第10話 大人は危険な動物だし 場合によっては人も殺すぜ

株式会社クラシコの内定者懇親会の後は、放送研究会の飲み会だった。

一旦帰宅してスーツから普段着に着替える。


スマートフォンを見ると髙橋美佳からメッセージが返ってきていた。

そう言えば、一緒に水煙草は吸った割に紙巻き煙草の趣味は聞いていなかった。


「そいやタバコ何すってんの」

「never knows best」

「なんそれ」


すぐに家を出た。



今回の飲み会の発案は放送研究会のOBの先輩2人で、久々に飲みたいので現役メンバーを集めて欲しいと鹿島に連絡が来たらしい。


一人は1学年上の社会人1年目、与田正巳(まさみ)先輩。

卒業後はたしかプロ野球チームの運営会社に進んだと聞いた。

具体的にどんな業務をしているのか解らないが、非常に面白そうな仕事だ。

にしてもそういった華やかな仕事は倍率が高いのではないか。

どんな目を引くエントリーシートを書いて、面接でどんなファインプレーをしたのだろうか。


もう一人は2年目の紀藤正則先輩。

こちらは中小の医療機器メーカーに就職したらしい。

聞いたことのない会社で名前もよく覚えていないが、マイナーな中小企業だからこそ紀藤先輩は気に入ったらしい。

ライバルが少ないから大企業と比べれば出世が容易なためだ。

俺は鶏口牛後でいくと、在学中から就職活動のビジョンがはっきりしていた。


お二人は在学中、僕が書いた企画書を添削してくれたり、機材の扱い方を初歩から教えてくれたりと非常にお世話になった。

集合場所に僕を含む同期4人が集まり、ほどなくして仕事終わりらしい紀藤先輩と与田先輩が現れる。



「球団って具体的に何されとるんですか」

飲み始めてしばらく、与田先輩の隣に座る影山から質問が飛んだ。

僕もそれが聞きたい。

楽しい仕事とは何なのか。

僕の斜め向かいに座る、日に焼けた肌の与田先輩が答える。

その隣、僕の向かいでは紀藤先輩が煙草をふかしている。

この人は在学中は煙草など吸っていなかったのではないか?


「球場のフェンスの広告の件で営業したり、ファンクラブでイベント打ったり色々やな。

あと試合のイベントというか……よくなになにデーとか、ユニフォーム配る日とかあるやろ?

ああいうのをやってる。

あと飲食店の整備とか、座席の種類考えたりとか。

ほら、なんとかシートとかボックスシートとかあるやん。

ああいうの考えるんが仕事」


真っ黒な直毛が、居酒屋の黄色っぽい照明を受けて輪を作っている。

プロ野球チームの運営と聞いて漠然としたイメージしか湧いていなかったが、業務は多岐にわたるらしい。

それを聞いた影山が口を開く。


「えー。面白そうなこと全部やってますねえ~」

何だその太鼓の持ちかた安全圏でヘラヘラしてんじゃねえブン殴るぞ。


「うん。結構しんどいけど、好きな事やっとるからな。我慢せなあかんわ」

面白い仕事に苦労はつきもので、楽しんだ分だけ苦しまなければいけないということか。


「楽したかったら他の会社行けって言われてまうしな」

「そこに決めはった理由って何やったんですか」

髙山も興味を示しているようだった。


「決め手というか、会社選ぶ時に大事にしてたことがあって」

それは僕も聞きたい。


「死ぬ前に『面白かった~』って言って死ねるかどうかやな」

そういう与田先輩の顔が、在学中よりも少しやつれて見えた。

この生き方が、僕にできるのか。



「紀藤さんはどんな……」

「久原がぐいぐいいく」

影山がうるさいが僕は今とにかく情報を入れなければいけない。

色白でぽっちゃり体系の紀藤先輩の口から煙と一緒に答えが出てくる。


「俺は会社の理念とか役員の人柄かな。

あと、会社が小さいから中堅になったら俺の色が出せるなって。

若いうちだけ耐えたらあとは革張りの椅子が待ってる」

今日の僕と同じことを考えている。


「てか紀藤さん、痩せました?」

「痩せた~。てか同期みんな痩せた」

「大丈夫なんすか」

「まあギリ大丈夫。同期一人体調崩して休職したけど」

という、鹿島と紀藤先輩のやりとり。僕も再度割って入る。


「仕事で体調不良ってどういう流れなんですか」

僕はまだ、風邪だとか骨折だとか、頭を打って記憶をなくすとか、そういった物理的な体調不良しか知らない。


紀藤先輩は言う。


「ストレスが体に出んのよ。不眠とか、脳の回転が止まるとか」

「ええ」

僕はまだ想像がついていない。


「でな、人ってただ真面目に働いただけで意外と簡単に倒れんのよ。

自分らやって根詰めすぎたらそうなんで」


紀藤先輩が、ベンチャー企業に就職する鹿島や影山を見てそう言う。

どういう仕組みか解らないが、事実そうらしい。


「同期は俺入れて3人しかおらん。

うち1人が体調不良で休職。

復帰しても残業に制限がつくとか重要なポストを与えないとかの足枷がある。

そいつは多分もう出世できん」


鹿島も影山も髙山も、言葉が見つからないといった顔をしていた。

与田先輩はにこりともせずテーブルを見ている。


「もう1人の同期もいつか倒れるかも知れん。

つまり、ただ健康体で働き続けるだけで俺の勝ちが確定する。

ライバルを倒すまでもなく、ただ正気を保ってるだけで。」

自分が生き残れるとも限らない我慢比べを40年続けるというのか。

出世争いとは身を削ることなのか。


例えばクラシコで、僕は最後まで立っていられるのか。

僕だって激務に揉まれれば鬱になるかも知れない。



紀藤先輩の吸うウィンストンの煙が、向かいに座る僕の思考を鈍らせる。

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