第58話

 何やらアークの様子がおかしい。


 模擬戦中はしっかりと出来ているが、休憩時間や個人練習中などに、ふとした拍子にぼーっとしている事が増えたのだ。


「何か悩みでもあるのか?」


「ロックさん……はい。相談しても良いですか?」


「ああ」


 アークの口から語られた内容によると、自分の感覚が普通じゃないとアッシュから言われてしまった事を悩んでいたらしい。


「ロックさんはどう思いますか?」


「ふむ……」


 アッシュめ、余計な事を。


 この脳筋英雄思考のアークに幾ら言ったところで、英雄思考が改善される事は無いだろう。


 心配になるのは分かるがな。普通に考えれば死ぬ。今生きていられるのだって、俺が魔族に憑依されたドレッドを倒せたからで、そうでなければとっくに死んでいただろう。


 だから分を弁えろと幾ら言い聞かせようと、アークには無駄なんだよ。容易く己の命をチップに出来てしまう人間にはな。


 変な悩みを抱かせて、せっかくの常人離れした集中力が乱されては成長を阻害するだけだ。


「気にするな。確かにアークの考え方が一般的とは到底言えないが、誰が迷惑する訳でもないし、むしろ助けられた人物にとってはありがたいだけだろう。大体、己の分を弁えて、自分じゃ勝てない相手に殺されそうになっている弱者を見捨てる事がアークに出来るのか?」


「そんな事は出来ません!」


「なら気にするだけ無駄だ。そんな暇があったら、一回でも多く突きを繰り返せ」


「はい! 分かりました!」


 と元気よく言って、校庭の隅の木に吊るした紙に向かって駆けて行った。


 単純でありがたいな。


 ちなみに、今日はカレンもエミリアも居ない。俺の担当の日は、回復担当として俺自身が居るから、エミリアの出番は無いし、カレンもこの時間を他の場所で自主訓練に充てている。


 アークが何度かパンチを繰り返し、吊るされていた紙が外れてしまい、大きく嘆息している姿が見られる。


 ふむ。そろそろ良いか。


 新しい紙を木に吊るし、再び構えを取るアークの背後から、俺はその肩に手を置いた。


 アークは不思議そうな顔で振り返る。


「どうかしましたか?」


「もう一度、俺がやってみせる」


「本当ですか!?」


 実は紙の修行を課して以来、俺もシャロンも、一度も見本は見せていなかったのだ。自分で考える力を養わせたかったからな。


 だが……悪いが、あまりにも単純すぎるアークは、俺達が言った「力が入りすぎだ」という言葉を馬鹿正直に受け取って、力を抜く事しか頭に無いらしい。


 そこまでは正直、これもまた常人離れした凄まじい速度で習得出来ているのだが、そこから先は全く進歩が見られない。本当に『力を抜く』事しか頭にないのだろう。


「いいか? なぜ力を入れてはいけないか。それは、不要な部分にまで力がこもっていると、筋肉が硬直して速度が死んでしまうからだ。だが、力が不要な訳じゃない」


 俺はあえて、アークが普段やっている通りの動きでパンチを繰り出した。


 パンっという軽快な破裂音と共に、紙の中心が射抜かれる。


「そうか……当たる瞬間に力を入れるんですね?」


 一度で理解したか。本当に、馬鹿なのか天才なのか……いや、馬鹿で天才なんだろうな。


「破壊力というのはな、単純に筋力量で押し潰す力を言う訳じゃない。攻撃の速度と質量によって決まる。これを運動エネルギーと呼ぶ。この場合の質量というのは、単純な物質の大きさや重さを言うのではなく、全身の筋力から発せられる力をどれだけ拳一点に集中させられているかを言う。そこに速度を与える事で最終的な破壊力が決まる。力を入れるのはインパクトの瞬間だけで良いんだ」


