第36話

 カレンの親父さんとの接触があった日の放課後、いつもの訓練と言う名のシゴキを終えたカレンは、いつもなら、体の傷は癒されても、心の方は精魂尽き果てた様子で重い体を引きずるようにして帰宅するところを、帰る前に相談があると言って俺を引き留めてきた。


 それならと、疲れているだろうから草の上に座らせて、俺も彼女と向かい合うように地面に座る。


「その、ね……実は……」


 先日のエミリアの時の焼き直しかのように、気まずそうな顔で言われた内容に俺は少なからぬショックを受けてしまった。


 相談の内容は、原作で俺がアークに倒されるイベントが、正確なタイミングこそ分からないものの、そろそろ、というか下手すると既に過ぎ去っている可能性すらあるという物だったのだ。


「原作の俺はそんなに弱かったのか……」


 かなりショックだった。いくらアークに常識はずれとも言える桁違いの才能があるとは言え、たった数十日で追い抜かれてしまう程、原作の俺は弱かったのか……。


「舐めプしてたのもあるとは思うけど……」


「なめぷ? とはどんな意味の言葉だ?」


「舐めたプレイの略。油断して相手を無駄に嬲って優越感に浸るような行為をしていたら、スキを突かれて本来なら勝てる相手にも負けちゃうこと、って感じの意味かしら」


 その状況を頭の中で考える。


 原作では火と光を主に使用していたという俺ことリンドロック・メイスター。おそらく高い基礎熟練度を誇る属性をそのまま使っていたのだろう。その力を伸ばす事もしていなかったとしたら、威力は精々が、あの時の実習で鉄人形を破壊するので関の山だったであろう。


 前回、俺がアークをボコった時は、奴はまだ身体強化と身体硬化の併用は出来ない様子だったが、それが可能になっていたとする。身体強化と身体硬化は一応別の属性だが、基本的に身体強化持ちは身体硬化も同時に持っている事が多いし、その際の基礎熟練度も大体が同等と言われる。どんな因果関係があるかは知らんがな。


 その上で、前回に戦った時のアークの身体強化の基礎熟練度から逆算し……原作の俺が基礎熟練度から殆どレベルを上げていなかったとしたら、持ち前の根性で俺の攻撃を耐えきったアークに接近されて一撃でアウト……ありえない話ではない。


 だが原作の俺よ……酷すぎるだろう。


 額を手のひらで押さえる俺を、カレンの空虚な愛想笑いが見つめている。


「……まあいい。俺には関係ない事だ。それで、原作ではエミリアを人質にして決闘を成立させるんだったな?」


「うん」


「負けろ、じゃなくてだな?」


「原作ではお互いの退学を賭けて決闘する事になるけど、そこに関しては、原作のリンドロック・メイスターは、自分が負けるなんて頭から考えてなかったんだと思うわ」


「なるほど。なら今回も退学を賭けるか?」


「……あなたに退学になって欲しくないわ」


 嬉しい事を言ってくれる。


「そんなに俺と一緒に居たいのか?」


 からかうように俺が言うと、途端に瞬間湯沸かし器カレンの出来上がりだったが、今日の彼女は今までとは違い、即座に否定の言葉を吐き散らすのではなく、しかし慌てるのでもなく、静かに顔を俯かせながら、小さな声で言う。


「その……せめてアークとの決闘が終わるまで、そういう話は……」


 カレンはどうやら俺とアークの事で責任を感じているようだし、不器用なこの女ではそこが解決しない事には始まらないようだなと、俺も納得した。


「なら、その時を楽しみにしておくとする」


 ほっとした様子でひと息ついたカレンを見ながら、さてどうしたものかと俺は真面目に考える。


「あんたを理由にして、二度と近づかないってのを賭けの対象にするのは弱そうだな」


「どうしてかしら?」


「クラスメイトだぞ。それこそ退学にでもしなければ、アークの目の届かない場所で日常的に一緒になるのに、無理があるだろう」


 それもそうかと納得顔のカレンに、俺は一つ提案する。


「エミリアに頼むしかないかね」


 つまり、原作通りの流れだ。


「待って!」


 唐突な大声に、俺は少し驚いた。微かに目を見開いてカレンを見ていると、彼女は視線を俯けながら言う。


「その……今更と思われるだろうけど、あなたが悪者にならずに済む方法は何かないかしら?」


「本当に今更だな」


 無くはないが……どれも凄まじく面倒くさい方法ばかりだ。そんな手段を選ぶくらいなら、俺が悪者になって済む話なら、その方が俺は楽だ。魔法学院での俺がどう思われようが、ハッキリ言って興味は無い。


 そう伝えると、カレンは短く「そう……」と零してからは、同じ話を蒸し返す事は無かったが……どうしたもんかな。


 どうやら、だけじゃなさそうだな、これは。適当にさよならするつもりだった当初に、好きにさせようと放置し過ぎたかな。このままじゃ潰れかねないか?










