第11話
原作に記述が無い内容に関しては、リアリティー優先で社会全体が成り立っているんじゃないかという俺の推測を聞いて、カレンは不思議そうな顔をするばかりだった。
「あんたがそうだったように、原作者は歴史や故事や海外事情に疎く、中世的社会であろうと、貴族の女は貞操観念が固くて当然で、男の群れに放り込んでも何ら問題無いほど社会全体のモラルが高くて当然という固定観念が頭にあって、わざわざ記述する必要も無いと考えたのか、それとも、細かい設定など気にせず、公権力のシモベでもない主人公が人を殺傷する事で活躍し名声を得る事を社会が許容し、複数の女を公然と囲っても社会的に何ら問題の無い舞台が欲しかっただけなのかは分からんが……」
というか、おそらくその両方だろう。あまりにも歪なこの世界の社会全体の在り様を見ている限りはな。
「あんたの反応を見る限り、メインヒロインは中世レベルの文明の住人とは思えないほど貞操観念がしっかりしていたんだろうな。だが彼女達の貞操観念が固かったのは個々の価値観の問題なだけで済む話だから、他の大多数の女が持つ貞操観念や、それを内包する社会全体の在り様に関しては、社交界や魔法学院という原作に記述のあって覆せない存在を前提とした上でのリアリティーが優先されている、と考えると納得し易い」
もしそこに関する記述が明確にあったのなら、本当に結婚前の姦淫や強姦は身分問わず即死刑とか追放という法がある世界として構成されていたんじゃないかな、と俺は考える。宗教上の理由とかでな。
あくまでも、デストラント・サーガが前提の世界という説が正しいならば、だが。しかし、そう考えた方が、この世界に生まれてからずっと意味不明だと密かに頭を悩ませていた様々な物事に説明が付き易いのも確かなのだ。
だから荒唐無稽としか言えないカレンの話を頭から疑わず、むしろ信じる気になったのだから。
「大体にして、魔法学院の存在自体、俺からしてみれば信じられない話なんだ」
「何が?」
その疑問の声に対して、俺は即座に解答を返すのではなく、逆にカレンに対して質問する。
「この国で最後に戦争が起こったのはいつだ?」
「ちゃんと勉強してるわよ。150年くらい前でしょ?」
カレンは胸を張って答えたが、実は不正解だ。試験なら△ですらなく、完全に×印が付いている。
正確には建国して以来、一度も無い。その建国が157年前だが、細かい年数など今は関係ないな。
「そう。日本のような島国でもない地続きの国で、かつこの程度のモラル、文明レベルの時代に、そこまで長く戦争とは無縁でいられる国なんて地球では考えづらいレベルだ」
「平和なのは良い事じゃない。それが何なの?」
「戦争を仕掛けないのと外敵からの侵略に備えるのは別の話だ。他国に余計な力を付けさせない政策をして当然。なのに、高位の魔法使いを育成するための機関に、なぜ他国の人間が平気で通っていて、しかも普通に卒業した後は元の国に戻って活躍できるんだ? 原作でそうなんだから当然だ、で済ましているあんたの平和なオツムが俺には羨ましいよ」
「悪かったわね。でも言われてみればそうよね。他の国じゃ戦争だって無いわけじゃないし。この国は平和なものだけれど」
「その国の人間だけで済ませれば良かったものを、原作者の頭にどんな理屈が存在していたのか分からんが、おそらく大した考えは無かったと俺は考える。だから論理的に考えて破綻している話なのに成立してしまっているんだ。そして、その状況を不自然じゃなくするために、魔法学院の生徒として受け入れている同盟国同士の関係は極めて良好で、現状では戦争の火種すら見当たらない、という、これまた明らかに不自然な状況が構築されている」
戦火に巻き込まれて不特定多数の罪も無い人間を殺したくなんてないし、ありがたい限りでしかないがな。
しかし、あまりにも国同士の仲が良すぎる。戦争になった同盟国に対しては、言われずとも積極的に最大限の便宜を図るのはもちろん、同盟国に囲まれているこのシルベスタリオン王国など、自国の防衛など二の次で戦力を送るのが当然のように考えている節すらある始末だ。防波堤としての同盟国の存在を重視していたとしても、普通はそこまで出来るものじゃないというのに、この150年の間に何度かそんな感じの事をやらかしている。どう考えても不自然過ぎるだろ。
だがそうでもしないと、より不自然な魔法学院の存在を成立させられないから、次点で不自然な国同士の間柄なんて無視して現実的な整合性を取った、と考えるのが納得し易い。ある意味洗脳されてるようなもんだな。
俺の今生での実家のように、欲望まみれの貴族なんて珍しくもないのに、国同士の関係になった途端に欲望なんて欠片も存在しないかのような信頼関係が成立しているなんて、やはりどう考えても不自然だろうが。なのに成立してしまっている。
