第3話

 海岸沿いを走る花火。自分の背中に、まだ戸惑っている様子の千草の視線を感じる。

 だが、彼女は振り返ることはない。

 それは、右腕で隠した自分の瞳から、ボロボロと熱い涙が溢れ出していることを、千草に見られたくなかったから…………ではなかった。



「……ぷぷっ」

 千草に聞こえないくらいの音量で、ふき出す花火。


(はい、勝ちー! これで私の勝ち、けってーい!)

 腕で隠した向こう側で、邪悪な笑みを浮かべている。


(私が百合? んなわけねーだろバーカ! あんなもん、自分が勝つためのウソだよーん! ぷぷっ、これで、すっかり私にメロメロになっちゃったアイツは、もう一人の百合に投票する。でも、実は私は、そのもう一人にもすでにおんなじことを言って誘惑してあるから、その百合はさっきのアイツに投票する。……あとは、私がアイツらのうちのどっちかに投票すれば、それで私の勝ち確ってわけですよ! あー、マジで百合ってチョロいわー!)


 実は、花火は詐欺師だった。

 それも、百合を専門にターゲットにする、恋愛詐欺師だったのだ。だから、「誰かを騙そうという悪意なんて微塵もない表情」や「雨上がりの朝のような爽やかな涙」を作ることなんて、ハナクソをほじるより簡単なことだったのだ。


(アイツら、普段から迫害されてるから出会いの機会も少ないし、頼る人もいない。だから、ちょっと優しくしてやっただけで、すーぐメロメロになっちゃうんだよねー! こーんなチョロい仕事で、『一生遊んで暮らせるお金』が手に入っちゃうなんて、私ってホントついてるー!)



 自室に戻ってきた花火。

 運営から配布されているタブレット端末を開き、例の投票画面を開く。


 そこには、このゲームの参加者たちの写真が並んでいる。これまでに排除されてきた百合たちの写真はグレーアウトされ、選択することが出来なくなっている。

 投票の対象として選択出来る、カラー写真になっているのは、自分と千草……そして、残る三人目のアオイだけだ。


 花火の誘惑によって百合たちがお互いに投票している今の状況なら、自分がどちらに投票しても結果は変わらない。百合二人は処刑され、自分は勝者として大金を手に入れることが出来る。

 二人に同じことを言っておいたのは、なるべくこの策略が成功する可能性を高めるため。二人のうち、少しでも自分の詐欺行為を疑っていそうな方に投票して排除したほうが、自分の勝利がより盤石となるからだ。

 だが……。

 正直なところ、二人のうちどちらでも同じだろう。二人とも、自分のことを微塵も疑っている様子はなかった。完全に自分に騙されていたようだから。

(えー、じゃあどっちにしようかなー? どっちでもいいと思うと、逆に迷うー!)



 しかしそこで、彼女の頭の中にフッと、あるイメージが浮かんできた。


 このゲームで、もしも百合二人が勝ったなら……その二人は、国公認の『パートナー』になれる。

 もちろん自分は百合ではないので、そのルールは何も自分に関係ない。だから、今まであまり気にしなかった。


 でも、もし……もしも……。

 このゲームで勝者が決まったとき、そこで自分が突然、「私は百合だ」と宣言したらどうなるだろうか……?



 実は、38回も続いてきたこの番組で、今までに百合側が勝者となったことは、一度もなかった。

 それは、これまでも自分のような「百合を食い物にする非百合」が紛れ込んでいたせいなのだが……。正直、そのお決まりのパターンの展開に、視聴者も運営もウンザリしているというウワサらしい。


 そんなときに、今回もやはり非百合の勝利……という展開は、運営としてはあまり歓迎するものではないだろう。視聴者もいよいよ離れてしまい、最悪、番組打ち切りなんてものも視野に見えてくる。


 しかしそこで、もしも「自分が百合だ」と言ったとしたら……?

 当然、生き残ったもう一人も百合なので、ゲーム史上初の、百合側の勝利という展開になる。きっとネットニュースのトップ記事になるだろうし、世のインフルエンサーもこぞってこのネタを取り上げる。マンネリ化したこのゲームを、再び盛り上げることになるはずだ。

 非百合が勝利したときの莫大な優勝賞金をあげなくていいという、極めて実務的なメリットもある。


 「面白さ」が全てを支配するこの世界ならば、運営はおそらく……いや、ほぼ間違いなく、このウソに乗っかるはずだ。



 つ、つまり……。


 花火の指先は、タブレット端末の画面の直前で止まったまま、かすかに震えている。



 そのとき花火が見ていたのは、さっき会ってきた千草ではなく、もう一人の百合。

 千草の前に彼女が誘惑して騙しておいた、葵だ。


 さっき葵に会って話していたときから、花火は、自分の中に不思議な感覚が芽生えていた事に気付いていた。

 しかし、それを認めたくなくて、その「不思議な感覚」を、生えたそばから根こそぎ摘み取ってしまっていた。



 千草に投票する。そして、「自分は百合だ」と宣言する。

 それだけで、自分は葵とパートナーになれる。



 喫茶店で……映画館で……遊園地で……、誰の目も気にせずに彼女と一緒の時間を過ごして、笑い合うことができる。

 あの、白百合のように可憐で、踏み入れることを躊躇ちゅうちょする新雪のように神秘的な柔肌に、触れることが出来る。封印されていた聖域を我が物として、自らの欲望のままに、めちゃくちゃにけがすことが出来る。



 ゴクリ……。



 今までの自分では到底ありえない考えを持ってしまい、花火は時間ギリギリまで、投票する手を動かすことが出来ずにいた。

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