 翌日、あちらも放課後の訓練が終わった後、平民女子寮に戻って来る途中のエミリアを俺達は捕まえて話をする。


「えーっと……つまり、ロックさんが私に嫌な事をする場面をアーク君に目撃させて、二度と近づかないという約束を賭けの対象にして、アーク君と決闘したい、という事ですね?」


 エミリアが俺達の提案内容を要約してくれたので、その通りと俺もカレンも揃って頷く。


 が、エミリアの表情は芳しくない。


「普通に嫌なんですけど、ロックさんと会えなくなるの、私」


「ま、まさかあなたまでロックが好きなの!?」


「いえ、お友達としてですけど」


 ほっとした様子を見せるカレンを、エミリアの微笑ましげな眼差しが見つめている。


 ……前世持ちのカレンよりも、エミリアの方が中身は大人っぽいなと思った俺が居たが、黙っておこう。


「単純にロックさんがアーク君に決闘を挑むだけじゃいけないんですか?」


「確証がある訳じゃないが、アークはおそらく、試合程度の意気込みでは、相手を本気で傷付ける事は到底できないと俺は見る。アークには本気で、最悪殺してでも俺を倒すんだというくらいの意気込みで掛かって来てもらわなければ困るんだ。だが安心しろ、俺のプライドに懸けて、アークを殺したりする事は絶対に無いと約束する」


 少し難しい顔で黙り込んだエミリアは、更に少し考えた様子を見せた後、何かを思いついたような顔で俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。


「なら、決闘の後、真実をアーク君に全て話していいとお約束して頂けるなら、受けてもいいです」


 俺とカレンはその提案に一度互いに顔を合わせて、どうするかと視線で語り合う。


 アーク成長フラグにおいて、どうやって解決すればいいのか現状ではまだ想定がつかない魔族の件を除いてしまえば、俺が関わるのはそこで終わりだから問題ないだろうと俺が考えると、彼女も同じ事を考えたのか、一つ頷いてくれたので、俺は改めてエミリアに視線を移す。


「それで構わないが……どうしてそこまで俺に気を遣うんだ?」


 根本的に風来坊気質の俺は、別に他人からどう思われようが気にしないのだがな。


「ロックさんは絶対に良い人なのに、勘違いしている人が居る事はとても悲しいです。それがお友達のアーク君なら尚更です」


 本当に善良なお嬢さんなのだろうな、このエミリアは。


 俺は善良な人間が好きだ。普通でいい、普通に善良ならそれだけで充分だ。前世の俺の親族や、今生の俺の家族達のような、他者を物としてしか見なさないような連中ではなく、こういう人間には幸せになってもらいたいと心から思う。


 いずれエミリアが何か不幸な目にあうような事があったら、色々と迷惑を掛けてしまった彼女のためなら、何でもしてやろうと俺は黙って誓いを立てた。


「でも、それはそれとして、協力するお礼は欲しいですね」


 にっこりとした満面の笑みで言ってくるエミリアには、既に何か要求したい物があるらしいな。


「何が望みだ?」


「城下町に、とっても美味しいスイーツのお店があるらしいんですけど、貴族御用達のお店で、魔法学院の生徒なら平民でも制服で行けば入れるらしいんですけど、私なんかじゃ手の届かないお値段なんですよね」


「食べ放題でどうだ?」


「女の子の甘い物は別腹ってご存知ですか? そんな事を仰って、後悔しても知りませんよ?」


 笑顔をいたずらっぽく変化させて言ってくるエミリアだったが、後悔させられるものなら、是非ともやってみて欲しいものだと、俺は逆に挑戦的な笑みで応じる。


「俺が自由に出来る金額をそこらの貴族子女と一緒にしないでもらおうか。店の商品を食べ尽くしてくれて構わないとも」


 そのセリフと共にエミリアの表情が少し驚いた様子を見せると、彼女はすーっとカレンに視線を移して言う。


「やっぱりロックさんの事、本気で狙ってもいいですか?」


「だ、ダメ!」


 エミリアの真面目極まりない目つきに本気を感じ取ったのか、カレンがエミリアから俺を守るようにして、俺とエミリアの間に立ち塞がった。


 その様子を見たエミリアのくすくすとした笑い声が聞こえてくる。


「冗談です。カレンさん、可愛いですね」


「からかうと面白いよな、と俺も最近思うようになってきたところだ」


「なぁっ……!?」


 俺とエミリアが楽しそうに同意を示していると、絶句したカレンの真っ赤な顔がどうしても可愛らしいとしか感じられない俺とエミリアが居た。

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