第34話

 その日、カレンと教室で会うと、彼女は気まずそうな顔で俺に話しかけてくる。


「その……お願いがあるんだけど……」


「何だ? 藪から棒に」


 今までなら、何か頼み事があっても、平然とした顔で言ってきたくせに、おかしなものだなと俺は微かに笑いながら応じた。


「実は、その、昨日の夜なんだけどね……」


 昨夜、エミリアからアーク関連の事を問い質されて誤魔化しきれず、今日俺を伴って説明するという約束をして、何とかその時は解放してもらったという事らしい。


「その……ロックの許可無く話せないから……って事にしちゃって……」


 そんな話は知らないが、誤魔化しきれずにそういう事にして、後は俺頼みにした、と。


 カレンの瞳が、ごめんなさいという謝罪の言葉を全力で物語っている。


「ごめんなさい」


 と思ったら、言葉にもされてしまった。


「これ以上あなたを頼りたくなかったんだけど……」


「そんな事か。深刻な顔をするからどんな厄介事かと思えば」


 要するに、エミリアを黙らせればいいんだろうと俺が言うと、カレンは慌てたように言う。


「権力で脅すようなマネはちょっと……」


「俺の言い方が悪かった。説得すればいいんだな?」


「そうだけど……出来るのかしら?」


「ある程度の真実を話してしまえばいい」


「え? でも……」


「もう俺を理由に一度会話を打ち切ったなら、後は俺に任せておけ」


 カレンは、うん、と小さく頷いたが、俺を信用してくれているのか、少しほっとした顔をしてくれた。










 放課後になり、いつもの野外訓練に待ち合わせしている校門の外で待っていると、カレンがエミリアを引き連れて来た。


 さっそく俺からエミリアに向けて話しかける。


「アークの件に関して、理由を話すのは構わないが、代わりに真相に関しては黙っていると約束してくれ。アークにはもちろん、他の誰に対してもだ」


「……分かりました」


 エミリアはいやにあっさりと受け入れてくれたが、こちらとしては彼女の言葉を信じるしかないな。


「予言があった」


「予言……ですか?」


 エミリアは呆気にとられたような顔で、オウム返しにその言葉を呟いた。


「そうだ。具体的な内容までは分からないが、アークには少しでも早く成長してもらわなければ、何か大変な事があるらしいんだ」


「はぁ……予言で、ですか……」


 疑わし気に繰り返すエミリア。


 隣で、「そんなんで大丈夫なのかしら?」と怪訝そうにしているカレンは見なかった事にしよう。


「どうやら、『あの夜の事』に関しては目に見える事実だけはカレンから知らされているらしいが、俺がカレンを叩きのめしていたのはあくまでも実戦訓練だし、アークに関しては予言通りに行動したにすぎない。具体的な内容までは予言には無かったが、俺がアークと敵対する事で、アークが成長するらしい事は確かのようだったからな」


 あまりにも一方的な実戦訓練の様子を見て、俺がカレンを嬲り者にしていると勘違いしたらしいアークが俺に対して挑んで来たのが真相で、予言を知っていた俺達はこれの事かと瞬時に判断して、誤解を誤解のままにした。


 そうやって、原作知識という部分を予言に置き換えて、残りは真実を話すと、エミリアは完全に納得した様子でこそないものの、その点に関しては嘘だと決めつける気も無い様子だった。


「……真実をアーク君にお話しする気は無いんですね?」


「予言を違えた結果がどうなるかも分からんしな。実際、現状は予言通り、図らずも俺とアークは敵対しただけでなく、アークには凄まじい才能があった」


 だから黙って見逃がしてくれとエミリアに告げると、彼女は渋々といった様子ながら首を縦に振った。


「分かりました。けど、もしあまりに見逃せないほど酷い事になるようでしたら、私はアーク君に真実を明かします」


「貴族の俺に逆らう気か?」


 あまり演技は得意じゃないんだ。威圧的な声を発しようかとも考えたが、片言になっては怪しまれてしまうだろうし、淡々と告げたところ、エミリアの表情を窺う限り、あまり効果は無かったようだ。向かない事をするものじゃないな。


「ロックさん達が、そんな事で私に酷い事をするとは思えません」


 強い娘だな。何を根拠にしているのか知らんが、自分の考えを曲げる気は無いようだ。


「でも、ロックさん達が何を考えていらっしゃるかは分かりました。私は引き続きアーク君の修行のお手伝いをすれば良いんですね?」


「そうしてくれると助かるが、学院の教師にも回復魔法の使い手は居るし、無理に付き合わなくても良いんだぞ?」


「ドレッド君とアッシュ君を黙らせてくれたお礼です。カレンさんは否定してましたけど、ロックさんが何かしてくれたんですよね?」


「俺も特に覚えは無いが……」


 あるとしたら、あの夜の出来事が切っ掛けだろう。それ以来、特に接点も無い。


 あの時は極めつけに気分が悪いところに、見たくもない顔を見せられた挙句、分を弁えない挑発的な態度を取られてしまい、大人げなくも軽くキレてしまったからな。俺がキレると玄人でもかなり怖く感じるらしいから、素人同然なあの連中には刺激が強かったのだろう。


