第4話 そこに居るうさぎっぽい何か


 変わらず蝉の声が渦巻いている。蝉に侵蝕されている。なんと生き生きと鳴きまくり。まるでヒトが入るのを拒んでいるようじゃないですか? 


 この間は思わなかったそんなことを今思うのは、新たに生まれた恐怖のせいだ。ノリさんに植えつけられ、鳴海ちゃんに育てられた恐怖。なんて思うのは恩知らずかもしれないけど、知らずに済んでも良かったことかもしれないと思ったりもする。知らないまま、ノリさんが言っていたみたいに人が死んだりするのは困るけど。


「あぁ。ここなんだ。なんだ」


 私がびくびく脅えている横で、鳴海ちゃんは平和な声を出した。


「し、知ってるの?」

 どもるし、私。


「近くに友だちが住んでいるから、けっこ前から知ってます。話は早いですね。良かった」


 言うなり鳴海ちゃんはつかつかと参道を進み、賽銭箱の向こうにと進んだ。躊躇なく格子戸を開く。


「こんにちはー」

 などと至ってノーマルに、普通のお店に入るみたいに。


「霽月、いますかー」

 などと今度は、友だちの家を訪ねたみたいに。

 

 すると中から、


「おーう、鳴海かー。久しぶりだなぁ」

 なんて本当に友だちが現れた。


 現代社会的ではない、神社仏閣に相応しい、袈裟とか袴とか直衣とか……なんだっけ? 的な格好をしたウサギだったんだけど。ウサギ……。


 ウサギではないのだと、説明された。ウサギの耳に似た耳を持っていて、それに鼻の辺りも似ているしヒゲもあるんだけれど、ウサギではないのだそうで。まぁ……目とか口とかはヒトみたいだから、ウサギ男といったところ? と言ったらまるで妖怪みたいだけど、このお社の神様――名を霽月(せいげつ)様と仰る、そうです。聞いたところ。

 私は失神なんてせずに無事。こんな事態に直面しても、マンガみたいに倒れたりはしない。しなかった。少しつまらないような気も。


「あぁ、あんたのことは憶えてるよ。どんくらい前だったかは忘れたが、願いをかけていったね」


 私はびくりと身を竦める。


「早い時間だった」


 ふう。息をつく。話が願い事の内容に及んだら、と思ったのだ。鳴海ちゃんが居るし、やっぱり目前で言われちゃうのってキビシイ。ハズカシイ。


「桂木先輩は霽月の返事が聞こえたんだって。それでびっくりしちゃって相談に来たのよ」


「へぇ。そいつはなかなか珍しいことだ。俺はみんなに返事をしてやるが、聞いてる人間はほとんどいない」


「うん。聞こえたとしても気のせいだとかね、片付けちゃうだろうしね」


「なんでそうしなかったんだ? 桂木?」


 大きな目で凝視される。神様……ウサギ……。どちらだとしても、なんだか凄い状況だ。


「すごく不思議に思えたし……それは私も気のせいだと思って、忘れるところだったんだけど」


「あぁ」


 鳴海ちゃんが訳知り顔でうなずいた。そして続ける。


「そこであのバカに出会ってしまったのね。そのまま通り過ぎるはずだったのに、解明しろだなんてことになってしまった訳か」


「でもっ、私も知りたかったしっ」


 鳴海ちゃんの表情が動いた。顰める方向だ。私の力いっぱいな言い方が、どうやら気に入らないらしく。私は慌てて言い募る。叱られている子どもみたいに。


「わかった、と応えるってことは、願いを叶えてくれるってことでしょう? だから、それ、ホントなら確かめたいって思ったですよ。本当に叶うのかって。何が叶えてくれるのかって」


「願いは叶うけどな」


「えぇっ?!」


「運が良けりゃ」


「えぇぇっ?」


 上がったり下がったり忙しい。なに。コースターですか、これ。


「願い事が届いた順に処理しているんだけどな、その間に事情が変わることは多いし、中には死んじまったりな。まぁだから、あんたの願いにこっちが間に合えば無事に叶えてやれるってことだ」


「間に合えば……」


 絶句。あぁ、そういう――システム? すると今の状態は順番待ち。その間に事情が変わる……とはつまり、今は気配が感じられなくとも、いずれあっちに彼女ができたりとか……


