第7話

 貴族令嬢で結婚するまで清い身でいるような女はむしろ稀だと俺が言うと、カレンは素っ頓狂とも言える声で驚愕の表情を浮かべた。


「貴族の婚姻は家同士の契約だ。愛なんて結婚してから育むのが常識だし、相手の過去なんて誰も気にしない、犯罪でもない限りはな。嫁いだ先の家の血筋を確実に残すために、女の方に不倫は絶対に許されないが、逆に言えば、産んだ子供の血筋が確実に夫のものだと証明できるなら、生娘である必要なんて一切無い。結婚するまでに身綺麗にしていれば、それ以前の火遊びなんて誰も非難したりせんよ」


 じゃなきゃ、それこそ中世の日本のように、下手に家柄の釣り合わない男に恋心を抱いたりしないよう、家に閉じ込めて社交界に出そうとしたりしないし、カレンのように学校に通わせて平民も含めた不特定多数の男と身近に接するのを認めるのなど言語道断だろうに。


 大体にして、女側の実家の事情次第では、嫁いだ先の家から強引に離婚させて、他家の嫁に改めて出されるような事案すらあり得るのが貴族なのに、女の貞操になど価値を置くわけがなかろう。


 男遊びの激しい女という噂が立つと、結婚後の不安から、男と言うよりも、男の実家が反対するだろうから加減は必要だし、あまり派手にやるものではないが、要するにアイドルが世間には内緒で男を作っているようなものだと思えば大体合ってる。ゴシップを吹聴するマスコミのような存在も無いし、貴族同士なら見て見ぬ振りをするのが暗黙の礼儀だとか。


 男の方の本心は知らんがね。俺なら特に気にしない。処女じゃなきゃ嫌なら、さっさと家柄の釣り合う女を口説き落として結婚してしまえばいい。婚約じゃ歯止めにはならない。好き合った末の婚約ならともかく、親が勝手に決めた婚約者の存在など、禁じられた恋に憧れる女からしてみれば背徳感が刺激されて余計に盛り上がるのが精々だ。


「本当に好きな男と結ばれる権利は結婚するまでの短い期間しか存在しないからこそ、自由でいられる間に恋愛していたいものらしいな。だからこそ、余計に恋愛に積極的になるようだぞ」


 男の俺にも彼女達の気持ちは理解できなくもない。男なら愛妾として囲えばいいだけの話だが、女には許されないというもの酷な話だと思う。DNA鑑定など出来ない以上、仕方ない事だとも思うけどな。


 知らなかったのか? と暗に問う視線を投げかけると、カレンは呆然とした様子で呟くように言う。


「で、でも、あたしの知ってるファンタジー物で貴族の女性が貞淑じゃない方が普通なんて知らないわよ……」


「別にふしだらな女が好まれてるわけでもないがな。あんたの知るファンタジー物を書いてる連中が抱いている女の貞操観念に関してのイメージは日本の平安貴族なんじゃないか? あれは下手な男に恋心を抱いたり、強姦されたりしないよう、結婚するまで余計な男と接触できないように保護と言う名の監禁をしてたから出来た事で、更に言えば妊娠可能な十代前半でとっとと結婚させていたから結果的に生娘が多かったってだけなんだがな」


 それを禁じる人権も何もあったもんじゃないんだからな。社交界に出している時点で、自由恋愛を暗に認めているようなものだ。この世界の未婚の貴族子女にとってはお見合いの場としての意味合いが強い社交界だと言っても、そこで気に入った相手が家柄で釣り合わなかったからと言って、若い二人が隠れて暴走する事を完全に止める術など無い。


 きっと、カレンの知るファンタジー物の世界じゃ、処女を捧げた相手に嫁がなきゃ死刑という法律でも裏設定にあるのだろう。ついでに強姦も。そうでもなけば理解不能だ。


 欧州だって、平均寿命の関係で妊娠可能な十代前半でとっとと結婚させていたから結果的に生娘が多かっただけで、貴族間でも女の純潔の価値が上がってきたのは中世末期でようやく、宗教的な影響からだ。それまでは誰も気にしちゃいなかった。


 この世界は魔法による治療が可能なおかげで、裕福な人間の平均寿命が文明レベル不相応に高いせいか、若すぎる妊娠の方が危険視されるため、貴族間の婚姻年齢はかなり猶予がある。


 それが特にその手の禁則事項も明記されていないというのに、十代後半の男女を集めて社交界だけでなく魔法学院って、それで結婚するまで処女じゃなきゃならないとか本気で言ってるなら臍が茶を沸かすぞ。いっそ正気を疑うレベルだろ。


「でもそれじゃあ、好きな男と駆け落ちするような子も居たりするんじゃないの?」


「居る。が、そんな後先考えないマネをするほど頭の軽い女じゃ、どの道嫁いだ先で気に入った男が身近に居たら、隠れて不倫するのが落ちだし、それ以前に、駆け落ちするなら肉体関係の有無など関係なく実行する」


