第28話

「出来ません」


 実習で鉄人形を崩壊させた魔法を教えろと言われた俺は、即座にそう返していた。


「あれを教えて良いと思えるほど、俺はあなたを信頼していない」


 カレンの人格なら、いたずらにあれを世に広めたりはしないだろうと明らかだし、気軽に教えてしまったが、この世界の住人に教えて、最悪は化学兵器大戦なんて起こされちゃたまらない。


 理論を教えるだけなら、何が何でも拒否しなきゃならないって訳でもないがな。


 化学式変換魔法は、漠然と酸素のO元素を三つ足してみたらオゾンになりました、なんて融通の利く都合のいい魔法ではない。変換後の物質の化学式を正確に理解し、現在の化学式から何を足して何を引けばいいのかを一発で正確に解答に結び付けなければならない。更にはその物質がどんな性質をしているのかといった程度には明確なイメージも必要だ。


 例えば硫酸のH2SO4から炭酸水のH2CO3に変換したければ、H2SO4+C-S-Oを一撃で成立させなければならない。一度水のH2Oを介して、という手段もあるがな。何となくOを一個だけ引いてみて、そこから更にSを引いてみて、なんて方法ではどうにもならないし、「この化学式ならどんな物質が存在するのかな?」なんて漠然としたイメージでは成立しない。地球上に存在しない化学式の物質が精製できなかったのはそのせいだろう。


 しかしながら、水属性がいかに不遇だとは言え、原子や分子、そして化学式の存在はいずれ誰かが気付くだろう。それが100年後なのか1000年後なのかは分からないが、いずれはな。俺が教えてしまったとしても、その時計を速めるだけでしかないとも言える。


 危険性の高い化学式を教えさえしなければ、化学式変換の理論だけなら、俺が教えてしまったとしてもそう悪影響は無いだろう。化学兵器大戦なんて起こるとしても、まず俺が死んだ後の話だが……やはり俺がその原因になるのは寝覚めが悪すぎる。


 しかしどうする? 理論だけなら教えても……と悩んでいる間に、シャロンの表情が思案げに変わっていた。


「ふむ……では、貴様の信頼を勝ち取ればいいのだな?」


「いいんですか? お約束はしませんよ」


「あのアークという少年がどれだけの素質を秘めているかも、興味が全く無い訳でもない。貴様がそこまでする程の素質というのは確かに気になる。ひとまず一度だけは、先日私の頼みを受け入れてくれた礼もあるし、引き受けてやる。その上で継続するかを判断する」


「そこは後悔させませんよ」


「言っておくが、私が納得しなければ即座に手を引くからな。お嬢様もそれでいいな?」


「あ、ありがとうございます!」


 ぺこりと勢いよく頭を下げるカレンだった。










 シャロンは本日は都合がつかないとの事で、彼女をアークに紹介するのは明日という事になった俺達は、今日のところは大人しく引き上げる事になった。


 帰り道、しばらくはお互いに会話も無く並んで歩いていたのだが、ある時おもむろにカレンが口を開く。


「ねえ、ロック。あなたって、どれくらい強いの?」


「知らん。比較対象も居ないしな。幼い頃ならともかく、冒険者になって以降は特に苦戦した覚えも無い」


 デビューしたばかりの頃は、念のために殆ど魔法だけ対処していたので多少苦労する場面もあったが、体がある程度出来上がってきたここ1、2年は全くだ。


「シャロン先生……マクレガー先生って、作中最強だったのよね」


「ほー」


 まあ、今まで俺が出会った人物の中では間違いなく最強だろうとは思うけどな、シャロン本人も認めていたが、実際に戦っても、まともにやれば、まず負けるとは思えないので、返事は気の無い物にならざるを得なかった。


「具体的な強さとか、どうやってその強さを身に着けたのかとか、まだ正確な事情の描写はされてなかったけど、結構複雑な事情があるのは間違いないっぽい上で、主人公――アークが負けた敵でも、あっさり倒しちゃうくらいなのよ」


