11:ケインの役割

「ケイン様、前へ」

「はい」


 パイチェ先生は、僕ではなくケインを前に出るように言いました。なぜ?どうして?

 そんな僕の混乱を余所に、ケインは鞭を持った男の人の前に、背筋をピンとして立ちます。僕のように震えたり、怯えたり、ましてや泣き出して助けを求めようとはしません。凛とした横顔はとても美しく、昨日のイタズラっ子のようなケインの姿はどこにもありませんでした。


「本日、ラティ殿下は二十一の質問に答えられませんでした」

「ほう、二十一問もですか?」

「ええ、全問不正解ですので。ただ、それだけではありません。反抗的な態度に加え、何度申し上げても学習意欲が一切向上されません」


 パイチェ先生が、まるで教本を読み上げるように淡々と言います。同時に鞭を持っていた男の人が、ギッと持ち手と革の部分を引っ張りました。ここに来て頭の悪い僕でも、ようやく理解する事が出来ました。

 今から鞭打ちが始まります。ええ、僕にではありません。そう、ケインに対する鞭打ちです!


「では、今回の鞭打ちは?」

「答えられなかった二十一問に加え、王子の反抗的な態度も含め……三十発お願いします」

「承知した」


 氷のような冷たい声で男の人が答えたかと思うと、彼は遥か高みからスッと目を細めて僕を見ました。そして、その視線はすぐにケインの方へと向けられます。


「ぁ、あ……あの!」

「王子、その場から動かないよう……ムチが当たりますよ」

「っ!」


 パイチェ先生の言葉に、先程まで激しく襲っていた震えがピタリと止まるのを感じました。そして、タラリと嫌な汗が背中を伝った瞬間。ヒュンッ!と風を切る音と共に、ケインの体に鞭が打たれました。


「っぅぁ゛!」

「ケイン!」


 ムチが当たった瞬間、それまで凛としていたケインの顔が痛みに歪みました。そして、僕の声なんてまるで聞こえないとでも言うように、男の人の手は休む間もなくケインに鞭を打ち続けます。


「やめてっ!!」

「いいえ、止めません」


 僕の悲鳴のような静止に対し、パイチェ先生はピシャリと言ってのけます。


「やめてよ!どうしてケインにムチを打つの!?」

「ラティ殿下がしっかりと学問に励まれないからですよ」

「だったら……ぼ、ぼくにっ」


 僕にムチを打てばいい!


「っ、っう゛……っぐ!」

「ケイン!」


 僕が叫んでいる間も、鞭を打つ音は途切れる事はありません。ケインの柔らかい肌には赤い傷跡が刻まれ続けています。でも、ケインは泣きごと一つ言いません。ただ、その表情はハッキリと“痛み”に歪んでいます。


「っあ、あ!おねっ、おねがいっ!おねがいしますっ!パイチェ先生っ、僕!あ、明日からちゃんとします!しますので!」

「ラティ殿下?」

「っは、はい!」


 少しだけ優しい声色になったパイチェ先生に、僕は期待しました。もしかしたら、ケインに鞭を打つのを止めてくれるかもしれない。そう、僕は淡い期待を抱いたのです。でも、僕を見下ろすパイチェ先生の目は、ちっとも優しくなんてありませんでした。


「ラティ殿下の“明日から”は聞き飽きました」

「っ!」

「でも、貴方は神の如き尊い身分の御方です。そのような尊き御方に鞭など振るえませんからね」


「っぁあ゛ぁっ!」


 パイチェ先生の冷たい言葉の後ろで、ケインの一際大きな悲鳴が聞こえてきます。その声に、僕は目の前がユラリと大きく歪むのを感じました。気付けば、僕はボロボロと涙をこぼしていました。


「ぁ、あ……け、いん……けいんっ」


 ひゅん、パシッ!

「っう゛ぁっ!」


 僕のどこが尊いのでしょう。先生も、誰もそんな事思っていない癖に。いっつもそんなウソばっかり言って!


「ケイン様は殿下のご友人であり、この大国スピルを、ありとあらゆる危機から……身を挺して守る使命を持った御方です」

「けいん……けいんっ」

「こうして、貴方の代わりに痛みを請け負う事もまたクヌート家の者に課せられた義務なのです。さぁ、目を逸らさずに見守ってあげてください」


 ひゅん、パシッ!ひゅん、パシッ!

「っう!……っぃ゛!あ゛ぁっ」


 ケインに鞭が打たれ、その度に痛みに耐える悲鳴が部屋中に響き渡ります。でも、ケインは決して泣いたりしません。ケインは倒れ込む事もなく、必死に自らの足で立続けます。それに引き換え僕ときたら。


「~~っうっ、うぇぇぇっ!やめてぇっ、やめてよぉっ!」


 最早、立っている事も出来ず、ペタンとその場に座り込んで大泣きしていました。ヒュンヒュンと、鞭が空を切る度に僕の心には嵐が吹き荒れます。


「っぐっぁ!」

「ァぁぁ~~っ……ごめんなしゃ。っごめぇん……けい、ん」


 部屋の中に響くのは、僕の情けない泣き声とケインの悲鳴、そして、ムチを打つ音だけ。

 そして、どのくらい時間が経ったのでしょう。僕が床に蹲ってシクシク泣いていると、ピタリと鞭を構えていた男の人の手が止まりました。


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