第56話 SIDEカレン

 人の数倍はある巨躯に鷲頭に馬の胴といった見た目のヒポグリフは、今日戦ってきたどんなモンスターよりも、一目でレベルが違うと思い知らされるだけの異様を誇っていた。


 感じ取れる魔力からして、今日目にしてきた他のモンスター達とは次元が違う。このキャレル山のボスとして認識されているだけはあった。


「ぼーっとしてると食われるぞ」


 ロックの言葉のおかげで凍り付いていた意識をはっと取り戻したあたしは、凄まじいスピードで滑空してくるヒポグリフの体当たりを辛うじて避ける事が出来た。


 更にその動作の中で、反射的に魔法を放っていた。


「ラナ・ボルト!」


 ロックの影響で、比較的どんな場所でも余計な被害を生まずに使いやすい、対単体用の雷撃魔法。


 この魔法を咄嗟に選んだのも、また咄嗟に無意識の内に反撃できていたのも、全てロックとの訓練で涙目になりながら、条件反射になるまで叩き込まれていたおかげだ。


「ぎゃぉっ!?」


 ヒポグリフは悲鳴のような鳴き声を発したけど、動きを止めずに即座に反転し、あたしの方へと再び飛び掛かってきた。


「くっ」


 大技で一気に勝負を決めてしまおうと組み上げていた大魔法をキャンセルし、あたしはヒポグリフの体当たりを避けたけど、今度は反撃できなかった。


 フィジカル系魔法は単純に威力を上げれば上げただけ効果を持つのに対して、エレメント系の魔法は結構融通が利かない。


 イメージとしては、まず使用する予定の魔法という枠を決め、そこに魔力を満たし、一気に全てを解放する感じだろうか。その枠に少しでも魔力が足りなければ発動しないし、逆に多すぎても発動しない。使用予定の魔法の魔力よりも弱い魔法に咄嗟に切り替えてけん制すると言った使い方は出来ないのだ。


 この制約自体はエレメンタリストにとってはそう難しいものではなく、割とすぐに慣れるんだけど、この制約に縛られながら命懸けの実戦をこなすというのは本当に難しい。


 ロックと訓練するようになって、あたしはこの事実を初めて認識した。


 それまでは単純に、敵を一撃で倒せる大魔法さえあれば問題無いと考えていたけど、実戦でそれは、まずは『大魔法一撃で倒せる状況』を構築しなければならないのだという前提が存在するのだと、あたしは全く理解していなかったのだ。


 もし、魔法の効果範囲に他の人が居たら?


 そしてもし、敵が大魔法を構築できるほどの猶予を与えてくれなかったら?


 その後者における解答が現在の状況だった。


 ヒポグリフの移動速度が速すぎて、あたしには大魔法を成立させるための余裕が全く生み出せず、ひたすら避けながら、たまに小魔法でけん制するくらいしか出来ていない。


 でも、最初の一発以来、ヒポグリフからは叫び声の一つも聞こえないし……


「全く効いてない訳じゃない。そいつが我慢してるだけだ」


 あたしの思考を読み取ったらしいロックの声がどこかから聞こえて来た。


 声の方を視線で辿ると、いつの間にか岩山の上で、片膝を立てて座り込んで、その膝に肘をのせてリラックスした様子でこちらを眺めている。


 すると、ヒポグリフもロックの方を見たんだけど、それはまるで「もう一人居たのか!?」といった風に、あたしには見て取れた。


 即座にヒポグリフはあたしからロックへと標的を替えて、彼の方へと突撃していった。


 けれども……


 ロックの眼差しが急激に険を帯び、遠くのあたしにまで感じられるくらいに、雰囲気が異様な重さと冷たさを纏った。


 途端にヒポグリフは翼を羽ばたかせて急停車し、恐れるように四肢を一歩ずつ後退させていく。


「あんたの相手はあっちだ。見逃してやるから、行け」


「ひひぃーん!」


 ロックがあたしを指で刺しながら言うと、あたかも悲鳴を思わせるような情けなさすら感じさせる叫び声を上げながら、ヒポグリフは再びあたしへと襲い掛かってきた。


 ……ロックぅ、あなたって本当に……何て言うか……ええ? 何それ、嘘でしょ……。


 とあたしがドン引きしている間にヒポグリフが襲ってきて、あたしはツッコミを入れている余裕も無くなり、強制的に戦闘に意識を持って行かれてしまう。


 その間にも、ロック先生による対強モンスター戦の心得があたしの耳に届いてくる。


「そいつクラスになると知能は人間並みになってくる。人間で言えば、最初の一撃は油断しているところに不意打ちが決まってしまったようなもの。攻撃に対して意識出来ていない時に不意打ちで食らうのと、心構えが出来た状態で食らうのとでは、ダメージが全く違う。それはモンスターにとっても同じだ」