 アークのピンチに現れて、シャロンが代わりに倒してくれるエピソードがあったようだな。


「作中で最後にマクレガー先生本人が戦ったのは大分前だったから、その時よりは実力差も縮んでたとは思うけど、まだマクレガー先生が一番って部分に変わりは無かったと思うわ。ファンの間じゃ公式チート師匠って言われてたくらいだし」


 その人物に絶対戦いたくないと言わしめる俺の実力が気になった、というわけか。


 そう言われてもな。具体的なレベルみたいのがあるわけでもなし、相性にもよるだろう。試合ならルール、殺し合いなら環境にもよるだろうし、最強云々なんて論じるだけ無意味だと俺は思っている。


「あなたが魔王でも倒せるくらい強いなら、もう原作無視しちゃってもいいかなって思ったんだけど……」


「その魔王の具体的な力もまだ分かってないのに、尚更それは無理があるだろう」


「そうよね……きゃっ」


 悲しそうに眉を落とすカレンを見て、俺はその手を取って体ごと引き寄せ、俺の正面に顔を向けさせる。


「何を気に病んでいるかは大凡察しがつく。けどな、俺が一度引き受けた以上、そこから先は俺の責任で、あんたのせいじゃないんだ」


 依頼人が騙していたとか、大切な内容を黙っていたとかならともかく、仕事内容を理解して引き受けておきながら、途中で気分が変わったからと言って降りるような冒険者……その日暮らしで刹那的に生きるヤンキーみたいな考えを持っている冒険者も居るには居るが、普通に考えて冒険者ギルドから好まれる訳がないだろうに。


 提示された内容に従って、提示された報酬の範囲内で仕事を達成するのは、普通の冒険者から言わせれば当然の責務だ。


「でも……」


「ならせめて、あんたは笑っていてくれ。俺があんたに付き合っているのは、あんたにそんな顔をさせるためじゃない」


 俺がカレンの頬に手を添えながら意識的に柔らかく微笑むと、その頬がすぐさま熱を持ち、ぽんっと俺の胸を押す感触を得る。


「ニコポなんて流行らないわよ! バカ! 女たらし!」


 俺から顔が見えないように上半身を屈めながら、俺を罵る言葉を吐き散らしてから、女子寮の方へと走り去ってしまった。


「……冒険者にはああいうタイプ居なかったからな。いまいち付き合い方が分からないな」


 冒険者の女はガチガチな貞操観念をしている女の方が少なかった。安全マージンは取っていても、命の危険が日常に隣り合わせの冒険者は、種族維持本能が刺激されるせいなのか、男だけでなく女もその手の行為には積極的なタイプが多く、軽い肉体的接触なんかで拒否される事は尚更なかった。


 前世ではまともに接した女なんて、親族以外には家庭教師の何人かと、俺の子種を求める女しか居なかったし、カレンみたいな女は、言ってしまえば全くの未経験だ。


 冒険者として仕事を受けた依頼人とは、向こうから接触して来ない限りは完全に距離を置いていたしな。


 俺はカレンの走り去る後ろ姿を見つつ、髪をかき混ぜながら、どのくらいの距離感で接すればいいのか頭を悩ませていた。


 ところで、ニコポって何だ?


 と俺が不思議に思って首を捻っていると、カレンが走り去った勢いのままに戻って来て、俺の前で肩で大きく息をしている。


「訓練、しましょう」


「今日もか? 無理はしない方がいいぞ。いくら回復魔法で癒せるとは言っても、心身に負担は否めないだろ」


「強くなりたいの。お願い」


 その真剣な表情は、俺に拒否や説得の言葉を飲み込ませるに充分だった。


「……やるからには徹底的にやるぞ」


「望むところよ」


 強い意志の宿った瞳は、今までに自分が目にしてきた何よりも、俺にとってはとても美しく感じられた。

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