 ありうる。途端に私は呆然とした。それは確かに事情が違う。


 ちょちょっと待って。待ちたまえ。今までそこそこの努力しかしないで、急に慌ててなんだけど、急いでもらったほうがいいじゃないかしら? もしかして。


「霽月、それ、ちょっとズルして飛び越したりとかできない? ここまで来た縁に免じての優遇処置とか、どう?」


 うんうんと私は激しくうなずいた。そうそれ! 鳴海ちゃんはよくわかってる。そんな希望が通るならぜひとも、だ。けれど霽月様は首を振り、コドモに言い聞かせるみたいに言った。


「間をとばすわけにはいかねぇよ。こういうのは順番が大事なんだ。俺の声が聞こえたからってあんたが特別ってわけじゃねぇ。声なんか聞こえなくたって、もっと切実な願いをかけてるやつはいる」


「私のもわりと……切実だと思う、んだけど――」


 と言いながらも、実はあまり自信はなかった。恋愛カテゴリで並べるなら上位を目指そうと思う。だけど総合お願い事のランキングとなれば、もっと切実なものはいくらでもありそうに思える。人の生き死にとか、病気とか。


「だから、だろう、順番なんだよ。願いなんて人それぞれで、切実さの度合いなんて他人が測れるもんじゃねぇんだ。だから俺は早い順でいいと思ってる。いろんな考え方があるけどな」


 あぁでも。そうだけど、でも。


「霽月様、でも私は」


「様はいらねぇ。俺は土の神だからな、そんな呼ばれようはこそばゆい」


「え、で、でも神様なら……」


「あんた、茶碗に様つけねぇだろう。そんなもんだよ」


「そんなもん……ですか」


「そうそ」


 でも茶碗は喋らないじゃないですか……なんて言えない。それは神様に逆らうことだと思うから。まるで田舎のひいおばあちゃんに名前を呼び捨てていいよと言われたような、なんとも居たたまれない気持ちだ。明らかに自分より上に位置する人に、そんなことを言われても。


「願いなぁ。早める方法はあるけど……な」


 霽月は神様らしからぬ上目遣いで、窺うように鳴海ちゃんを見た。受けて鳴海ちゃん、肩を竦めて、


「私は別に。反対も賛成も。告げ口も相談もしないけど」


「告げ口とは人聞きが悪い。鳴海は口が悪い」


 あ、それはさっき私も思ったことだ。神様と同じことを思ってしまった。すごい。


 霽月はふふ。と笑う。ウサギの髭がひくひく動いた。


「告げ口されて困るのはそっちなんじゃねぇか? 俺の方よりも。上の方通さないで動いてんだろ」


 意地悪げな言葉に、今度は鳴海ちゃんが上目遣い。これはとっても雰囲気に合ってる。可愛いのだ。


「レンアイごとには弱いんだよ……」


 そのコメントを霽月は笑い飛ばす。とても楽しそう。鳴海ちゃんがそうつぶやく理由を知っているんだとわかった。ホントに友だちみたい。ん。いや? 違う?


――友だちだからじゃなくて、神様だから知っているんじゃ……? つまり、鳴海ちゃんのレンアイごとについての願い事を、叶えたことがあるんじゃないか?


「桂木」


「え、ハ、はいっ!」


「叶えたいのか、願い」


「え。それは。もちろん。叶ったら、嬉しい。早いなら、」


 もっと嬉しい。私は身を乗り出していた。霽月は頭を掻く。ウサギ耳が揺れて、迷いを表しているらしい。ひょこりともう一揺れ。くるっと大きな目も動いた。


「早める方法つぅのはな。……まぁ、おまえが手伝ってくれれば少しずつでも、おまえの順番が早まるんじゃないかってことなんだが」


 手伝う。


「神様のお仕事を? 私が。ど、どうやって? そんなことできるの?」


「なに、難しいことじゃない。できることをやってくれりゃいいんだ」


「できる?」

 と思う? 見上げると鳴海ちゃんは、


「できることしか頼まないって言ってるよ」


 澄ました顔でそう言った。それから、にかっと笑うものだから、つられて笑ってしまった。霽月にやります、と答える自分の声を聞く。全然なんだかわかんないことに手を出してしまったな、とか、ノリさんになんて言おう、とかも考えていたし、大丈夫か? と思わなかったわけじゃない。だけど結局。


 願い事、叶えたい気持ちは強かった。


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