第41話

 立会人の教師が去り、俺がアークに向けて深く頭を下げると、アークは混乱してしまったようだった。


 決闘の終わりを見届けたカレンも、エミリアを引き連れてやって来て、更にその二人からも謝罪と共に深々と頭を下げられると、いよいよ混乱も極まった様子で目を回し始めた。


 しばらくし、落ち着いたアークに事情を話すと、アークは案外あっさりと納得した様子を見せてくれる。


 もっとも、魔王云々は何とも言えない部分もあるし、世界の命運はお前に懸かっているといきなり言われても流石に受け入れ難いだろうと考え、いずれ大きな事件に巻き込まれて、強敵と命懸けで戦う運命にあり、それを生き残るために俺との諍いやシャロンの指導が必要だとお告げが出ていた、というだけに留まったが。


「ああ……だから何だかずっと違和感あったんだね。その意味が分からない僕って、やっぱり頭悪いんだなぁ……」


 と落ち込んでしまうアークに、エミリアが困ったような、それでいて優しげな顔で、アークの頭を撫でる。


「そんな落ち込まないで。こう言ったらあれだけど、アーク君は騙されてた訳だし」


「でも、エミリアさんは分かってたんでしょ?」


「私は……その、ちょっと特別だから……」


「どういう意味?」


 アークの純粋な疑問の眼差しに、少し怯んだ様子を見せるエミリアだったが、彼女は俺やカレン、そしてアークの間で何度か視線を行ったり来たりさせた後、何か意を決した表情でおもむろに口を開く。


「お友達の皆さんを信用してお話します。気持ち悪がられるから、あまり人には話さないんですけど、私って昔から、他人が私に向けている感情が何となく分かっちゃうんです。具体的に何を考えてるのかって事まで読み取れちゃう訳じゃないんですけど……」


 やっぱり気持ち悪いですよね、と俺達全員を控えめに、かつ探るように見渡してくるエミリアに対する反応はそれぞれで、アークはよく分かっていない様子で不思議そうに首を傾げるだけだったが、カレンは戸惑いの様子を露にし、そして俺はエミリアの告白とカレンの反応を見た事で、深く思考の底に沈んでいった。


「なるほど……そういう事なら可能性としてはそちらの方が……それならアークの方も……」


 一番側に居たカレンだけが、俺が自分でも気づかない内に漏れ出していた声が聞こえていたらしく、訝しげに俺を見て来た。


「やっぱり……気持ち悪いですよね」


「そんな事ないわ!」


 悲しそうな愛想笑いを浮かべるエミリアに、カレンが慌てて俺から視線を外し、エミリアを見つめながら否定した。


「そうだよ。エミリアさんは良い人だよ」


「そうだな。至って普通の、善良で可愛らしいお嬢さんだ」


 俺やアークもそう言って笑うと、エミリアは安心できたらしく、自然と笑顔になっていた。


「改めてアーク。こちらの勝手な都合で振り回し、暴力を振るって悪かった」


「ロックは悪くないのよ! 全部、予言を受けたあたしが頼んだ事なの、本当にごめんなさい!」


 俺が再度、アークに向けて頭を下げると、カレンが庇うようにして俺の前に立って、更に深々と頭を下げた。


「僕が強くならないと、僕が死んじゃうからした事なんだよね? ちょっと信じ切れない部分があるのは本当だけど……カレンさんは悪い人じゃないと思うから、もういいって。それにロックも……悪い人じゃないって、本気で戦ってみたら何となく分かったから」


