其之一 智侯救助隊
桓帝は怒って、
「――――お前は小人の
そう告げたのだ。確かに頭が痛いことが続いている。
やることなすこと全てに反対意見が寄せられて、暗愚な皇帝は嫌になって
韓説は今月の
「なぜじゃ?」
「これは依然として妖異の原因が解決されず、陛下の威光が侵されていることの証でございます。『
相手の上辺を
「佞人を信じて道人を遠ざけ、直言を聞かずに政道を誤れば、すなわち天は威光を失い、日が陰るのでございます」
韓説は蔡邕の同僚であり、友人である。国家のために諫言したその蔡邕を罪人として遠ざけ、宋一族を
宦官たちが侍っていないのを見計らい、韓説は日食の報告だけでなく、善悪の道理を語って何とか皇帝に理解を求めようと試みた。それは蔡邕の
「……ふむ。そなたが言うからには確かに食すのであろうな。百官に身じまいさせ、厳粛に迎えさせよう。……ご苦労であった、下がってよいぞ」
ところが、この皇帝は少しでも難しそうな話になると、途端に耳を傾ける気力がなくなる。当然、聞いたところで頭に入らない。清流派の面々が弁証の質を高めるために、儒学の経典から言葉を引用して数々の上奏を行ったが、それは逆効果だった。
皇帝自身にそれを理解できる知識がないのである。上辺を誤解して、本質を理解する能力がないのだ。その
皇帝個人の能力、性格、気質を完全に把握していた彼らは、興味をそそる言葉と甘い文句で皇帝を思うがままに操った。
「――――陛下がわざわざ難解なことを理解する必要はございません。それは私たち臣下が行います。皇帝陛下は天に鎮座する太陽の
宦官が教え込んだ帝王学の一つ。この上なく簡単であるので、皇帝はそれをすぐに理解し、実践した。
「……」
韓説は下殿しながら、力なく首を振った。
韓説が予言した通り、晦日になって日食があった。
「陰が陽を侵すは、邪臣、帝光を
都で
劉備が将来何を
盧植がかわいがる理由を蔡邕も察して、盧植にアドバイスした。
「――――狭い都に留まらせるよりは、広く天下を駆けさせた方がよいな。四海を巡る
その蔡邕を救うべく、劉備は今、
河東郡はその名の通り、黄土高原を南流してきた
まず、
劉備は幷州刺史の在地である
再度方策を尋ねるためにまた都へ戻るのは時間がかかる。
劉備は安邑の街を歩きながら、このまま朔方へ急ぐかどうか、何か良い方策はないか、それを考えていた。
『自分で考えろってことか……』
河水(黄河)の流れを見た時、黄土高原に沿って北流した河水は
漢代の黄土高原は森林と草原に覆われており、そのお陰で河水の水も現代より濁りは少なかった。東流した河水は今度は
河東郡から見れば、朔方郡は黄土高原のちょうど対角に位置し、高原を縦断することになる。劉備は朔方郡へ着く前に、何人か
もし、暗殺者と戦うようなことになったら、自分一人では心もとない。あの
『
劉備は曹操の右腕の
二年前、蔡邕邸を
曹操は傷の療養を終えたその夏侯惇を蔡邕の護衛に付けると言った。
夏侯惇の武勇は非常に心強い。だが、それとは別に何人かボディー・ガードを確保しておきたい。劉備は
河東郡解県は製塩業が盛んなことで知られていた。
前漢の武帝の時代、財政再建は急務の課題であり、塩と鉄の販売を国の専売制にすることで、それを解決しようとしたのである。以来、塩の生産地には国から
今まで自由に商売していた製塩業者は製造販売に国から免許をもらわなければならなくなり、その監視下に置かれて、販売価格も制限された。
この措置で、もちろん国庫は大いに
劉備が顔を出したのは、そんな裏稼業を行う組織だった。
「何か用か?」
ドスの利いた声が劉備に投げかけられた。岩の
「あの……、〝
その単語を口に出すと、見張りの男が劉備を手招きして呼び寄せ、剣を出せと言った。言われた通りにして、入念なボディー・チェックを受け、
「……真っ直ぐ進みな」
洞窟の中へ入るよう言われた。人が二、三人通れるくらいの幅を持つトンネルは岩壁が崩れないように板をあてがい、それを