 やってみろとアークを促すと、きゅっと目に力を込めて、しかし腕は脱力したまま紙まで伸び、パンっと破裂音を響かせながら、その拳は紙を撃ち抜いていた。


「や、やった!」


 撃ち抜いた紙を腕に纏わせたまま、喜びに震えるアーク。


「やったぁ!」


 わーっと両手を上げて更なる喜びを露にする。


 アークはその姿勢のまま俺の方を振り向いて、満面の笑みで言う。


「これで次のモンスター討伐の仕事には連れて行って貰えるんですよね!?」


 実戦志向のアークは、よっぽど早く冒険者デビューしたかったらしいな。


「ああ、それだがな。もう一つ、早い内にクリアしてもらわなきゃならない課題があるんだ」


「えー!?」


 アークは、約束が違うと不満を隠そうともしない。


「モンスター討伐には関係ないんだがな。これをクリアしておかないと、いざという時にかなり困るんだ」










 翌日の昼休み、俺はカレンに頼んでエミリアを呼び出してもらった。男の俺が直接呼びに行くと、変に迷惑を掛けてしまうかもしれないからな。


「すまないな、わざわざ来てもらって」


「いえ、大丈夫ですけど、ご用件は何でしょうか?」


「一つ聞きたい事があってな。エミリアはこれから、アークとはどういう関係でいたいかを、正直に聞かせてもらいたいんだ」


 側でカレンが怪訝そうな顔をしている。自然の成り行きに任せようと決めたはずでしょ、とでも言いたいのだろうが、それとこれとは話が別なんだよ。


「それは予言で、私とアーク君が恋人同士だったからですか?」


 そこまで読み切ったのか。相変わらず妙に鋭い娘だな。


「いや、それとは話が別だ。エミリアは補助属性持ちだろう? この前のような場合に、たとえ命懸けになろうがアークを助ける気があるか、それとも関わりたくないかを決めてもらいたい」


「そりゃ助けたいとは思いますけど……命懸けになるのも分かりますけど、今決めなきゃいけない事なんですか?」


「俺は以前に、補助属性持ちの冒険者と組んだ事が一度だけあるんだが、その時に感じたのは、計算力か応用力がずば抜けていなければ、補助を受けた状態での戦闘というのは、ぶっつけ本番で出来るものじゃないという感想だった」


 使い手の魔法力によるが、補助魔法で上乗せされる力は1.1倍~1.5倍くらいだろう。単純にその分、身体強化の出力が上乗せされるだけだが、慣れていない状態でいきなり補助魔法を受けると、その力を扱い切れずにかえって混乱してしまうだろうと俺は思う。


「無いよりは断然マシなんだが、補助魔法を受けた状態での戦闘を普段から訓練しているのとしていないのとでは、かなり違うと思われる」


「つまり、どんな時でもアーク君を助けたいと思うなら、普段の訓練からアーク君に補助魔法を使って訓練させてほしい、という事ですか?」


「察しが良くて助かる」


「構いませんよ」


 また、いやにあっさりと決断してくれたものだ。表情から、軽い気持ちで言っている訳でもなさそうだな。


「アーク君の事は弟みたいにしか思えませんけど、大切なお友達ですから」


「そうか」


 俺は自然と表情が緩んでいた。


「私からも質問いいですか?」


「ああ」


「ロックさんに補助魔法を使う訓練をした方が良くないですか?」


「いや、それはいい」


「どうして? エミリアの補助魔法が有った方が、あたしは安心できるわ」


 カレンが心配そうに言ってくるが、それは無理なんだよ。


「俺が全力で戦わなければならないような敵が現れたら、その時点でエミリアが死ぬ」


「え……?」


「補助魔法の効果範囲内に居られたら、逆に俺が全力を出せない。だから無駄だ」


 俺が以前に補助属性持ちと仕事をしたのは、まだブロンズに成りたての13歳の時だ。戦闘力は今とは比較にならないくらいに弱かった。


 エミリアに自分の身は守れる程度でも戦闘力が有ったらお願いしていたかもしれないがな、流石に無理があり過ぎる。


「だから、もしそんな敵が現れる事があったら、下手に俺を助けようとはせず、俺が逃げろと言ったら逃げてくれ。カレンもだ」


 二人は真っ青な顔でこくこくと頷いた。

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