第57話 SIDEアッシュ

 アークが天井から吊り下げた紙にパンチを繰り出すと、その威力に負けて紙が紐から離れて、アークの拳に纏わりつく。


「むぅ……」


 アークはその度に難しそうな顔で小さく唸り、再び紙を吊り下げて、パンチを繰り出す。


 いつ頃からか、アークは毎夜就寝前にこの訓練をするようになった。


 三人住まいでそんな広くもない部屋なので、ハッキリ言って迷惑なんだけどねぇ……。


 最近ドレッドが明かしてくれた話によると、アークこそがこの世界の物語の原作主人公であるらしいので、強くならなければ死ぬ恐れが高いのだと思うと、あまり文句も言いづらい。


 僕にそれを教えてくれたドレッドはと言えば、むっつりとした顔でアークの行動を眺めている。


「おい、そんなもん出来たって何の意味があるってんだ? 身体強化すれば粉々に出来るだろうが」


「正しい鍛え方をさらた肉体によって、正しい力の伝え方をしなければ、最大の威力は発揮されない――ってロックさんの教えなんだ。そのために必要な事の一つなんだって」


「それを本気で信じてるってのか?」


「ドレッド君だって、魔族に憑依されてた時の記憶はあるんだろ? あの時のドレッド君はロックさんより身体強化の出力は圧倒的だったのに、あの魔族は勝てなかったじゃないか」


 つまり、身体強化の出力だけで勝負が決まる訳じゃないと、ロック・メリスターは証明してみせたのだ、とアークは言いたいみたいだね。


「ちっ……」


「普段ロックさんに相手をしてもらってる時だって、出力は僕と同程度に手加減してもらっているのに、僕は未だに一発も当てられてないんだ。ロックさんが言うには、技術はもちろんだけど、観の目だとか周辺視システムだとか色々と類似する呼び方があるらしい、相手の動きを『視る力』からして僕とは鍛え方が違うって事だけど、それ以前に、明らかにパワーやスピードに差があり過ぎる。それはきっと、ロックさんの言う通り、僕の体が正しい鍛え方をされていなくって、正しい動きをする技術が僕には無いからなんだ」


 ロック・メリスター。


 僕やドレッドではおそらく比較にならない力を持つと予想される、僕らと同じ転生者。


 とにかくその存在が不気味で関わる事を控えていたけど、どうやら僕らとは色々な意味で違うらしいね。


 前世でどんな人間だったのかは知らないけど、聞く限り完全に戦闘の専門家じゃないか。


 ドレッドの人格に関しては色々と言いたい事もあるけど、そんな相手を敵視して自分と比較しようとしていた事に関しては、同じオタクとしては同情してしまう。


 だけど、それが実感出来たおかげなのか、最近のドレッドは以前のような刺々しさが大分取れてきている。というか、完全に落ち込んでいる。強がってあまり人前では見せないけど、ふとした拍子に沈んだ表情を見せるんだ。


 自分に与えられた膨大な魔力という才能を、魔族によって更に引き上げられていた状態で負けてしまったのだから、流石に実力差を理解せざるを得なかったのだろう。


 聞けば、武術の腕前自体も、ドレッドを操っていた魔族の方がドレッド自身よりも上だったらしい。これはアークに聞いた話だけどね。そのアーク自身も、戦いの最中は殆ど気絶していたので、エミリアさんから教えられたらしいけど。


「ドレッド君も、僕と一緒に教えてもらおうよ!」


 魔族との戦いがあってから、アークは事あるごとにドレッドをそうやって誘っているんだけど、


「うぜぇな。仲良しこよしは俺の趣味じゃねぇ。勝手にやってろ」


 と、ドレッドの方はロンリーウルフを気取って相手をしていない。


 強くなりたいなら、素直に教えを乞うべきだと思うけどね。もっとも、気持ちは理解できないでもない。


 一年生の後半になったら、そこら辺の本格的な授業も始まるらしいから、それ待ちでもいいのかな。


「アッシュ君も一緒にやろうよ。エレメンタリストだって実戦を積まないと強くなれないだろ?」


「僕はいいよ。というか、何でアークは、そこまでして強くなりたいんだい?」


「え? だって、また魔族が襲ってきた時に、誰かを守れずに負けたら、僕はきっと後悔するから」


 それは以前にも聞いたよ。けどね、僕は思う――


「キミはおかしい」


「え……?」


「なぜキミが魔族と戦う事が前提になっているんだ? キミより強い人間なんて幾らでも居るだろう。この学院にだって、少なくとも上級生の大半は今のキミよりは強いだろうし、ロック・メリスターやシャロン・マクレガー先生のように、次元の違う実力者だって居る。この国の騎士団まで範囲を広げれば尚更だ」


「う、うん……それはそうだと思うけど……」


「強くなる事が楽しいとか、大切な特定の誰かを守りたいと言うならまだ理解できる。でも、キミの言い方だと、まるでこの世に存在する全ての危険から、全ての人を守らなくてはならないと考えているように感じるんだが、それは僕の気のせいだろうか?」


 アークは一瞬ぽかんとしたけど、僕の言葉を否定する言葉がその口から語られる事は無かった。たぶん、本人もよく分かっていないんだろうけどね。


「でも、予言だと、僕自身が危険な目に遭うらしいし……」


「予言とは避けられるものだ。既に決まり切っていて、対処のしようが無いなら、そもそも予言の意味なんて無いよ。キミの性格から考えて、その危険とは、キミが自ら飛び込む危険じゃないかな? 近づかないようにしていれば避けられる危険のような気がしてならないね、僕は」


 原作知識を予言と同じ扱いにして良いのか分からないけどね。その対処の内容が、より強くなる事、という意味では全く間違ってはいないのだろうけどさ。


「僕はね、アーク、努力をしないとは言わない。今までだって、僕なりに努力はしてきたつもりだ。でもね、アーク、僕は人並み以上に努力してまで、人並み以上に報われたいとは思っていない。僕は身の丈に合った努力をして、身の丈に合った幸福を掴めればそれでいい。それが普通の人間の考え方なんだ。キミの考えは普通じゃないよ。あまり他人に押し付けようとしないでくれたまえ」


 誰もがアークのようになれる訳じゃない。キミらはね、逸般人なんだよ。普通の人間にはついて行けないんだ。


 僕から苦言を弄されて、アークは「がーん」と落ち込んだ様子を見せてから、頭を抱えて何かに悩み始めてしまった。普通じゃないと言われたのがよほど精神的ダメージだったみたいだね。


 本当にね、アーク。キミはもう少し、色々と考えた方がいいと僕は思うよ。どうやったら紙を切り裂けるかばかり考えるんじゃなくって、もっと色々とね。

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