そうとしない男。
「お前、何人ならやれる?」
「奴らがここに辿り着くまでに弓で十人、辿り着いてから剣で十人」
聞かれた方の若い男は答えながら、また一人敵兵を射落とした。
「じゃあ、オレは残りの十人だな」
乾いた岩と余裕の上に片足を置いたまま、男が剣の柄に手をやった。視線は後方の鮮卑の軍勢に向けられている。向かってくる三十人の鮮卑兵の後方には千ほどの鮮卑兵がいる。絶対的な兵力差を前にしても、この男の心は恐れにも不安にも支配されない。全ては不動の心と冷静な計算に
鮮卑軍の後方に
段熲は将軍としては勇猛果敢で名将の
老齢の段熲の現職は
今、段熲が都から遠い涼州にあるのは、使者として酒泉郡を訪れたためだった。
軍勢を引き連れてきたのは、武威郡にあった時に鮮卑軍の酒泉侵攻を知ったためである。
段熲には大きなネーム・バリューがある。地元のヒーローであり、常勝の将軍である。とかく地元の涼州、特に武威郡での人気は絶大で、義勇兵を
段熲の威名は国内だけに止まらず、周辺の異民族たちの間にも広く行き渡っていた。鮮卑軍はその段熲が率いる軍勢を見て、あえて衝突を避け、撤退したのであった。
戦わずして勝つ。『孫子』のいう最善の勝利を目の前に、全軍が「
段熲は使命を全うするべく、
年季の入った顔と声で、段熲が
「使匈奴中郎将・臧旻、そなたの官位財産を召し上げ、
死罪も受け入れる気であった臧旻にとって、それは予期せぬ判決であった。
喜んだのは孫堅だ。一庶民の身分に落とされたが、死罪ではない。臧旻は過去の反乱鎮圧の功と地方太守としての実績があるので、いずれ官界に復帰する道も十分残されている。
段熲はそれだけを伝え終わると、くるりと背を向けて監房を後にした。
「……どういうことなのだ?」
臧旻は
「最近、宮中は金欠で困っていましてね……」
臧旻のもとに歩み寄り、真相を告げる男。落ちぶれた臧旻に
「いろいろな金策を講じて金を集めようとしています。最近は売官なんてことも始めました。
「何だ、それは!」
それを聞いた孫堅がまた
「他にも、
「……金で贖罪したのか。しかし、我が家にそんな金などないはずだが?」
臧旻は見知らぬ男の教示にも、まだ
「世の中には奇特な人間がいるのですよ。ある金持ちがあなたの罪を買い上げました」
「その人物とは?」
臧旻には心当たりがない。
「これを預かってきました」
男は答える代わりに
「……君は?」
「
曹操はそこで
曹操が洛陽を出立する前にある官界の大物が曹氏の屋敷を訪れた。その客とは
曹操の祖父・
袁湯は
「――――
まずは曹操が友人の父・袁逢の昇進を祝した。司空は水利土木を扱う建設大臣である。
「――――いやいや、素直に喜ぶわけにはいかない。天下の不幸が重なったばかりだというのに」
袁逢は手と首を同時に振って、曹操の祝辞を拒むように言った。
袁逢は宋氏誅滅事件の直前に司空に就任した。前任の
来豔は
「――――それにしても、災難だったな。これからどう身を振るつもりか?」
袁逢が宋氏誅滅を天下の不幸と言うのだから、それが
「――――悠々自適に天下を回ってみようかと思っています」
曹操は現況を楽しむかのように言う。凶悪な宦官に命を狙われているとは到底思えない。公的には官職を
「――――宛てはあるのか?」
「――――とりあえず西へ。十年
それを聞いて、袁逢はピンときた。
「――――ついに禁断の扉を開けるか」
「――――ま、ここまでされたので、黙っているわけにもいきませんね。我が家は
袁逢は押し黙った。この若き曹家の子息は
強大な影響力を持っていながら、それを自家の保守防衛にのみ使っていることに息子の紹は納得していない。母の喪を理由に汝陽に帰ってから、逢に便りの一つも寄こさない。不服の表れだった。
