第26話 SIDEカレン

 あたしは何て我がままだったんだろう。


 何て残酷な事をロックに押し付けてしまったんだろう。


 原作を辿らなければならないからと、あたしが気軽に提案した内容を、あたしの依頼を、彼は忠実に果たそうとしてくれている。


 それがこんなにも心を押し潰さんとするほど辛い現実だったなんて、あたしはちっとも想像していなかった。


 世界の滅亡が懸かっているかもしれないのに、お前が原作通りの行動をしないから、あたしが余計な苦労をしなければならないんだと、ロックと出会う前に少しでも考えていた自分自身を殴りつけてやりたい。


 ああ、あたしはどうやってロックに償えばいいのだろう……?










 アークが現れて、何やら誤解しているようだったので、その勘違いを正そうと、両手を振って口を開こうとした時、ロックはあたしの手を取ってアークの方を向かせながら背後から抱き締めて、あたしの耳元へ囁く。


「エミリア絡みで原作通りの流れに持って行くのは既に難しそうだし、丁度いいから、ここで原作展開に持って行く。あんたは黙って見ていろ」


 そう言われて、あたしも確かにと納得して、二人が対峙するのを黙って静観する事にした。


「ところで、速攻気絶させるだけじゃ、やっぱダメだよな」


「そうね。負けて悔しいって気持ちになるようにしてもらわないと」


「イエス、依頼人様マイ・レディ


 その応じる声が、いつもよりも幾分、冷ややかな気がした。


 一度はアークをボコボコにするのは分かっていたはずなのに、何でロックがわざわざ確認して来たのか、あたしは不思議だった。


 けれども、あたしはすぐにその理由を理解する事になった。なってしまった。


 ロックがアークを叩きのめす時の顔は常のクールな様子を通り越した完全な無表情で、まるで感情を押し殺しているようにしか思えなかったのだ。


「やばい、やっちまった。何てふざけた戦闘センスしていやがるんだ。反射的に力が入り過ぎちまった」


 アークに激しい攻撃を当ててしまった途端に、自分でも予想外の行動に驚いた様子で小さく呟いた顔は、しかし苦虫を嚙み潰したようでもあり、決して本意ではないのが明らかだった。


 そして、主人公に相応しい意志の強さを見せて立ち上がるアークを見るロックの顔には、ハッキリと自分の方が苦しそうにしか思えない色を宿していた。


「いい加減不愉快なんだ、とっとと落ちろ」


 あたしと戦った時ですら手加減していたのが丸わかりの次元違いの動きを見せながら放たれた言葉は、疑うまでもなくロックの本音だったのだろう。


 お前の存在が不愉快なんだ、では決してない。


 ――こうして何の咎も無い相手を無意味にボコるのは、いい加減不愉快なんだ。


 その言葉にされなかった前半部分を、あたしは正確に感じ取らずにはいられなかった。


 意識を失って地面にうつ伏せで倒れ伏したアークを見下ろしながら、しばらくその様子をじっと観察していたロックが、不意にこちらの方を向いた事で、あたしは思わずびくっと身を竦ませてしまった。


「あ……」


「この後はどうすればいいんだ?」


 自分でも何を言おうとしたのか分からないままに口を開こうとしたあたしだったが、一瞬の躊躇いの間にロックが質問してきたので、反射的にそこへ思考を巡らせる。


 原作だと、そもそも場所も日付けも状況も違うけど、あたしの立場で庇われるのはエミリアで、この時に初めてシャロン・マクレガーが二人の前に登場する事で、エミリアとアークの二人は辛うじて事なきを得る。


 今年の一年生の平民クラスの担任教師は、自分が平民クラスを受け持つ不名誉を受けていると不満を抱いていて、何で自分が無能な平民を教えなければならないのかと忌々しく思っているタイプの教師で、アークに関しても、原作開始時点では平民クラスの中でも底辺の彼にはいっそ敵愾心すら抱いているため、丁寧な指導など望むべくもない。


 それを理解しているマクレガー先生が、原作のリンドロック・メイスターにボロボロにされても闘志を失わないアークに興味半分で放課後の指導を請け負ってくれる事になるのが原作の流れだ。


 ちなみに、平民クラスの担任教師に関してもいずれひと騒動あるのはお察しである。


「今からあの女教師にこいつの指導を押し付けられるか?」


 普通に頼んでも無理だろうと思う。原作の展開は、あくまでもマクレガー先生がアークの闘志を買ったからで、そのシーンを目にしていない彼女にお願いしても、馬鹿な事を言うなで終わってしまう可能性が高いと思う。


「あたしが教えるしかない……かな」


「俺はあまりお勧めしない」


「何でかしら? 一応あたしだってアークナイトよ」


 アークもそうだ。適性は身体強化属性、身体硬化属性、火属性、風属性の四重属性保持者のアークナイトである。


「そいつの魔法適性は確かにそうなのかも知れないが、本人の資質は明らかにエレメンタリストよりもマジックウォーリアー寄りだろう」


 確かに、原作でも基本的には近接戦闘で敵を倒す事が多かった。その方が苦戦の様子と、それを乗り越えて倒せた時の爽快感を演出できるからだと思ってたけど、そもそも近接戦闘の方が得意だったのか。これも原作の記述には無い事ね。


