第35話

 カレンがエミリアを伴って相談に来た日から数日後、一人で学院の廊下を歩いていると、向こうから一人の成人男性が歩いて来るのが目に入った。


 未だに一度も直接会話を交わしていない、入学式の時に見た、カレンの実父にして学院長である、ファルネシア侯爵だった。


「まあ、ちょっと待ちたまえよ、メリスター君……って、あれ?」


 特に話す事も無いので、軽く礼をして彼の横を通り過ぎようとすると、不意に俺の体に向けて手が伸びてくる気配を感じ、反射的に振り向く仕草の中で避けていた。


 ファルネシア侯爵は手を差し出したまま、感心しつつ、何かに納得したような顔をしている。


「……なるほど。色々な意味で凄く鍛えられてるみたいだね。まるでシャロン君みたいだ」


「ご無礼致しました、閣下」


 俺が深く頭を下げると、ファルネシア侯爵は俺の肩を改めて軽く叩きながら、気さくかつ朗らかな様子で笑っているようだ。


「ちょっと話があるから、一緒に来てくれるかい?」


「……かしこまりました」


 逆らわなきゃならない理由も特に無いからな。素直に黙ってついて行くと、学院長室に連れ込まれた。その間は一切会話も無かったが、別に重苦しい雰囲気があった訳でもない。


 ファルネシア侯爵がテーブルを挟んで対面のソファに俺に座るように促してきたので、感謝の意を述べてから俺がそうすると、彼自身はお茶の用意をするつもりのようで、すぐには座らなかった。


 招かれた俺がやるというのも変な話なので、黙って待っていると、彼は俺の前にティーカップを置いてから、自分も改めて俺の対面のソファに座り、おもむろに口を開く。


「うちの娘と仲良くしてくれてありがとう」


「閣下に礼を述べられる意味が分かりませんが」


「そんな堅苦しく呼ばないで、是非ともお義父さんと呼んでくれて構わないんだよ?」


「……私のような一介の平民を、そんな容易に受け入れられる、と?」


「あの子に無理やり不本意な結婚をさせようとしても、二度と戻らない家出をするか、最悪自殺しかねないからね。あの子には無理だろう。そのリスクを負ってまで政略結婚させるくらいなら、自由に生きて欲しいと思っているよ」


 それに、とファルネシア侯爵は意味深に続ける。


「平民を迎えると多少は陰口も叩かれるけど、それでキミが手に入るなら安いと思うからね」


「……私は貴族として生きるつもりはありません」


「いいよ、別に、それで。あの子の兄二人は優秀だから、キミに政治的な動きをしてもらわなくても、うちは間に合ってる。確かにキミは幼い頃から、自らの非常に優秀な頭脳を示していたようだけど、政治的な動きが出来るかは、また話が別だ。それよりも私が欲しいのは、キミのその力だよ」


「…………」


 俺が答えを躊躇っていると、ファルネシア侯爵は意味深に口の端を微かに持ち上げる。


「シャレイル盗賊団、当然キミは知っているよね?」


 それか、と俺は顔には出さないように気を付けながらも、心の中で眉をしかめる。


「お隣のイステリア王国で暴れ回っていた大盗賊団。親分のシャレイルは元シルバー級の冒険者で、殺人罪で資格を剥奪されて犯罪者に身を落としていたけど、上手い具合に立ち回って、討伐前に大盗賊団を結成して暴れ回っていた。当然、冒険者ギルドが対処しなければならなかったのだが、あまりにも凶悪で、シャレイル本人のゴールド級に匹敵するか、あるいはそれ以上とも言われる実力もさることながら、腕の立つ犯罪者の魔法使いを複数人囲っていたせいで、冒険者ギルドだけでの対処は難しいと判断され、近々イステリアの近衛騎士団に話が回るんじゃないかと、シャレイルの被害に遭いかねない我が国では噂されていたが、イステリアの冒険者ギルドが威信を懸けて放った乾坤一擲の冒険者集団によって壊滅する事となった」


 ファルネシア侯爵が言った内容は表向き明らかにされている情報だ。別に間違っている訳でも、裏の事情がある訳でもないのだが、詳細な真実は一般的には知られていない……はずだったのだが、この分だと知られていると見た方がいいな。まあ、ファルネシア侯爵が冒険者ギルドにその情報を求めれば、ギルド側もわざわざ隠し立てするはずがないか。