「ラナ・ボルト!」


「無論、心構えが出来ていようがいまいが、致死クリティカルの威力まで耐えられてしまう訳ではないが、今のあんたにヒポグリフを一撃で倒せるだけの魔法を戦闘中に構築するのは不可能」


「ラナ・ボルトぉっ!」


「ならどうすれば良いか? 一つは、大魔法を構築するための条件を整える。だがこれは極めて難しい。簡単にそれが出来るなら、とっくに出来ている」


「ラナ・ボルトぉおおお!」


「もう一つは、ひたすらちまちまと削って行く事だ。今のあんたに出来る事はそれだけだが、無理やり余裕を作り出そうとするなら多少の賭けに出なければならないし、ちまちま削るのが一番確実で安全だ。そのためには決して集中力を途切れさせない事だな」


「分かってるなら話し掛けないでぇええええええええええ!!」


 ヒポグリフの体当たりを避けながら、あたしは絶叫していた。










「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 既に死に体となって地面に崩れ落ちている、体のあちこちが焼け焦げたヒポグリフを目の前にして、あたしは膝に両手をついて息を整えていた。


 どのくらい戦っていたのだろう。体感では10時間くらい戦っていた気がするけど、落ちかけだった太陽もまだ見えるから、実際には数十分程度なのだと思う。


 けれども、本当に命懸けの実戦というのは、それだけ集中力と体力を消耗させるのだと、あたしは初めて、真の意味で理解出来た気がする。


 たった一戦。ヒポグリフに遭遇するまでに二桁近い回数モンスターに遭遇して、二桁以上の数を倒してきたはずなのに、その全てをたったの一戦で上回る消耗を強いられた。


 今からもう一度ヒポグリフと戦えと言われたら、きっと文字通り死ねる。


 死闘を繰り広げたヒポグリフが、地面に寝転がりながらあたしを見上げている。


 悔しそうで、悲しそう。でも、決して媚びる気は無いという気高さを思わせる瞳だった。


「弱肉強食が自然界の掟だ。他者を犠牲にして平然としている腐った人間のように、自分だけは特別で例外だと驕ったりはしない。苦しませるよりも、ひと息に楽にしてやるのが礼儀だと思え」


 いつの間にかあたし達の側まで来ていたロックが、あたしの内心を読み取って、淡々とそう言った。


 その言葉を理解できた訳でもないはずなのに、ヒポグリフは静かに瞳を閉じる。


「ブレイズ・アッシュ!」


 あたしの手のひらから生まれた特大の炎に身を包まれたヒポグリフが、魔力の粒子となって自然界に還って行った。


 それを見届けたあたしは、ぺたりとその場で座り込んでしまう。


「はぁ……疲れたわ」


「本来のあんたの実力なら、もうワンランク上でも勝てるはずだ」


「それは絶対嘘でしょ……」


「結果的に一撃も食らわずに倒せている。それだけ余裕の有る戦闘だったという証だ」


 そうとも言えるのかしら?


「今回苦戦したのは、『負けたら本当に死ぬかもしれない』という緊張感のせいだ。その緊張感を忘れてしまうのは逆に危険だが、緊張感に支配されてしまっては本来の実力を発揮しきれない。こればかりは俺との模擬戦では養えないからな」


 確かにね。ヒポグリフよりロックの方が絶対に強い。それはもう比較するのも馬鹿らしいくらいに強い。


 でも、普段のロックとの模擬戦では、あたしはもっと長時間戦えている。それはロックが手加減してくれているからと言うのもあるんだろうけど、今回のヒポグリフ戦は、その緊張感があたしの体力を余計に消耗させたんだと思う。


「いい経験になったわ」


「結構。なら帰るか」


「ちょっと休憩させて」


「今頑張るのと、モンスターや虫に怯えながら一晩明かすのと、どちらが好みだ?」


 思い出したわ! 虫は嫌ぁっ!


「帰る!」










 こうしてあたしの初めての実戦体験は無事に終わりを告げた。


 行きと同じく、帰りも森の中ではロックにお姫様抱っこされて楽できたけど、疲労困憊なあたしの頭には、この機会に少しでも二人の仲を進展させようとしていた事など既に無く、翌日に自分の部屋で目を覚ましてから、「勿体ない事したぁ……」と嘆くのだった。

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