江戸時代以前の日本のように、世界各国の魔法学院が存在する国を中心とした帝国的な関係が築かれているというならまだ理解できなくもないが、あくまでも魔法学院の存在する国を中心とした対等な同盟でしかなく、どこの国の貴族も、ちゃんと独立国としての意識は有るようなのだ。
どういう思考回路をしている連中なのか、俺にはさっぱり理解できなかったが、カレンの話を聞いてようやく色々と腑に落ちたよ。
一般女性の貞操観念等に関しても洗脳染みた方法で作者の意図を汲まなかったのは、単純に原作に記述の無い内容に関してはその必要が無いというルールなのか、それとも、そこまでしては社会全体の構成に無理が出過ぎるからなのか。少なくとも現状、俺如きでは判断はつかない。
「おそらく、原作で主人公が戦う敵はあくまでも個人としての貴族、しかも何かしら問題があって殺傷されても周囲が納得する状況だった相手だけで、他も魔物に魔族と言った、個人的な事情や因縁、あるいは人類全体にとっての普遍的な敵だから政治的事情なんて考慮する必要がなく済んでしまう相手だけだ。少なくともこのシルベスタリオン王国で戦争が起こった挙句、主人公がそれに巻き込まれて隣国と戦うというシナリオは無かったと俺は考える。違うか?」
「正解」
だよな。
「なんかあなた……凄いわね」
そうでもないと思うが。俺とカレンでは持っている情報量に差があり過ぎるだけだろう。廃嫡される以前は貴族関係のあれやこれやを積極的に色々と調べていたし、それ以降も自ら情報を得る事に余念は無かった。そこから逆算しただけだ。デストラント・サーガの世界だからと何も気にしていなかったカレンの能天気な頭の中身には呆れを隠せないのも事実だが。
しかし、戦争シナリオすら存在したら、果たしてどうやって整合性を取ったのか気になるな。俺にはぱっと思いつかん。
「でも、どうしてそこまで気にするのかしら?」
「俺たちをこの状況に置いた存在が何を考えているのか、気にするなと言う方が無理だろう」
「神様の存在でも疑ってるのかしら?」
これがただのファンタジーなだけの世界だったら話も別だが、こんなご都合主義の権化のような世界が何の理由も無く存在していると考えるのは、俺には無理だ。
そんな馬鹿な話があってたまるかと思うのは勝手だが、そもそも転生なんて正真正銘の理解不能な奇跡体験をしているのに、その可能性を頭から切り捨てるのは愚かだろう。
創作物の中に転生なんて、俺如きの頭じゃ思いつかなかったがな。その説が正しそうだと考えるなら、神という言葉は安易に使いたくはないものの、それに類似する何かしらの超常的な存在を疑わずにはいられない。
「自意識を持った存在ですらないかもしれないが、因果関係が不明なのは不気味だ。二度目の人生を与えてくれた事には感謝しているが、あんたの言う通りに俺が行動しても、原作通りに行くとも到底思えん」
「何でかしら?」
「転生者が俺たちだけならいいが」
俺の発言を受けて、カレンはソーサーの上に置きかけていたティーカップを、貴族にはあるまじきガチャンという大きな音を立てたながら置いた。
「おい、本当に考えて無かったのか? 二人居たんだ、それ以上居ないと誰が保証した?」
「もちろん考えてたわよ」
「俺の目を見て言ってみろ」
「もちろん考えてたわよ」
一片の曇りもない、澄み渡った瞳で言い切ってはいたが、笑顔がわざとらしいぞ。
……まあいい。変に追及してヘソを曲げられても面倒だ。
「他にも原作知識持ちの転生者が居たとして、主人公の立場に成り代わりたいとか、原作の状況を利用して何かしらの利益を得ようと動く人間が居た場合、俺たちだけで原作通りに進めるのは相当難しいぞ」
「出来ないとは言わないのね」
「最悪、それっぽい連中は暗殺してしまえばいい」
「……あなたって、たまに怖い事を平気で口にするわよね。捕まったらどうするのよ」
カレンは引き攣った顔で俺を見てくる。
「証拠は一切残さず、スマートに片づける事をお約束しましょう、
「そこを心配してるんじゃないわよ! そしてさり気なくあたしを主犯にしようとすな!」
「世界の滅亡が懸かっている瀬戸際に、己の欲望を優先して状況を不透明にさせようとする人間に対して配慮すべき義理など無いと思うがね」
世界の滅亡が懸かっている、かもしれないってだけの話だがな、現状は。
「あなただって、三下ムーブは嫌がってたじゃない」
「俺はしないだけ、もとい、したくないだけだ。余計なマネをしようとしているわけじゃない」
一緒にしないで頂きたいものだ。
「とにかく、そういうのはダメ。本当にそういう奴が居たとしても、まずは話し合い。それでダメなら、その時改めて考えましょう」
こうして善人ムーブをしているカレンも、数日後には「あの時に何も言わずに頷いておくべきだったわ。もうしちゃおっか、暗殺」と瞳のハイライトを消した無表情で俺に言ってくる事になるのだが、アレを予想するのは流石に無理があると、俺もかなり真剣に同情してしまった。
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