 俺を神様転生したチートとやらだと勝手に決めつけているあたり、ドレッドは思い込みが激しいようだから、俺がドレッド自身と同じように原作ヒロインによるハーレムを目指していると思い込んで、原作ヒロインの一人であるエミリアから手を引いたのだと考えたとしても、そうおかしな事ではない……かもしれない。


 アッシュに関しては今でも殆ど接点は無いのでよく分からんが、ドレッドがそう簡単に諦めるとも思えないんだがな。そうでなければあの時、コロシアムで突っかかってくる前には弁えていられたはずだ。


 しかし、なぜかエミリアは俺のおかげだと確信しているようで、勝手に納得した様子を見せると、知りたい事は知れたからと言って去って行こうとする。


 が、彼女はその直前に何かを思い出したかのように振り向く。


「初めてお会いした時の事も、予言の内容に従ってたんですよね?」


「そうだ。弄ぶようなマネをしてすまなかったな」


「今度、何かお詫びしてくださいね。それで許してあげちゃいます」


「考えておこう」


 俺が笑いながら応じると、エミリアも楽しそうな笑顔になりながら、今度こそ「お邪魔しました」と言ってから去って行った。


「よくあんな話で信じてくれたわね、エミリアは」


「平民はもとより、貴族ですら迷信を否定できるだけの知恵は無い文明レベルの住人だからな。頭から信じはしなくても、否定は出来ないと考えた」


「でも、納得させられるなら転生者だって話しちゃっても良かったかもね」


「それは無理だろう」


「え? 何でかしら?」


「魂の転生ってのは別に人類普遍の共通認識じゃない。元々は仏教的な思想で、地球でも欧州圏には無かった物だ。特にあそこら辺で幅を利かせてきた宗教は総じて魂の存在からして否定している。転生者だなんて言ったら、現代なら冗談で済むだろうが、昔なら悪魔憑き扱いされるのが落ちだろう」


「え? でも、あっちの宗教だって天国とか地獄とかあるじゃない」


「それは他に的確な単語が存在しないから同一の意味に翻訳されているだけだな。ヘブンは神や天使が住まう地で、ヘルは悪魔が住まう地。仏教観的な天国や地獄は生前の行いによって死後に人間の魂が行き着く先。内容は全くの別物だよ。この国は文明レベルの割には宗教的価値観にそこまで重きが置かれている訳じゃないが、基本的に中世ヨーロッパ的な価値観に近い住人のエミリアに言って理解できるとは思えなかったから、エミリアが納得し易いように少しだけ改竄した」


 おー、と感心しながら手を叩くカレンに、俺は少しジト目になってしまった。


「あんたはもう少し、ちゃんとこの世界の事を学ぼうな」


 うっと詰まったカレンは、誤魔化すような笑顔を浮かべる。


「す、凄い博識なのね!」


「種馬として優秀な事を望まれて、色々な分野の家庭教師と常にマンツーマンで、詰め込めるだけ詰め込み教育されたからな」


 誤魔化し方が下手すぎるだろう。


「で?」


「ごめんなさい。助かりました。日本とは違うと言う事を念頭にもっと勉強します」


 ぺこりと頭を下げるカレンに、俺はようやく軽く嘆息してから、涙目な彼女に向かって、少し笑いながら話し掛ける。


「じゃあ、あんたの憂いも晴れたところで、今日も行くか」


 途端にカレンは表情をきゅっと引き締める。


「うん」


 その返答には既にして、確かな力が籠められていた。


 面白いものだと思う。当初はこのカレンも、言っちゃ悪いが物語の登場人物として生まれ変わったという浮ついた感じは拭い切れなかったはずだ。


 よっぽど魔族の力が怖いようで、それに対抗するためなら、自分の貞操くらいは差し出すのも仕方ないと思わせるだけのものはあるようだったし、それだけ魔族の力が突出していると、少なくともカレン自身は今でも考えているらしいが、自分が犠牲になっても良いとは考えてもいなかったのは確かだろうし、自分の力で解決しなければと考えてなんていなかったのも確かだろう。


 しかし、俺に対して責任を感じた途端に、自分がやらなきゃならないという気概が生まれたらしい。


 多少考え足らずな面は否めないが、基本的には善良な人間なのだろう。それは最初から分かっていた事でもあるが。


 当初は、俺が原作から外れているせいで本当に詰んでしまったら流石に寝覚めが悪すぎるから、カレンが納得する程度に付き合って、適当にさよならするつもりだったんだがな……。


 出会ったばかりの頃は一切見られなかった、この強い輝きを秘めた翡翠色の瞳は本当に美しいと思う。しょっちゅう揺らいでしまうので、今はまだ、たまにしかお目に掛れないのが残念なところだが。


 いつか、ずっとこの強い輝きだけを見られる日が来るのだろうか?

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