「が、この話には、わざわざ世間に知らせる必要が無かった真実があるよね?」


 やはり知られているようだな。


「イステリアの近衛騎士団ならもちろん討伐できただろう」


 それはそうだろう。対人戦のプロフェッショナル集団が近衛騎士団だ。命令一つで即応させられる対人戦特化の魔法使いの絶対数がまず違う。その点は冒険者ギルドでは絶対に及ばない。


「だが、シャレイル盗賊団を壊滅させてしまうような使い手は、イステリアにはもちろん、我が国にだって存在しないだろう」


「シャレイル盗賊団は冒険者ギルドが組織した冒険者集団が討伐したはずですが」


「無駄だと理解していながら言う気持ちって、どう?」


「…………」


 意地の悪い笑みを浮かべるファルネシア侯爵に、俺は黙るしかなかった。


「その冒険者集団の中にキミは居た。そして、その時に組織された冒険者集団はランク持ちだけで構成されてこそいたが、キミ以外はエレメンタリストも含めて、対人戦には不慣れな連中ばかりで、大して使えなかったそうだね」


 仕方ないのだ。緊急性を要される中で、ギルドの力だけで対人戦に優れた人材のみで、そう類を見ない規模にまで成長してしまった犯罪者集団に対抗できる人員を確保するのは極めて困難なのだ。


「結果、キミが殆ど一人で討伐したとか。少なくとも8割はキミの功績だそうだね。指揮者兼監督官だった人物曰く、キミ一人で討伐させた方が早そうだった、とか?」


 信じがたい成果だ、と嬉しそうに手を叩きながら笑うファルネシア侯爵。


「我が国最強の使い手である将軍なら、あるいは可能かもしれないけどね、そんなリスクを負わせる意味が無い。どうやったのかは敢えて問わない。詳細は聞いているけど、実際に何が起こっていたのかは、ギルドの監督官だった人物にも理解できなかったそうだしね。そして結果として、キミはゴールド級に昇格した。当時わずか14歳でね」


 その通りですよ、閣下……と俺は心の中で不貞腐れながら答えていた。


「私が欲しいのは、キミのその力だ」


「閣下。私がこの力を他人に教える際は、明確な線引きをしています」


「聞かせてもらえるかな」


 俺が視線を幾分鋭くして見つめると、ファルネシア侯爵は真面目な顔になって頷いた。


「私の魔法は非常に複雑なので容易に他人が真似できる物ではありませんが、強力で、そして残酷な事すら可能とします。この魔法は、具体的に起こす現象を指定できなければ何の意味も無く、理論を知っているだけでは何の意味もありませんが、逆に理論を知らなくても、起こす現象の具体的な指定さえできれば効果は発揮されます。よって、その基礎的な理論だけなら他者に伝える事を私は辛うじて許容していますが、軽々に全てを明かす事は禁じていますし、理論を伝えるとしても、信頼できる相手にしかしたくありません」


 ファルネシア侯爵は黙って一つ頷いた。


「いいよ、それで。そもそも私はね、キミの魔法の全てを教えてくれと言ってる訳ではない」


「では、どういう意味でしょう?」


「有事の際には冒険者ギルドを通じて依頼という形で連絡を取るから、何かあったら手を貸して欲しい。それだけだよ」


「……では、カレンが俺について来ても構わない、と?」


「やはり聡明だね。その通り」


 暗に示された内容を俺が理解した事で、ファルネシア侯爵は満足げな顔をしたが……ここは話半分で受け取っておいた方がよさそうだな。


「キミがあの子を鍛えているのも、そのつもりがあるからだろう?」


「やはり、あの連中は閣下の差し金でしたか」


 学院の外に向かおうとすると、常に感じていた他人の視線の正体。おそらくそうだろうとは思っていたので放って置いたが、やはりファルネシア侯爵の差し金だったようだな。


「あ、気付いてた?」


「三人は」


「それで全員だよ。可愛くないね」


 ファルネシア侯爵はセリフとは裏腹に、あははと朗らかに笑う。


「あの子を実戦に出す気は無かったんだけどね。惚れた相手が冒険者じゃ仕方ない。死なないように、今の内に鍛えてあげてくれたまえ」


 と言いながら、ファルネシア侯爵が、それまでの柔らかい雰囲気を唐突に消し去ったのを俺は理解する。


「一応言っておくけど、キミのヘマで死なせたりしたら、私の全てを懸けてキミを追及するからね」


「肝に銘じておきますよ」


 俺は躊躇いなく答えていた。言われるまでもない、当たり前だろうが。


 ファルネシア侯爵は俺の答えに満足した様子で、すぐに笑顔に戻ってくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る