紹の気持ちは分からないでもない。清流派官僚の面々から協力を要請されている。
曹操は袁家を襲った
「――――十年か。いい区切りかもしれん。……
「――――何でしょう?」
「――――先頃、鮮卑討伐軍を率いて行方が分からなくなっていた臧公の消息が掴めた。臧公には我が袁家は恩があってな、何とか助けてやりたいと思っているのだ」
「――――敗軍の将ですね。そのお方の身柄を奪えばよろしいのですか?」
曹操は
「――――いや、その必要はない。これから朝廷に金を積む。それで罪は帳消しにできる。頼みというのは、臧公にこの書簡を手渡してほしいのだ。これは特に大事な書簡でな、本当なら
「――――お安い御用です。で、その臧公は今どちらに?」
「――――涼州酒泉」
もともと
一方、
「
太史公とは、前漢の武帝の時に太史令(天文暦算や史書の
「
龍門山を越えるこの辺りの河水の流れは激しく、〝
「お詳しいですね」
「いや、私の師が言っていたのだ。私の師は都で歴史書を編纂する仕事にあたっている。よく『史記』や『漢書』を読んで研究しておられた」
劉備が護衛に向かう蔡邕も、流刑前は
『漢書』は西域都護として活躍した
「私はもっぱら『
長生の口から意外な言葉が漏れた。
『左伝』とは、
儒学の五経典の一つに『春秋』があるが、それを補足説明したのが〝伝〟である。
宋の儒学者、
「ほぅ、学問も得意なのか。人は見かけによらないな」
「子供の頃、
「妙なきっかけだな」
「何事もきっかけは奇妙なものですよ」
「確かにそうだ」
都で兄弟子が酔っぱらって蔡邕邸の前を通らなければ、こんな危うい道を進んでいなかっただろう。劉備が進む道は川沿いに続く、細くて荒れた黄土の道だ。それは
直道は始皇帝が建設を命じた黄土高原を南北に貫く一本道である。長安北西の
河水に囲まれた
武帝は全国
武帝の死後、匈奴は分裂し、その一部が漢に服属した。彼らは南匈奴と呼ばれ、河南の地に居住地を与えられた。ちょうど河南の地を北東から南西へ縦断するように、風化した土の壁が延々と連なっている。戦国時代に秦が築いた長城である。
その長城の向こう側が南匈奴の住まう地域だ。そして、南匈奴を管理するために漢が派遣した官職が使匈奴中郎将である。
昨年の鮮卑討伐には使匈奴中郎将の臧旻に従って匈奴も軍を派遣したが、その時々の情勢によって漢に反抗することもしばしばで、後漢の
馬続は
陳亀は
漢代においても、直道は依然河南の地における重要な交通ルートで、馬続らが匈奴の反乱を鎮圧する際も大軍がこの直道を通った。原野に散らばるおびただしい白骨が激戦を物語る。
劉備と長生は夏陽から
「あとは真っすぐ駆けるだけだ」
劉備と長生は馬を手に入れると、昼夜兼行でそんな歴史を刻む直道を北上した。
臧旻は罪人から一庶民に身分を回復した。不精髭を
「私は西域に出ようと思う」
そう孫堅に告げた。袁氏からの書簡は揚州刺史の時に一族の
それに加えて、揚州での反乱鎮圧の過程で知った四神器の存在がある。
袁氏は臧旻に四神器の一つ、白銀でできた虎を
班超は
後に超の子の
西域都護は現在は〝西域
一端西域が制御不能になってしまうと、漢朝は再び玉門関・陽関の二関を閉鎖して、国交を断絶する可能性が強い。そうなると、実地調査ができなくなってしまう恐れがあった。時間の余裕はない。
「では、私もお供を」
孫堅が志願した。
「我等も敦煌に向かいます。それまで御一緒しましょう」
「君は袁家の
「先祖からの腐れ縁ですよ」
曹操が何とも困ったような顔をした。
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