「近接戦に関して基礎から教えられる人物に任せるべきだ」


「ならどうすれば……」


「取り合えず頼んでみるか。俺からも頭を下げてやる」


「あなたがそこまでする義理は」


「もう乗り掛かった船だし、何より、こうしてこいつがボコられた事が無意味に終わって欲しくない」


 その言葉に、あたしは本心をロックに悟られないよう、顔色を維持するのに必死だった。


「ひとまず、あんたはそいつの意識が戻ったら、適当に言いくるめてくれ。ダメージ自体は後に引く程じゃないと思うが……念のために頭だけは回復魔法を掛けておくか」


 と言って、ロックは地面に倒れたままのアークの側でしゃがみ込み、彼の頭に手を添えて回復魔法を掛け始めた。


「約束を破る事になるが、あんたの怪我に関しては他の奴に頼んでくれ。この場で癒したら、誰に治療してもらったんだって話になるからな。ついでのこいつの細かい怪我も治療してもらうといい」


 と言って、既にアークの治療を終えて立ち上がったロックは、あたしが歯を噛み締めて俯いている様子を見て、訝しげな顔をする。


「どうした?」


「いえ……何でもないわ」


 ごめんなさい、辛い役目を押し付けて本当にごめんなさい。そう謝りたかったけど、今更の話だ。最初から分かっていて頼んだのはあたしなのだから。


 ロックは多分、とっくの昔に、最初から全てを理解していたんだと思う。


 あたしに考えが足らなかっただけなのだ。


 あたしは泣きそうになりながら、しかし涙をこらえて、ロックが「そうか」と短く応えながらコロシアムの出口に向かおうとする背を見送る。


「あんたがそいつに期待する理由も理解させられたよ。そいつは強くなる」


 最後にそう言葉を残しながら、ロックは静かに立ち去る。


 少し前、いや、ついさっきまでのあたしなら、「でしょ?」と得意げに応じていたかもしれない。でも今のあたしが欠片でもそんな気分になれるわけがなかった。むしろ全く逆の気分にしかなれない。


 でも……あたしに泣いて許される資格なんてない。


 そう思って、地面をぐっと握りしめるようにして、全身に力を込めたその時、第三者の声が耳に入ってきた。


「決闘は正式に日取りを決めて立会人が必要だからダメだって言われたのに、僕は知らないよ」


「え? なに? もしかして俺様に負けるのが怖いのか? ぷぷーっ」


「ふざけるな! って、え?」


「あ?」


 ドレッドとアッシュの二人だった。


 お互いに罵り合いながらコロシアムに現れた二人は、ちょうど自分達の方へと向かって歩いていたロックの姿に目を止め、途端に二人揃って更に険悪な表情になる。


「てめー! チート野郎じゃねーか!」


「神様転生なんて楽して強くなったつもりの勘違い男か! ドレッド!」


「分かってるぜアッシュ、一時休戦だ。今はこいつを倒すのが先だぜ!」


 二人は即座に、まだ大分距離がある状態で戦闘態勢を取るが……


「――――ッ!?」


「ひっ…………!?」


 あたしからは今のロックがどんな顔をしているかは見えない。でも、あの二人の転生者の反応が、その真実を教えてくれている。


「悪いが今はと呑気に遊んでいられる気分じゃないんだ」


 底冷えする声は決して大きなものではなかったのに、まるでコロシアム内の全体に響き渡るような激しく重圧を感じさせる音で、あたしの耳朶を強烈に打った。


「――眠れ」


 その声色のままに放たれた命令と共に、ドレッドとアッシュの二人は、言葉もなく唐突にその場で崩れ落ちた。


 まだ両者の間には距離があったし、少しだけ魔力を感じられた以上、おそらく何らかの魔法を使用したのだろうけど、最早お馴染みとばかりに、また何をしたのか全く理解不能な現象によって、呆気なくも二人の意識は断たれてしまったようだ。


 ロックはそのまま、地面に倒れて動かない二人の間を通って、コロシアムから静かに姿を消し去った。


 それを見届けたあたしは、とうとう目の淵から涙が零れるのを止められなかった。


「ごめんなさい……ごめんなさい、ロック……」


 後悔しても、もう遅い。


 全てが遅すぎた。


 他人に対して暴力を振るえという意味だという事を理解せずに、深く考えもせず、気軽に押し付けて許される役目じゃなかった。


 あたしは何て考え無しの浅はかな女なんだろう。愚かな女なんだろう。これじゃドレッド達を笑えない。所詮はあたしも彼らと同じで、今もまだ、ご都合主義ファンタジーの中に生きている遊び感覚でしかなかったのだと、痛烈に思い知らされた。


 最後、転生者二人に向けて言い放っていた殺気まじりの様子こそが、ロックの本心を表しているのだと、言われずとも理解せざるを得なかった。


 この上で、彼には更に、成長を遂げたアークを再度ボロボロにさせながら、しかし紙一重で負けるという茶番を演じてもらわなければならないのだ。


 その時あたしは、その光景から目をそらさずにいる事ができるだろうか?


 いや、あたしが目をそらすなど許されない。許されていいはずがない。


 でも……


 その光景を想像するだけで、胸が張り裂けそうなくらいに痛んで、更に大粒の涙が溢れてしまって止められないあたしが居た。

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