 肉体関係を持つ事で情が深まってしまい、妊娠などを契機に駆け落ちまで意思を固めさせるケースも当然あるだろうが、そう多くはないだろう。貴族が平民落ちする危険性を認識できていればな。


 愛のための駆け落ちなんて、それまでの身分や生活を捨てても、人間らしい生活までは捨てずに済む恵まれた日本で暮らしているから気軽に考えられるんだよ。本当にヤバい国で実行するなら相当な勇気が要る。それこそ無理心中の覚悟をあっさりと決める男女くらいしかやらんだろうし、そういう人間なら今言ったように、肉体関係の有無など関係なく実行するって。


「それもそっか。でも、そうなんだ……」


「年頃になって社交界デビューした貴族の令嬢なら、年上の友人から自慢まじりに教えられるのが伝統らしいぞ?」


「社交界デビューする前に廃嫡されたはずのあなたが、何で知ってるの?」


「何度か、その『火遊びの相手』になった事があるからな」


 俺がゴールド級に昇格したのは一年程前だが、実績と信頼が担保されるブロンズ級以上になると貴族絡みの案件も増える。魔物の相手に不慣れな騎士達だけでは護衛として不安な時、貴族は冒険者の護衛を雇うのだが、俺みたいに見目の良い高ランクの若い男は貴族令嬢からは引っ張りだこで、大抵は「どうせ侍らせるならイケメンがいいわ」というだけの話だが、中にはあからさまに色目を使ってくる女も居る。そして、俺の側には特に断る理由も無かった。


「もしかして、ぼっちか?」


「違うわよ! いや確かに友達居ないけどそれは原作に備えて修行してたからで友達作ってる暇が無かっただけだから!」


 息継ぎも無く一息で繰り出されたセリフに、俺は少し笑いそうになってしまったが、何とかそれは堪えた。


「ほー」


「本当なんだからね!」


「信じてないとは言ってないだろう」


 実際に戦って負けるとは全く思わないが、この女の実力は確かに凄いのは何となく判断できる。才能だけで身に付くレベルではない。かと言って鍛錬だけで身に付くレベルでもない。その両者が高い水準で満たされていなければ不可能なレベルなのに疑問の余地は無い。


 そう伝えると、今度は照れた様子で顔を赤くし、そっぽを向いた。


 先程から何度か思わされていたが、腹芸には向かないようだな、という感想を俺は抱く。男より女の方が得意とする分野のはずなのだが。


 まあ非難されるような資質でもないが、貴族としては生き難いだけだろうと、少し同情してしまった。俺も別に得意なわけでもないが。


「さて」


 と、俺はベッドから立ち上がる。


「今夜のところはこれでお暇させてもらうよ」


「え? ちょっと待ってよ、まだ」


「しばらくはあんたの事情に付き合ってやるから安心しろ」


「えっ?」


 不安そうに俺を引き留める言葉を発しようとしたカレンの表情が、途端に喜色に染まった。


「報酬はそうだな、俺が滞在する間の生活費全般を請け負ってくれるだけで構わない」


 そのくらいならカレンが自由に動かせるポケットマネーで賄えるだろう。


「本当に!?」


「体を売る覚悟を決めたあんたに免じて、サービスしてやる。だが、今更俺を新入生としてねじ込めるのか?」


「あたし、学院長の娘だから大丈夫。パパに頼んで何としてもねじ込むわ」


 それで新入生の資料をチェックする機会があったわけかと、俺は少し疑問に思っていた内容に解答を得てすっきりした。


「少なくとも、主人公の踏み台として挑発して、無様に負けるまではやってやる。その後はその時の気分次第だな」


「ありがとう! でも、本当にあたしを抱かなくていいの……?」


「自分から蒸し返して、俺がやっぱり抱かせろと言ったらどうするつもりだ、あんた?」


 こういう時は有耶無耶の内に、自分にとって都合のいい言質だけ取ればいい話だろうに、と俺が呆れたように言うと、カレンは引き攣ったような笑いを浮かべながら目をそらした。


「その気になったら言ってくれ。いつでも歓迎する」


「したくないわけじゃないんだ」


「あんたみたいな美人を抱けるなら断る理由は無いだろ」


 けど、そうだな。


「手付金くらいは今貰っておこうか」


 何を要求されるのかと不思議そうに俺を見上げているカレンの頬に手を添える。


 え? と言葉にせず目を見開くその美貌に、俺は素早く己の顔を寄せて、頬に口付けた。


「なっ……」


 瞬間湯沸かし器となったカレンから身を放し、俺は「良い夢を」と声を掛けながら部屋を後にする。


 ドアを閉める直前にようやく再起動を果たしたらしいカレンの、「何すんのよー!」という絶叫が聞こえてきたが、部屋の外で護衛に立っていた騎士達に、「気にしないでくれ、ちょっとじゃれ合っていただけだ」と言って、戸惑う彼らは放ったまま、俺は宿からも立ち去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る