第15話 今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
眉毛の太い初老の教授が、ウェルフェアステートについて説明していた。
やれやれ、4回生の前期も受けるべき講義があることを忘れていた。
僕はこの講義で、最初の数回は真面目に出席していたようだが何せ記憶がない。
途中から参加しても講義の内容はよく解らない。
まあ、記憶をなくす前の僕がそれを理解できていたかも不明だが。
さて、階段状になっている講義室の後ろ寄りに席をとった僕は、知らない間にエントリーして内定を獲得した3つの企業の内定者懇親会を終えた。
3社の中で最もハイクラスな暮らしができそうだが、社内にぬくもりのかけらもない株式会社SSS。
僕の冒険家的な心をくすぐってくるし出世させてくれそうだが、3社の中で最も労働環境が悪い株式会社クラシコ。
地元でのんびりと働けそうだが、社員に緊張感がなくて本当に会社なのか怪しい鯉城電子株式会社。
僕はまだ、進路を決めかねていた。
何かしらのスキルが身につきそうな会社に数年勤めてから転職しようか、とすら思い始めていた。
その頃には本当に行きたい会社がはっきりしているかも知れない。
しかし転職も茨の道だ。
確かに近年転職市場は活発だ。
終身雇用が当たり前だった時代は終焉を迎え、広告やメディアや一部の勝者がうら若き労働者達に転職を煽るが、もちろん転職にはリスクも伴う。
新卒カードを失った者の求職は高難度だ。
ただ、もし仮に転職活動を本気で考えるならば、最もつぶしがききそうなのはSSSではないのか。
などと考えているうちにウェルフェアステートの説明は佳境を迎えていた。
この講義が終わったら、東のヘビースモーカーと待ち合わせだ。
「東京来ないの?」
居酒屋の喫煙席。
「霧の中じゃ、もう」
東京からはるばる遊びに来た髙橋美佳が僕の向かいに座っている。
「んふふふ。きみやっぱり面白い」
初めて会った時はお互いにスーツだった。
ずっと会話していた割に、会うのはその時以来だ。
「何がじゃい」
細めのデニムを履いて、足元はコンバースだった。
「素直に選べばいいのに。 仕事選びってそんなに頭抱えるもの?」
僕の目の前で肩を出しているこのヘビースモーカーは東京に生まれて東京で就職しようとしているからお気楽でいられるのだ。
「親がなあ」
「じゃあ地元帰る?」
「でも家族のために地元帰る決断をしたらよ、今後嫌なこととかあったら家族のせいにしてまいそうよな」
「好きなように生きたほうがギスギスせずに済むかもね。東京来たら?」
「まあ東京はシーシャバー多いしなあ。野球も広島の次にたくさん観れるし」
「それに私にも会えるし」
「あとスペシャルなライブって基本東京なんよなあ」
「しかも私に会えるし」
そう言いながら、僕の脳裏には実家の手すりがよぎっていた。
仕事だけでない。
住む場所。生き方。守りたいもの。その代わりに捨てるもの。
それら全てを選ばなければいけないから、僕はこれほどまでに悩んでいる。
そもそもウェルフェアステートって何だよ。
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