「左侠の方にお願いがあってきました」
劉備がまたその単語を言うと、じろりと劉備に視線を送った男が無言で戸を開けて、
天井は山が
「仕事のようですぜ」
劉備を部屋に入れた男がそこの首領らしき男に告げた。
「用件は?」
体中に危険な雰囲気を漂わせたその男が、鋭い目つきだけを劉備に向けて聞いた。
「ある人を
「金はあるのか?」
「はい」
男はあれこれ聞かず、左手を出した。
右手には武器を、左手には金を――――差し出された左手に黙って対価を
劉備はその手に金の入った
「……たった五百銭か」
言いながらも、断るでもなく、男は指をトントンと卓上に打ち付けた。そして、
「まぁ、いい。
その男に呼ばれて出てきたのは体が大きく、顔が
「何でしょう?」
「
「分かりました」
「こいつを連れていきな」
男はそれだけ言うと、また協議を始めた。禦侮とは、いわゆるボディー・ガードをいう。
「たった一人ですか?」
「たった五百銭でガタガタ言うんじゃねぇ。一年貸してやる。ガキ同士、うまくやれ」
交渉はそれで終わりだった。
雇った男は身の
長生と名乗ったその若者は剣一本をぶら下げて、依頼人の劉備に黙々と従った。
『ケチらなければよかったかな?』
劉備は少し後悔した。
王匡は
傭兵を雇うことにしたのは劉備の独断だ。何が出てくるか分からない濁流派の刺客。劉備の勘と経験が、また非常の展開を予想した。幷州刺史の頼みが失われ、それに代わる曹操の援助が期待できるかどうかは分からない。それなら、こちらも独自に非常手段を講じて応じる必要があると思ったのだ。
「その若さで
河水(黄河)を渡る小舟に揺られながら、劉備が問うた。
「官兵百人分、と言っておきましょう」
長生は自慢の腕力で舟を
それが真実で、あの沈惇や
「あなたも度胸がありますね。我等のような裏稼業の集団に一人で交渉に来られるとは」
「民衆の声は常に真実を映し出す。河東の民は左侠は義に厚い集団だと言っていた。別に怖いとは思わなかった」
長生は知らないが、すでにいくつかの修羅場を経験していた劉備は普通の人間を怖いとは思わない。もともと度胸があるから、命の危険を承知で蔡邕護衛の任に立候補したのだ。
「君は役人を殺したと言っていたな」
「はい。貧しい
「左侠はどんな依頼でも受けるのか?」
「普段は地元の案件のみです。役人を殺してしまった私は身を隠さなければなりませんから、
河水を渡れば、河東郡を越え、
「……そう言えば、どこへ向かうとか何をするとか、何も聞かないな」
「それが左侠の
何も知らなければ、たとえ捕まっても、情報が漏れるリスクが少ない。知らない方がいいこともある。劉備は長生の言葉と態度に嘘
劉備は一つ真実を明かした。
「そうか。だが、行先は教えておこう。朔方へ向かう」
誰を守るかはまだ明かせないが、どこに向かうかは言っても支障はない。
「遠いですね」
「そうだな。道中長いが、同じ舟に乗った者同士、お互いに裏切りはなしだ」
「それは誓って」
長生が力強く言った。狭い峡谷を勢いよく流れ抜ける河水の流れは速かったが、長生が漕ぐ小舟はほとんど流されていなかった。
その頃、曹操は
これらの関所が東西を分断するようにあるので、ここを境にして洛陽方面を〝関東〟、長安方面を〝関西〟という。
曹操がいる弘農郡、劉備が移動している河東郡、左馮翊はいずれも
司隷校尉は警視総監に当たる重職で、首都圏の非法摘発を
都・洛陽も
まだ洛陽に滞在していた時、
「――――もし、この陽球が司隷とならば、王甫・
陽球がある者にそう豪語したということを伝え聞いた曹操は
「――――ここはその野望を実現させてやろうではありませんか。
曹操は盧植や
清流派たちがバックアップして、陽球を司隷校尉に就ける。その間に曹操が王甫一族の数々の非道無法の証拠を用意する。短絡的で厳罰適用が売りの陽球は長々と審理することなく、王一族を殺す。陽球はヒーローになるだろうが、同時に王甫周辺の
「――――私はしばらく都を離れます。皆様方は一年を
