第18話 SIDEシャロン
昨日の朝、いきなり学院長から、私の担当するクラスに追加を告げられた新入生の顔写真と穴だらけのプロフィールを見せられた。学院長が何を考えているのか知らないが、正気かと疑ってしまった私が居たのも仕方ないと思う。
「絶対に恋愛結婚すると昔から言ってる割に、いつまで経っても浮いた噂の一つも聞こえてこないで、魔法の鍛錬ばかりしているものだから、もういっそ平民でも良いからカレンたんに恋愛感情を教えてやってくれと願っていたのだがね、どうやらとうとう現れてくれたようなんだ!」
「はぁ……」
親バカめ、という言葉を必死で呑み込んだのは言うまでもない。中年と言っていい実年齢のくせに若々しい面差しから、若い女性教師にも未だに人気があるのに、デレデレと崩れたこの表情を見れば、百年の恋も一瞬で冷めそうだなと、割と失礼な事を考える。
「平民なのですか?」
平民だからと蔑視するつもりは特段無いものの、私の貴族クラス担当なのだが。
「いや、一応貴族だね。本人の出自や来歴は大体把握できているんだが、どうもそれだけではなさそうなのは確かなんだ。追加で色々調べさせてはいるんだが、今のところ、本人が異常と言って構わないレベルで優秀と言う部分以外には特におかしなところもない」
「異常、ですか」
「うん、異常。カレンたんも幼い頃から聡明だったけど、彼は次元が違う。が、幼い頃からの彼の振る舞いに関する証言は各所で得られるから、そういう意味では出自や来歴に不明な点は無い。けど、どうしても不自然なまでに異質に思えてね。もっと言うと、どこでカレンたんが彼を知る事になったかがそもそも不自然だったり?」
私に聞かれても知らんぞ。
「カレンたんに限って無いとは思うが、良いように利用されているだけなら……」
学院長は敢えて続きを言葉にしなかったものの、にっこりとした人のよい笑顔の中で唯一瞳だけは底冷えする光を宿していたが、私は特に何も思わず、了解の意だけ伝えて、学院長室を後にした。
そして入学式の直前に、一人の平民の新入生から助けを乞われて、向かった先で目にした光景に、私は思わず寒気から身震いしてしまった。
喧嘩をしていたのは二人の内、一人は間違いなく学院長からプロフィールを見せられた生徒となれば、気にするなと言うのが無茶だろう。なので、少し離れた場所にある木の上の枝に立って、遠くから二人の喧嘩を少し観察させてもらう事にした。
所詮は16歳になるかならないかの新入生だからな、そう大した事はないだろうが、怪我の一つくらいは良かろう。命の危険がありそうになったら止めるかと、その時は気楽に考えていた。
が、その呑気な考えは即座に打ち砕かれた。
学院の生徒の顔は全員把握しておくのが私の主義で、新入生のプロフィールにも平民も含めて一通り目を通している。今年の平民の新入生は顔立ちの整った男がいやに多いなと、私も一人の女として正直な感想を抱きながら、特に印象的で覚えていた平民の生徒の方も大した身体強化の出力で攻撃していたものの、ひたすら避け続けるだけの謎の新入生の方は明らかに次元が違った。
一撃でも食らえば、私が全力で身体硬化を使用していてもタダでは済まない威力の攻撃を、全く苦にもしないで涼しい顔で避け続けるなど、尋常の胆力ではない。正直、同じ事が出来るかと私が問われたら、出来なくはない、としか言えないだろう。したくない、というのが紛れもない本音だ。
しかも彼は、何度も攻撃しようとする意志を見せながら、直前になって止めるという動作を小さく繰り返していた。手を出しあぐねているのではなく、おそらくは相手の攻撃察知能力を計っていたのだろうと思う。相手の平民の生徒は全く気付いていないようだったがな。この時点で勝負になるまい。
既にギャラリーが出来上がり、隠し切れないあの場所で決着をつけるつもりは無く、しかし今後のために可能な限り相手の情報を集めようとしていたのだろう。その冷徹極まりない思考の方が、底知れぬ実力よりもなお怖い。あれは相当場数を踏んでいるのは間違いないな。学院長はああ言っていたが、下手すると、やはり『後ろ暗い世界』が出身の可能性すらあるだろう。
謎の新入生、ロック・メリスターが最終的に平民の生徒に対して抱いた結論は、きっと「これならいつでも殺せるな」といったところだろうな。
そう思った瞬間、メリスター生徒と視線が合った。一瞬の出来事だったから気のせいかと思いたかったが、直後にもう一度見られてしまい、その視線が「とっとと止めろ」と物語っているのを理解した私は、どっと冷や汗を滴らせながら即座にギャラリーの生徒達の隙間をかき分けて、睨み合いになっている二人の間に割って入った。
明らかに一方的な攻撃を受けていたにも関わらず、平民の生徒を庇うようなマネをするメリスター生徒には不信感を抱かずにはいられなかった。
平民の生徒の身の安全のためにも、彼自身をとっとと退学にしてしまった方が本人のためじゃないかと思って少し強めに追及したが、被害者にして貴族であるメリスター生徒の方が被害を申告しない以上、私に出来る事はそれ以上無かった。
そして本日、クラスで担任としての挨拶を終え、例年のように幾つかの好色な視線を受けてうんざりとした思いを抱きながら、教室を出て行った生徒達の最後尾を行くメリスター生徒と、彼にタダならぬ感情を抱いていると思われる学院長のお嬢様がいちゃつく姿を見せつけられて更にうんざりさせられ、もうこいつら本当にタダの恋人同士で、お嬢様が熱を上げているだけで、本当に深い理由なんて無いのかもしれないと思ってしまった。
メリスター生徒が恐ろしい男であるのも間違いないが、こういう男が好きな女は少なくないだろうと私も理解はするし、お嬢様ご自身も、大概の男なら夢中になっておかしくはない絶世の美貌を誇るのだし、そうおかしな話でもないかな、と。
恐ろしい男には恋愛する資格なんて無いってわけじゃないからな。私みたいな経歴の女はどうしても警戒心が優先されてしまって、そういう気分には到底なれないが。
学院長もお嬢様が騙されている可能性は疑っているようだし、しばらくは要観察対象と認識しておくにこした事はなかろうと思うものの、理性はちゃんと持ち合わせているのも確かなようだし、今までのように剥き出しの警戒心を抱いている必要も無いかな、と考える。
メリスター生徒へのけん制を込めて、玄人ならば判断できる程度に警戒心を見せておいたので、明らかに私の意思を受け取ってみせた彼からは現状嫌われているか、最低でも私がそうだったように警戒心を抱かれている可能性が高いが、男なら私のような美人に対していつまでもマイナスの感情を強く抱いたままでいられるものじゃない(自画自賛ではない。経験則からくる単純な事実だ)し、いっそ仲良くしてしまって懐に入った方が、何か良からぬ目的があったとしても対処し易くなるかもしれないしな。
しかし、未熟者しか居ないはずの魔法学院でこんなに緊張感のある男に出会えるとはまさか思わなかった。教師は魔法使いとしては優れた者も多いが、戦闘力は微妙な連中ばかりだからな。久しぶりに昔の感覚が蘇って余計に緊張してしまっていた気がするな。
「はっはーっ! どうだ見たか!」
ふぅ、と緊張で少し力の入り過ぎていた体を弛緩させるために一息していると、昨日の騒ぎの相方である平民の男が拳を突き上げて、意気揚々と笑っている姿を目にして、メリスター生徒に目を付けられているのに呑気な事だと、思わず呆れた溜息をせざるを得なかった。
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