「そうは言っても、あんたから見れば理不尽に殴られたのも事実だろう。禊に、俺を好きなだけ殴ってくれて良いんだぞ?」


「殴るならあたしに!」


 今度こそ全身で俺を背にしてぐいぐいと押しやるようにするカレンに、アークは困ったように笑う。


「無抵抗な女性を殴るなんて出来ないよ。っていうか、男だって殴れないよ、僕は」


「なら、何かして欲しい事があったら遠慮なく言ってくれ」


「それじゃ、僕の訓練にロックも付き合ってよ。マクレガー先生も仕事で忙しいから、二日に一回しか訓練付けてくれなくって、最近は少し物足りないなって思ってたからさ」


 合間の日に訓練を付けてくれという事かと理解し、構わないと頷こうとする前に、エミリアが困ったような顔でアークに物申す。


「あのさ、アーク君。ロックさんもカレンさんも貴族様なんだから、いくら同級生だからって、タメ口は駄目だと思うの」


「え? 駄目なの?」


「別に俺は構わないが。カレンもそうだろ?」


「うん、気にしないわよ」


「お二人とも、アーク君を甘やかさないで下さい」


 エミリアは真面目くさった顔で俺達に苦言を呈すと、アークに向かってお説教を開始する。


「ロックさん達は良い貴族様だから何にも言わないけど、人によっては凄く面倒な事になると思うの」


 それからも、丁度いい機会だからと、前々から思っていたというアークの常識外れの言動を延々と諭していくエミリア。


 聞いているアークの方が最初こそ戸惑っていたが、段々と頭の中が飽和してきたらしく、目をくるくると回し始めてしまった。


 その二人の様子を微笑ましげに見ているカレンに、俺はこっそりと耳打ちする。


「少し質問がある」


「何かしら?」


「エミリアの感覚、特殊能力と言って良いか。それは原作の記述には当然無かったんだな?」


 だから、聞いた瞬間のカレンは大きく戸惑ったのだろう。


「うん……けど、気のせいじゃないかしら? 少し他人よりも感覚が鋭いって事は間違いないんだろうけど、本人がそれを特別な力だって思い込んでるってだけで」


「いや、おそらく本当だと俺は思う」


 この世界の一般的な人間の倫理観は文明レベル相応だ、と俺が以前にカレンに言い聞かせた事は、彼女自身も忘れてはいないだろう。


 文明レベルが即座に一般人の倫理観の有無に繋がる訳ではないが、治安を維持すべき機構がどれだけ正常かつ有能に機能しているかが、基本的には治安の良さに比例するのは間違いない。この世界のそれは、まあお察しである。


 そんな世界で、エミリアほど純粋で美しい娘が、この年齢まで純潔を保てているのは、ハッキリ言って奇跡に等しい。元々は純真無垢な少女だったとしても、普通ならとっくに男から口にするのも憚られる目にあっていておかしくないし、それを機に男に対する警戒心が人一倍に強い娘になっていただろう。


 俺がそう伝えると、俺の話の内容に女として気分を悪くした様子のカレンだったが、俺は気にせず続ける。


「ならどうすればエミリアが純潔を保てるか? 簡単だ、そういう欲望を抱いている男には近づかないように、または近づいてきたなら自然と警戒心を持てるようになれば、少なからずマシにはなる」


「まさか……」


「そうだ。純真で美しい容姿をしたエミリアに原作通り戦闘力を持たせず、自然と原作開始まで純潔を保てるようになるには、うってつけの能力だ。それでいて、あんたがそう思ったように、少し他人よりも感覚が鋭いという程度の話で済む程度の能力でもある」


 つまり、原作の記述を成立させるために、無理やり与えられた能力という訳だ。


「アークの常識外れな戦闘センスもそうかもしれない。原作では模擬戦を繰り返すだけでどんどん強くなったそうだが、俺の正直な本音を言わせてもらえば、それだけであそこまで正統的に強くなれるとは、なかなか考えづらい」


 原作通りの訓練で、原作通りの実力を身につけていくために、アークに与えられた特別な才能。まあ、これに関してはそう考えるのが自然というよりも、そう考える事もできる、というだけだがな。


 しかし、エミリア特有の感覚に関しては間違いなくそうだと俺は考える。


「でも、それに何の意味が……?」


「分からん、現状ではな。案外、それ自体には大した意味もなく、ただ単に原作の記述を成立させるための一環として与えられているだけ、という可能性もある」


 結果的に、その余計に与えられた感覚によって、俺とカレンの企みに気付いてしまう程の鋭さまで宿ってしまったのではないだろうか?


 俺がエミリアをナンパしたり、アークを叩きのめしたりといった、目に見える事実よりも、生まれながらに付き合い続けてきた自分自身の感覚の方が信用できるから、エミリアはそこから真実を逆算したのではないか?


 まあ、だから何だって話でもあるのだがな。俺の考えが合っていて、原作の記述を成立させるためにその特殊能力がエミリアに与えられていたからと言って、それが何か重要な意味を持つのかは、先程も言ったように、現状では俺にもさっぱり分からん。本当に案外、大した意味なんて無い可能性も高いと思う。


 と、俺が考えにふけっている間に、エミリアによるアークの教育という名のお説教も終わったようだ。


 そして、俺達は揃ってコロシアムを出て行こうとしたその時。


「茶番は終わりだぁあああああああああ!」


 知った声が俺達が向かうコロシアムの出口の正反対からと轟き渡って来た事で、俺達は一斉に振り向いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る