そう言い残して、曹操は洛陽を離れたのである。
その時の司隷校尉は皇帝の夢占いをした許永であったが、近々、司隷校尉を辞
するという。許永は
三公の司空に
現在、袁紹は母が亡くなったために喪に服しているが、その母の出自は袁家に仕える女中だった。つまり、袁紹は袁逢の
彼の別名「支丹」は曹操から付けられたものであるが、それが支流、
袁成は
その袁成は若くして栄進したが、紹が養子となって間もなく他界していた。
養子と言えば、曹操の故郷の
曹操は免官されたが、故郷には戻らなかった。宋氏が誅滅され、自分もそれに連座したが、曹操は王甫の陰謀には屈しなかった。故郷に引き
曹操が弘農にある理由は、
張奐は
が、聞けば、張奐は数年前に免官となって故郷の敦煌に戻ったらしかった。
「……わざわざこの地に遷ることができたというのに。年を重ね、きっと生まれ故郷の景色が恋しくなったのでしょう」
張奐の次男である
『……いや、違うな』
曹操が心中に思う。我が子にも言えぬ秘密を抱えて独り砂漠に朽ち果てるつもりなのだ。
敦煌郡は涼州の西の端、
「やはり不在でしたか」
曹操の
「オレは端から敦煌まで行くつもりだった。こういう時でなければ、あんな最果てまで行くことはないだろうからな」
盧植から予言の文句を聞かされていた。もちろんそれは自分に動いてほしいという期待からだろう。
「西域の
「珍宝ですか……」
夏侯淵は全く興味なさそうに呟いた。
「何と書いてあるか全く読めない。まるで蛇が
夏侯淵は屋敷の壁のあちこちに垂れ下がっている草書の作品群を見ては、眉をしかめた。その作品は長男の
張芝は
「
曹操は張奐邸の庭にあって、二張の作品を楽しそうに鑑賞していた。
「兄は
崔杜の法とは、名書家だった
張芝は特に達筆で、その草書体で書いている暇もないと評された。後に張芝の弟子の
後に魏に仕えることになる韋誕、
「いや、あなたのも実に見事だ。……どうです、蔡智侯に
「それは光栄なことでございます」
張昶は
〝
「蔡智侯に贈るに〝華陰有望〟とは、なかなか
曹操は草聖・張芝が書したその四字の意味を察して、馬上で
華陰はここの地名でもあるが、別の意味として
華陰の地名は華山から来ている。華山の名は、その山並みを遠望した時に花の形に見えることから、名付けられたという。
その華山の
「ところで、父はうまくやってくれているか?」
「はい。曹節に
「フフ、得意の巨高低頭か。あれでも立ち回りはうまいからな」
曹操は父のおべっか
曹操の父・
「あべこべの世の中では、父のような生き方こそ正解なのだろうがな」
昔から曹操が何か問題を起こす度に父が裏で動いてくれた。同時に曹家の金も動いた。それは能力主義を
曹操の祖父・曹騰の蓄財は曹嵩によって、大いに生かされていた。
曹嵩はもともと夏侯氏の出であった。曹騰が宦官で子供を作れなかったので、夏侯氏から嵩を養子として迎えたのである。それゆえ、曹氏と夏侯氏は血縁関係にあり、結びつきが深い。ほかでもない曹操自身の中にも夏侯氏の血が流れているのである。
曹嵩は息子が王甫と対立姿勢を強めるにあたって、曹節に接近した。出自は違えど、同じ曹氏であるので、そんなことを口実にすれば近付きやすいのである。
賄賂の効果はあった。宋氏が誅殺されるにあたり、
「――――子がないのだし、
と、調子のいいことを言って、口を
とはいえ、王吉という王甫の目が光る故郷に帰すわけにはいかない。曹操は夏侯淵に命じ、悲しみの
「
「私と同時に
「そうか。新しい刺史がこの弘農の出らしい。悪い人物ではないようだ」
曹操は弘農でそんな話も耳にしていた。宋果の更迭後、新たな幷州刺史に
「智侯のことは元譲と玄徳に任せるとして……」
曹操の視線は目前に迫った
「支丹の親父殿は昔、弘農太守となって華山
それがいずれ重要な要素になることを曹操は感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます